智囊 / 辯才・庸芮
秦宣太后愛魏丑夫。太后病將死,出令曰:「為我葬,必以魏子為殉。」魏子患之,庸芮為魏子說太后曰:「以死者為有知乎?」太后曰:「無知也。」曰:「若太后之神靈,明知死者之無知矣,何為空以生所愛葬於無知之死人哉?若死者有知,先王積怒之日久矣,太后救過不贍,何暇私魏丑夫乎?」太后曰:「善。」乃止。
新字:秦宣太后愛魏丑夫。太后病将死,出令曰:「為我葬,必以魏子為殉。」魏子患之,庸芮為魏子説太后曰:「以死者為有知乎?」太后曰:「無知也。」曰:「若太后之神霊,明知死者之無知矣,何為空以生所愛葬於無知之死人哉?若死者有知,先王積怒之日久矣,太后救過不贍,何暇私魏丑夫乎?」太后曰:「善。」乃止。
書き下し
秦の宣太后、魏丑夫を愛す。太后病みて将に死せんとし、令を出して曰く、「我が為に葬るに、必ず魏子を以て殉と為せ」。魏子、之を患う。庸芮、魏子の為に太后に説きて曰く、「死者を以て知有りと為すか」。太后曰く、「知無きなり」。曰く、「太后の神霊の若きは、明らかに死者の知無きを知れり。何為れぞ空しく生きて愛する所を以て、知無きの死人に葬らんや。若し死者知有らば、先王の積怒の日久し。太后、過ちを救うに贍らず。何の暇ありてか魏丑夫を私せんや」。太后曰く、「善し」。乃ち止む。
現代語訳
秦の宣太后は魏丑夫を愛していました。太后は病んで死にそうになり、命令を出しました。「私を葬るときは、必ず魏子を殉死させよ。」魏子はこれを憂えました。庸芮は魏子のために太后に説いて言いました。「死者に知覚があるとお考えですか。」太后は「ない」と答えました。庸芮は言いました。「太后は聡明でいらっしゃり、死者に知覚がないとはっきりお分かりです。それなのに、どうして生前に愛した者を、知覚のない死人に添えて葬るのですか。もし死者に知覚があるなら、先王は長年怒りを積んでおられます。太后は、先王へのおわびで手一杯のはずで、魏丑夫をかわいがる暇などございましょうか。」太后は「よろしい」と言って、殉死を取りやめました。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・秦二・秦宣太后愛魏醜夫秦の宣太后魏醜夫を愛す。太后病みて將に死せんとし、令を出だして曰わく、「我が為に葬るに、必ず魏子を以て殉とせよ。」魏子之を患う。庸芮魏子の為に太后に說きて曰わく、「死者を以て知有りと為すか。」太后曰わく、「知無きなり。」曰わく、「太后の神靈の若きは、死者の知無きを明知す、何為れぞ空しく生の愛する所を以て、知無きの死人に葬らんとするや。若し死者知有らば、先王怒りを積むの日久し、太后過ちを救うに贍らず、何の暇にか乃ち魏醜夫を私せんや。」太后曰わく、「善し。」乃ち止む。
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『智囊』辯才・觸龍秦、趙を攻む。趙王新たに立ち、太后事を用う。救いを斉に求む。斉人曰く、「必ず長安君を以て質と為せ」。太后可とせず。斉の師出でず。大臣強いて諫む。太后甚だ怒りて曰く、「復た言う者有らば、老婦必ず其の面に唾せん」。左師触龍、見えんことを請いて曰く、「賤息舒祺、最も少く、不肖にして、臣は衰う。竊かに之を愛す。願わくは黒衣の缺を補い、以て王宮を衛ることを得ん。願わくは臣の未だ溝壑を填めざるに及びて之を托せん」。太后曰く、「丈夫も亦た少子を愛するか」。対えて曰く、「婦人よりも甚だし」。太后笑いて曰く、「婦人は異なること甚だし」。対えて曰く、「老臣竊かに以為えらく、媼の燕后を愛するは、長安君に賢れり」。太后曰く、「君過てり。長安君の甚だしきに如かず」。左師曰く、「父母の其の子を愛するや、則ち之が為に計ること深遠なり。媼の燕后を送るや、其の踵を持して哭し、其の遠きを念い、亦た之を哀しむ。已に行けば、思わざるに非ず。祭祀には則ち之を祝して曰く、『必ず反らしむる勿かれ』と。豈に之が為に計ること長久にして、子孫の相い継ぎて王たらんことを願うに非ずや」。太后曰く、「然り」。
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『智囊』辯才・觸龍左師曰く、「今より三世以前、趙王の子孫の侯と為る者に至るまで、其の継ぎて在る者有るか」。曰く、「有ること無し」。曰く、「此れ近き者は禍身に及び、遠き者は其の子孫に及ぶ。豈に人主の子、侯なれば則ち不善ならんや。位尊くして功無く、奉厚くして労無く、而して重器を挟むこと多ければなり。今、媼は長安の位を尊くし、封ずるに膏腴の地を以てし、多く之に重器を与えて、今功を趙に有らしむるに及ばず。一旦山陵崩ぜば、長安君は何を以て自ら趙に托せんや」。太后曰く、「諾。君の使する所に恣にせよ」。是に於いて長安君の為に車百乗を約し、斉に質たらしむ。斉の師乃ち出で、秦の師退く。
