智囊 / 善言・鄭涉・李忠臣
劉玄佐鎮汴,嘗以讒怒,欲殺軍將翟行恭,無敢辨者。處士鄭涉能諧隱,見玄佐曰:「聞翟行恭刑,願付屍一觀。」玄佐怪之,對曰:「嘗聞枉死人面有異,一生未識,故借看耳。」玄佐悟,乃免。辛京杲以私杖殺部曲,有司奏,京杲罪當死,上將從之。李忠臣曰:「京杲當死久矣!」上問其故,忠臣曰:「京杲諸父兄弟俱戰死,獨京杲至今日尚存,故臣以為久當死。」上惻然,乃左遷京杲。
新字:劉玄佐鎮汴,嘗以讒怒,欲殺軍将翟行恭,無敢弁者。処士鄭渉能諧隠,見玄佐曰:「聞翟行恭刑,願付屍一観。」玄佐怪之,対曰:「嘗聞枉死人面有異,一生未識,故借看耳。」玄佐悟,乃免。辛京杲以私杖殺部曲,有司奏,京杲罪当死,上将従之。李忠臣曰:「京杲当死久矣!」上問其故,忠臣曰:「京杲諸父兄弟倶戦死,独京杲至今日尚存,故臣以為久当死。」上惻然,乃左遷京杲。
書き下し
劉玄佐汴を鎮するや、嘗て讒を以て怒り、軍将翟行恭を殺さんと欲す、敢えて弁ずる者無し。処士鄭渉、諧隠を能くし、玄佐に見えて曰く、「聞く翟行恭刑せらると、願わくは屍を付して一たび観せしめよ」と。玄佐之を怪しむ。対えて曰く、「嘗て聞く、枉げて死せる人の面には異有りと。一生未だ識らず、故に借りて看るのみ」と。玄佐悟り、乃ち免ず。辛京杲私杖を以て部曲を殺す、有司奏し、京杲の罪は死に当たると、上将に之に従わんとす。李忠臣曰く、「京杲は死に当たること久し」と。上其の故を問う。忠臣曰く、「京杲の諸父兄弟は倶に戦死し、独り京杲のみ今日に至るまで尚お存す。故に臣以て久しく死に当たると為す」と。上惻然として、乃ち京杲を左遷す。
現代語訳
劉玄佐が汴を治めていたとき、讒言を信じて怒り、軍将の翟行恭を殺そうとしたが、誰も弁護しようとしなかった。隠者の鄭渉は謎かけや諧謔が得意で、玄佐に会って言った。「翟行恭が処刑されると聞きました。どうか亡骸を私に引き渡して見せてください」。玄佐はこれを不思議がった。鄭渉は答えた。「以前、無実の罪で死んだ人の顔には変わった様子があると聞きました。一生まだ見たことがないので、見せていただきたいのです」。玄佐は悟り、処刑をやめた。辛京杲が私的な杖刑で部下を死なせ、役人が奏上して、京杲の罪は死に当たるとし、皇帝はそれに従おうとした。李忠臣は言った。「京杲はとっくに死ぬはずでした」。皇帝がわけを問うと、忠臣は言った。「京杲の伯父や叔父、兄弟はみな戦死し、京杲だけが今日まで生き残っています。だから私は、とっくに死ぬはずだったと思うのです」。皇帝は哀れに思い、京杲を左遷するにとどめた。
解説
この章句が説くこと
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