智囊 / 辯才・張嘉言
張公嘉言司理廣州時,邊海設有總兵,參、游等官,幕下各數千防兵,每日工食三分。然參、游兵每歲涉遠出訊,而總兵官所轄兵,皆借口坐鎮不遠行。每三年五年修船,其參、游部下兵,止給每日工食之半;即非修船,而僅不出汛也,亦減工食每日三分之一,俱貯為修船之用。獨總兵官部下兵毫無所減,當修船時,另湊處於民間。積習已久,彼此視為固然。忽巡道申詳軍門,欲將總兵官所轄兵,以後稍視裁其工食,留備修船之用。軍門適與總兵有隙,乃倉卒允行。各兵哄然而嘩,知張公為院道耳目,直逼其堂。
新字:張公嘉言司理広州時,辺海設有総兵,参、游等官,幕下各数千防兵,毎日工食三分。然参、游兵毎歳渉遠出訊,而総兵官所轄兵,皆借口坐鎮不遠行。毎三年五年修船,其参、游部下兵,止給毎日工食之半;即非修船,而僅不出汛也,亦減工食毎日三分之一,倶貯為修船之用。独総兵官部下兵毫無所減,当修船時,另湊処於民間。積習已久,彼此視為固然。忽巡道申詳軍門,欲将総兵官所轄兵,以後稍視裁其工食,留備修船之用。軍門適与総兵有隙,乃倉卒允行。各兵哄然而嘩,知張公為院道耳目,直逼其堂。
書き下し
張公嘉言、広州に司理たりし時、辺海に総兵・参・游等の官を設け、幕下各おの数千の防兵あり、毎日の工食は三分なり。然れども参・游の兵は、毎歳遠くに出訊するに、総兵官の轄する所の兵は、皆坐鎮して遠くに行かずと口実す。三年五年毎に船を修するに、其の参・游の部下の兵は、止だ毎日の工食の半ばを給す。即ち船を修するに非ずして、僅かに出汛せざるも、亦た工食を毎日三分の一減じ、俱に貯えて修船の用と為す。独り総兵官の部下の兵は毫も減ずる所無く、船を修するに当たりては、別に民間に湊処す。積習已に久しく、彼此固然と視る。忽ち巡道、軍門に申詳して、総兵官の轄する所の兵を以後稍や視て其の工食を裁し、留めて修船に備えんことを欲す。軍門、適たま総兵と隙有り、乃ち倉卒に允行す。各兵哄然として嘩し、張公の院道の耳目たるを知り、直ちに其の堂に逼る。
現代語訳
張嘉言公が広州で司理を務めていたとき、沿海に総兵や参将・遊撃などの官が置かれ、それぞれの幕下に数千人の防衛兵がおり、毎日の手当は三分でした。ところが参将や遊撃の兵は、毎年遠くへ巡視に出かけるのに、総兵官の所轄の兵は、みな鎮守を口実に遠くへ行きませんでした。三年か五年ごとに船を修理するとき、参将や遊撃の部下の兵には、毎日の手当を半分だけ給し、修理でなく単に巡視に出なかった場合でも、毎日の手当を三分の一減らして、すべて蓄えて船の修理費に当てていました。ただ総兵官の部下の兵だけは、少しも減らされず、船を修理するときは別に民間から調達していました。この慣行は長く続き、双方が当たり前と見なしていました。突然、巡道が軍門に詳しく申し立て、総兵官の所轄の兵も、今後は手当をいくらか減らして、修船のために残しておくことを望みました。軍門はちょうど総兵と不和があり、あわただしく許可して実施しました。兵たちは騒ぎ立て、張公が院道の耳目であることを知って、まっすぐその役所の広間に詰めかけました。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』辯才・張嘉言張公意色安閑として、知事者五六人を呼びて階に登りて其の故を述べしむ。衆兵倶に擁して前むに、即ち叱りて堂を下らしめて曰く、「人言囂乱にして、殊に聴くに便ならず」。衆兵乃ち下る。時に天雨甚だしく、兵の衣尽く湿るも、張公も亦た顧みず、但だ此の六人をして好く之を言わしむ。六人嘵嘵として、旧より減例無しと称す。張公曰く、「此の事、我も亦た与り聞く。汝等全く出汛せず、却って上の人を怪しむこと難し。汝、減ぜざるを欲するも亦た使し得。