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『智囊』辯才・陳軫陳軫、楚を去りて秦に之く。張儀、秦王に謂いて曰く、「陳軫は王の臣為り、常に国情を以て楚に輸す。儀、与に事に従うこと能わず。願わくは王之を逐え。即し復た楚に之かば、願わくは王之を殺せ」。王曰く、「軫、安くんぞ敢えて楚に之かんや」。王、陳軫を召して之に告げて曰く、「吾、子に聴く能わんとす。子、何くに之かんと欲す。請う子の為に車を約せん」。対えて曰く、「臣、願わくは楚に之かん」。王曰く、「儀、子を以て楚に之くと為す。吾も又自ら子の楚に之くを知る。子、楚に非ずして且た安くにか之かん」。軫曰く、「臣出でなば、必ず故らに楚に之き、以て王と儀との策に順い、而して臣の楚に之くか否かを明らかにせん。楚人に両妻有る者あり。人、其の長者を誂えば、長者之を詈る。其の少者を誂えば、少者之を許す。居ること幾何も無くして、両妻有る者死す。客、誂えたる者に謂いて曰く、『汝、長者を取るか、少者を取るか』と。『長者を取る』と。客曰く、『長者は汝を詈り、少者は汝に和す。汝何為れぞ長者を取る』と。曰く、『彼の人の所に居れば、則ち其の我を許さんことを欲す。今我が妻と為らば、則ち其の人を詈らんことを欲す』と。今、楚王は明主なり。而して昭陽は賢相なり。
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『智囊』辯才・魯仲連周は貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫し。而るに斉のみ独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩ず。諸侯皆至る。斉、後れて往く。周、怒り、斉に赴げて曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣田嬰斉、後れて至らば、則ち之を斬らん』と。威王、勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而が母は婢なり』と。卒に天下の笑いと為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱る。誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り。其れ怪しむに足る無し」と。辛垣衍曰く、「先生、独り未だ夫の僕を見ざるか。十人にして一人に従うは、寧ろ力の勝たざるか、智の若かざるか。之を畏るるなり」と。魯連曰く、「梁の秦に比すること僕の若きか」と。辛垣衍曰く、「然り」と。魯連曰く、「然らば則ち吾、将に秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。辛垣衍、怏然として悦ばず、曰く、「嘻、亦た太だ甚し。先生又た悪んぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめんや」と。魯連曰く、「固なり。吾が言を待て。昔者、鬼侯・鄂侯・文王は、紂の三公なり。鬼侯に子有りて好し。故に之を紂に入る。紂、以て悪しと為し、鬼侯を醢にす。鄂侯、争うこと急に、弁ずること疾し。並びに鄂侯を脯にす。文王、聞きて歎息す。羑里の庫に拘せられること百日、之をして死せしめんと欲す。曷為れぞ人と倶に帝王と称し、卒に脯醢の地に就くか。
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呂氏春秋・開春②魏の惠王死して、葬、日有り。天大いに雪雨り、牛目に至る。群臣、太子に諫むる者多し。曰く、「雪甚だし。此の如くして葬を行わば、民必ず甚だ之を疾み、官費又恐らくは給らざらん。請う、期を弛めて日を更めんことを。」太子曰く、「人の子為る者、民勞と官の費用との故を以て、先王の葬を行わざるは、不義なり。子、復た言うこと勿れ。」群臣皆敢て諫むること莫く、而して以て犀首に告ぐ。犀首曰く、「吾以て之を言うこと有る末し。是れ其れ唯だ惠公のみなるか。請う惠公に告げんことを。」惠公曰く、「諾。」駕して太子に見えて曰く、「葬、日有り。」太子曰く、「然り。」惠公曰く、「昔、王季歷、渦山の尾に葬られ、灓水、其の墓を齧み、棺の前和を見わす。文王曰く、『譆、先君必ず一たび群臣百姓を見んことを欲するかな。故に灓水をして之を見わさしむ。』是に於て出だして之が為に朝を張り、百姓皆之を見る。三日にして後更めて葬る。此れ文王の義なり。今、葬、日有り。而して雪甚だしく、牛目に及び、以て行い難し。太子、日に及ばんが為の故に、亟やかに葬らんと欲するに嫌い無きを得んや。願わくは、太子日を易えんことを。先王必ず少く留まりて、社稷を撫し黔首を安んぜんことを欲するなり。故に雪を雨ること甚だしからしむ。因りて期を弛めて更めて日を為さば、此れ文王の義なり。此の若くして為さざるは、意者に文王に法るを羞づるか。」太子曰く、「甚だ善し。敬みて期を弛め、更めて葬日を擇ばん。」惠子は徒に說を行うのみにあらざるなり。又魏の太子をして未だ其の先君を葬らざらしめ、而して因りて有た文王の義を説き、文王の義を説きて以て天下に示せり。豈に小功ならんや。
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