智囊 / 得情・鄭洛書・許進・姚公・張昺
鄭洛書知上海縣,嘗於履端謁郡,歸泊海口。有沉屍,壓以石磨,忽見之,歎曰:「此必客死,故莫餘告也。」遣人偵之,近村民家有石磨,失其牡;執來,相吻合,一訊即伏。果江西賣卜人,歲晏將歸,房主利其財而殺之。單縣有田作者,其婦餉之。食畢,死。翁故曰:「婦意也。」陳於官。不勝箠楚,遂誣服。自是天久不雨。許襄毅公時官山東,曰:「獄其有冤乎?」乃親歷其地,出獄囚遍審之。至餉婦,乃曰:「夫婦相守,人之至願;鴆毒殺人,計之至密者也。焉有自餉於田而鴆之者哉?」遂詢其所餽飲食,所經道路,婦曰:「魚湯米飯,度自荊林,無他異也。」公乃買魚作飯,投荊花於中,試之狗彘,無不死者。婦冤遂白,即日大雨如注。蘇人出商於外,其妻蓄雞數隻,以待其歸。數年方返,殺雞食之,夫即死。鄰人疑有外奸,首之太守姚公。鞫之,無他故。意其雞有毒,令人覓老雞,與當死囚遍食之,果殺二人,獄遂白。蓋雞食蜈蚣百蟲,久則蓄毒,故養生家雞老不食,又夏不食雞。
新字:鄭洛書知上海県,嘗於履端謁郡,帰泊海口。有沈屍,圧以石磨,忽見之,嘆曰:「此必客死,故莫余告也。」遣人偵之,近村民家有石磨,失其牡;執来,相吻合,一訊即伏。果江西売卜人,歳晏将帰,房主利其財而殺之。単県有田作者,其婦餉之。食畢,死。翁故曰:「婦意也。」陳於官。不勝箠楚,遂誣服。自是天久不雨。許襄毅公時官山東,曰:「獄其有冤乎?」乃親歴其地,出獄囚遍審之。至餉婦,乃曰:「夫婦相守,人之至願;鴆毒殺人,計之至密者也。焉有自餉於田而鴆之者哉?」遂詢其所餽飲食,所経道路,婦曰:「魚湯米飯,度自荊林,無他異也。」公乃買魚作飯,投荊花於中,試之狗彘,無不死者。婦冤遂白,即日大雨如注。蘇人出商於外,其妻蓄鶏数隻,以待其帰。数年方返,殺鶏食之,夫即死。鄰人疑有外奸,首之太守姚公。鞫之,無他故。意其鶏有毒,令人覓老鶏,与当死囚遍食之,果殺二人,獄遂白。蓋鶏食蜈蚣百虫,久則蓄毒,故養生家鶏老不食,又夏不食鶏。
書き下し
鄭洛書、上海県に知たり。嘗て履端に郡に謁し、帰りて海口に泊す。沈屍有り、圧すに石磨を以てするを、忽ち之を見て、歎じて曰く、「此れ必ず客死ならん。故に余の告ぐる莫きなり」と。人を遣わして之を偵わしむるに、近村の民家に石磨有り、其の牡を失えり。執え来たりて相吻合す。一訊して即ち伏す。果たして江西の売卜人にして、歳晏れて将に帰らんとするに、房主、其の財を利して殺せるなり。単県に田作する者有り、其の婦、之に餉す。食い畢わりて死す。翁、故に曰く、「婦の意なり」と。官に陳ぶ。箠楚に勝えず、遂に誣服す。是れより天久しく雨ふらず。許襄毅公、時に山東に官たり。曰く、「獄に其れ冤有らんか」と。乃ち親ら其の地を歴め、獄囚を出して遍く審す。餉婦に至り、乃ち曰く、「夫婦の相守るは、人の至願。鴆毒もて人を殺すは、計の至密なる者なり。焉んぞ自ら田に餉して之を鴆する者有らんや」と。遂に其の餽する所の飲食、経る所の道路を詢う。婦曰く、「魚湯と米飯にして、荊林より度り、他の異なる無きなり」と。公乃ち魚を買い飯を作り、荊花を其の中に投じて、之を狗彘に試むるに、死せざる無し。婦の冤乃ち白し、即日大雨注ぐが如し。蘇人、商に外に出づ。其の妻は雞数隻を蓄えて以て其の帰りを待つ。数年にして方に返り、雞を殺して之を食らえば、夫即ち死す。隣人は外奸有るかと疑い、之を太守姚公に首す。鞫するも他の故無し。意うに其の雞に毒有りと。人をして老雞を覓め、当に死すべき囚と遍く之を食わしむるに、果たして二人を殺す。獄遂に白し。蓋し雞は蜈蚣百虫を食えば、久しくして毒を蓄う。故に養生家は雞の老いたるを食わず、又た夏は雞を食わず。
現代語訳
鄭洛書が上海県の知県であったとき、正月に郡の役所へ挨拶に行き、帰りに海口で舟を泊めた。そこで、石臼で重しをして沈められた死体を見つけ、嘆いて言った。「これは旅先で亡くなった者に違いない。だから届け出る者がいないのだ」と。人を遣わして調べさせると、近くの村の民家に石臼があり、上の臼が欠けていた。それを持ってきて合わせてみるとぴったり一致した。一度の尋問で罪を認めた。果たして江西の占い師で、年の暮れに帰ろうとしたところを、家主がその財を狙って殺したのだった。また単県に、田で働く者がおり、その妻が食事を届けた。食べ終えると死んだ。舅はわざと「嫁の仕業だ」と言い、役所に訴えた。嫁は拷問に耐えられず、偽りの自白をした。このころ、天は長く雨を降らさなかった。許襄毅公はそのとき山東の官に就いていて、言った。「裁きに冤罪があるのだろう」と。自ら現地を巡り、囚人を出してすべて調べ直した。食事を届けた嫁の件に至ると、こう言った。「夫婦が連れ添うのは人の最大の願いである。毒で人を殺すのは、最も秘かに運ぶ計略である。どうして自分で田に食事を届けて毒殺する者がいようか」と。そして届けた飲食物と通った道を尋ねた。嫁は「魚の汁と米の飯で、荊の林を通りましたが、ほかに変わったことはありません」と言った。公は魚を買って飯を作り、荊の花をその中に入れ、犬や豚に試したところ、みな死んだ。嫁の冤罪は晴れ、その日に大雨が降り注いだ。蘇州の人が商いで外に出た。その妻は鶏を数羽飼って、夫の帰りを待っていた。数年たってようやく戻り、鶏を殺して食べると、夫はすぐ死んだ。隣人は妻に間男がいるのではないかと疑い、太守の姚公に訴え出た。取り調べたが他の事情はなかった。思うに鶏に毒があるのだと考えた。人に老いた鶏を探させ、死刑確定の囚人二人にいっしょに食べさせると、果たして二人とも死んだ。事件は晴れた。鶏はムカデやいろいろな虫を食べるので、年を経ると毒を蓄える。だから養生家は老いた鶏を食べず、夏にも鶏を食べないのである。
解説
この章句が説くこと
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