然りと雖も、亦た汝の利に非ざるなり。上司、今より汝等をして参・游の兵と毎歳更迭して出汛せしめば、汝寧んぞ往かざるを得んや。若し往かば、則ち汝等は且に参・游の兵と称し、工食は半ばを減ぜられん。汝の争いて存する所は、汝の能く享くる所に非ず、参・游の兵の来たりて代わる者の得る所なり。何ぞ其の稍や減ずるに聴きて、汝等猶お歳歳大将軍の兵と称するを得ざる。汝等試みに之を思え」。此の六人、俯首して対うる能わず、唯だ曰く、「願わくは爺爺、転達して寛恤せよ」。張公曰く、「汝等の姓名は誰ぞ」。各おの相い顧みて言うを肯んぜず。張公罵りて曰く、「汝等、姓名を言わずんば、上司問う、『誰か来たりて汝に稟す』と。何を以て之に対えん。妨げず説き来たれ。自ら処する有らん」。乃ち始めて各おの姓名を言い、而して之を記す。張公曰く、「汝等、諸人に伝語せよ。此の事は自ら当に処する有るべし。甚だ嘩する無かれ。諸人にして嘩せば、汝の六人は各おの姓名有り、上司皆な汝の首を斬らん」。六人色を失い、唯唯として退く。後、諸兵毎月銀一銭を減ずることを議し、兵竟に嘩する者無し。〔議〕説くこと道理透徹し、利害分明、覚えず気平らかにして心順う。凡そ減省を以て変を激する者は、皆処分を善くせざるの過ちなり。
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『智囊』經務・張肖甫浙には故より幕府の親兵四千五百人有り、分かちて九営と為し、歳ごとに七営を以て海汛を防ぎ、汛畢わりて乃ち帰る。其の餉は頗る厚し。万暦十年の間、呉中丞善言は新例を奉じて餉の三の一を減じ、又た半ば新銭を給するも、銭法は壅がりて行われず。訴うるも聴かず、遂に乱を為す。其の魁の馬文英、楊廷用は実に之を倡え、呉公を擁して営所に至り、窘辱は備さに至り、迫りて削減の状を書かしめ、庫金二千を以て酒食の資と為し、姑く之を縦つ。明日、二魁は陽り自ら縛りて呉及び両台に詣り、言う、「我れ実に首事す、請う法を受けん、他は与る無し」と。衆は皆な刃を匣して以て俟つ。諸公は禍を稔らすを懼れ、姑く好言もて慰遣し、而して其の事を具して上聞す。少司馬の張肖甫は便宜の命を奉じて浙を撫して呉に代わるも、未だ至らずして民変復た作る。初め、杭城の諸柵は各おの役夫を設けて乾掫を司らしめ、役に応ずる者は自ら遊手を募りて之に充つ。前二歳に始めて其の法を厳にし、必ず親ら役を受けしむ。役を憚る者は相い率いて豪の力有る者に倚りて以て免れ、而して遊手は遂に募利を失い、亦た怨望す。上虞の人丁仕卿は僑居し、素より文を舞わし、市の大猾と相い結び、利便を仮りて之を監司守令に言うも、俱に聴かず。意は忿忿として、且つ謂う、「官は乱兵を如何ともする無し、而して我を如何せん」と。此を以て諸大猾を挑む。会ま仕卿は他の法に坐して校を荷い、諸大猾は遂に衆を鼓して之を劫し、響応するもの千人に至る。是に於いて諸豪の有力の家を焚劫して以て憾みを快くし、遂に台使者の門を破り、監司より下は悉く竄匿す。
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『智囊』靈變・黃震・趙葵宋は嘗て両川の軍士に緡銭を給す。詔は西川に至るも、東川には独り及ばず。軍士は謀りて変を為さんとす。黄震は主者に白して曰く、「朝廷は豈に東川を忘れんや。殆ど詔書の稽留せるのみ」と。即ち州帑を開きて、西川の如く銭を給し、衆は乃ち定まる。趙方は、寧宗の時に荊湖制置使と為り、一日方に将士を賞す。恩は労に償わず、軍は変を為さんと欲す。子の葵は時に年十二三、之を覚り、亟かに呼びて曰く、「此れは朝廷の賜なり、本司に別に賞賚有り」と。軍心は一言にして定まる。〔按〕趙葵、字は南仲、警報を聞く毎に、諸将と偕に出で、敵に遇えば輒ち深く入りて死戦す。諸将は唯だ制置の子を失わんことを恐れ、尽く死して之を救い、屢々此を以て捷を獲たり。
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『智囊』經務・張肖甫張公は嘉禾に抵りて変を聞き、候人に問いて曰く、「兵の海を哨する者は発せしか」と。曰く、「発せり」と。「留まる所の二営は恙無きか」と。曰く、「然り」と。公曰く、「速やかに之を駆れ、尚お離して二つにす可し」と。従者は皆な恐る。公は談笑して自如たり。既に台に抵りて事を治むるに、群不逞の嘯聚するは益ます衆く、竿を揭げ幟を立て、白刃を執りて台に向かう者は二千余ばかりなる可し、且つ垣を毀ちて入らんと欲す。公は乃ち数卒に従いて肩輿に乗りて出で迎え、之に謂いて曰く、「汝曹反する毋かれ、反すれば則ち天子は六師を移して至り汝を族せん。且つ汝は必ず苦しむ所と甚だ平らかならざる所有らん。何ぞ我に告げざる」と。衆は夜役の不公を以て言う。公曰く、「易きのみ。奈何ぞ一憤を以て一族に易えんや」と。即ち令を下して之を除く。衆は始めて散ず。然れども其の気は益ます張り、夜に復た他の巨室を掠め、火光天を燭らす。公は燭を秉りて檄を草し、諭すに禍福を以てし、質明に通衢に張るに、衆は取りて之を裂く。公は怒りて曰く、「吾は命を奉じて悍兵を戢めんとす。宜しく悍民より自ら始むべし」と。已にして計りて曰く、「過ちは使う可し、烏合は刈る可し」と。游撃の徐景星に命じて二営の兵を以て入らしめ、伍長を召して之を撫して曰く、「前の幕府は誠に汝の死力を誤用して汝に餉せず。汝は寧ろ怏怏たる無からんや」と。衆は唯唯たり。則ち又た曰く、「市の無頼の子の乱は成れり。彼に他の労無く、汝曹の例に非ず。能く我が為に尽力して之を捕らう計らば、我は且つ汝曹をして功を以て飽かしめん。然れども多く殺す毋かれ、多く殺せば汝の功にあらず」と。衆は踊躍して命を聴く。
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『智囊』迎刃・吳時來嘉靖の時、倭寇難を発し、郎・土の諸路の兵援け至る。呉総臣は犒を計ること時を逾え、衆は大いに噪ぐ。松江に及ぶや、撫臣は推官呉時来に属して備えを除かしむ。時来は水道の由る所を度り、福田禅林の外に就きて営を立て、土官に令して兵の至る者は、各おの部伍を署し、舟人は之を導きて入れ、次を以て犒を受けしむ。恵は均しくして費は冗ならず、諸営は帖然たり。客兵は素より獷悍にして、剽掠すること寇に異ならず。時来は贊画者の言を用い、好語を為して其の寇長に結び、縛りて之を治め、迄に事を終うるまで敢えて犯す者無し。
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『智囊』經務・張肖甫轅門の外に陳ね、而して使をして馳せて諸営に赦せしめて曰く、「天子は汝を僇し尽くすに忍びず。汝は自ら死に合うか否かを揣れ。今よりして後、当に力を尽くして国の為に御圉すべし」と。衆は尽く感泣す。〔馮評〕兵の変は、未だ朘削に因りて激成せざる者有らず。民の変は、未だ勢豪に因りて激成せざる者有らず。兵民一時に並びて変ずるに至りては、危うきかな浙や。幸いに群不逞は倉卒の烏合にして、本より大志無く、而して二魁は好言の慰遣を恃みて、自ら死せざるを幸いとす、故に合して一と為らざるに至る。此に於いて便ち個の題目の做す可き有り。張公の此の挙は、大いに機権有り、大いに此第有り。尤も妙は多く殺さざるに在り。若し功を貪る臣ならば、我は当に如何なるかを知らず。
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