智囊 / 辯才・語智部總序
馮子曰:智非語也,語智非智也,喋喋者必窮,期期者有庸,丈夫者何必有口哉!固也,抑有異焉。兩舌相戰,理者必伸;兩理相質,辨者先售。子房以之師,仲連以之高,莊生以之曠達,儀、衍以之富貴,端木子以之列於四科,孟氏以之承三聖。故一言而或重於九鼎,單說而或強於十萬師,片紙書而或賢於十部從事,口舌之權顧不重與?「談言微中,足以解紛」;「言之無文,行之不遠」。君子一言以為智,一言以為不智。智澤於內,言溢於外。《詩》曰:「唯其有之,是以似之。」此之謂也。僑童有辭,鄭國賴焉;聊城一矢,名高魯連;排難解紛,辯哉仙仙;百爾君子,毋易繇言。集「辯才」。
新字:馮子曰:智非語也,語智非智也,喋喋者必窮,期期者有庸,丈夫者何必有口哉!固也,抑有異焉。両舌相戦,理者必伸;両理相質,弁者先售。子房以之師,仲連以之高,荘生以之曠達,儀、衍以之富貴,端木子以之列於四科,孟氏以之承三聖。故一言而或重於九鼎,単説而或強於十万師,片紙書而或賢於十部従事,口舌之権顧不重与?「談言微中,足以解紛」;「言之無文,行之不遠」。君子一言以為智,一言以為不智。智沢於内,言溢於外。《詩》曰:「唯其有之,是以似之。」此之謂也。僑童有辞,鄭国頼焉;聊城一矢,名高魯連;排難解紛,弁哉仙仙;百爾君子,毋易繇言。集「弁才」。
書き下し
馮子曰く、智は語に非ざるなり。語智は智に非ざるなり。喋喋たる者は必ず窮し、期期たる者は庸有り。丈夫たる者、何ぞ必ずしも口有らんや。固よりなり。抑も異なる有り。両舌相い戦えば、理ある者必ず伸ぶ。両理相い質せば、弁ずる者先ず售る。子房は之を以て師となり、仲連は之を以て高く、荘生は之を以て曠達にして、儀・衍は之を以て富貴なり。端木子は之を以て四科に列し、孟氏は之を以て三聖を承く。故に一言にして或いは九鼎より重く、単説にして或いは十万の師より強く、片紙の書にして或いは十部の従事より賢る。口舌の権、顧って重からざらんや。「談言微かに中たれば、以て紛を解くに足る」「言に文無ければ、行われて遠からず」。君子は一言以て智と為し、一言以て不智と為す。智、内に沢し、言、外に溢る。《詩》に曰く、「唯だ其れ之を有す、是を以て之に似たり」と。此れを之れ謂うなり。僑童に辞有り、鄭国頼る。聊城の一矢、名は魯連に高し。難を排し紛を解く、弁なるかな仙仙たり。百爾の君子、繇言を易んずる毋かれ。「弁才」を集む。
現代語訳
馮子(馮夢龍)は言う。知恵は言葉そのものではなく、言葉のうまさは知恵そのものではない。ぺらぺらしゃべる者は必ず行き詰まり、どもる者にも働きはある。立派な男子たる者、どうして口が要ろうか。もちろんそのとおりである。しかし違う面もある。二つの舌が争えば、理のあるほうが必ず伸びる。二つの理が突き合わされれば、よく弁じる者が先に認められる。張良は弁舌で帝王の師となり、魯仲連は弁舌で気高く、荘子は弁舌で広く達観し、張儀・公孫衍は弁舌で富貴を得た。子貢は弁舌で孔門四科の一つ言語に列せられ、孟子は弁舌で三聖(禹・周公・孔子)の道を継いだ。だから一言が九つの鼎より重いこともあり、一つの説が十万の軍より強いこともあり、一枚の書状が十人の部下より優れることもある。弁舌の力は、まことに重いのではないか。「ことばが的を射れば、もつれを解くのに足りる」「ことばに飾りがなければ、遠くまで行われない」と言う。君子は一言で知者ともなり、一言で愚者ともなる。知恵は内に満ち、言葉は外にあふれる。『詩経』に言う。「それを持っていればこそ、それに似るのだ」。これを言うのである。僑童(子産)は言葉があって鄭の国が助かり、聊城の一本の矢文で魯仲連の名は高まった。難を除いてもつれを解く弁舌のなんと優れていることか。すべての君子は、言葉を軽んじてはならない。ここに「弁才」を集める。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝端木賜は、衛の人、字は子貢。孔子より少きこと三十一歳。子貢は利口巧辞、孔子常に其の弁を黜く。問ひて曰く、「汝と回とは孰れか愈れる」と。対へて曰く、「賜や何ぞ敢へて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知り、賜や一を聞きて以て二を知る」と。子貢既已に業を受け、問ひて曰く、「賜は何人ぞや」と。孔子曰く、「汝は器なり」と。曰く、「何の器ぞや」と。曰く、「瑚璉なり」と。陳子禽子貢に問ひて曰く、「仲尼焉にか学ぶ」と。子貢曰く、「文武の道未だ地に墜ちず、人に在り、賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る、文武の道有らざる莫し。夫子焉にか学ばざらん、而して亦何の常師か之れ有らん」と。又問ひて曰く、「孔子是の国に適けば必ず其の政を聞く。之を求めたるか、抑々之を与へたるか」と。子貢曰く、「夫子は温・良・恭・倹・譲以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか」と。子貢問ひて曰く、「富みて驕ること無く、貧しくして諂ふこと無きは、何如」と。孔子曰く、「可なり。貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好むに如かず」と。
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孔子家語・弟子行衛の將軍文子、子貢に問いて曰わく、「吾れ聞く、孔子の教えを施すや、之に先んずるに詩書を以てし、之を道びくに孝悌を以てす。之を說くに仁義を以てし、之を觀るに禮樂を以てす。然る後に之を成すに文德を以てすと。蓋し室に入り堂に升る者、七十餘人。其れ孰か賢と為す。」子貢對うるに「知らず」を以てす。文子曰わく、「吾子の常に賢者と與に學ぶを以てなり、『知らず』とは何の謂いぞ。」子貢對えて曰わく、「賢人は妄無く、賢を知るは即ち難し。故に君子の言に曰わく、『智は人を知るより難きは莫し。』と。是を以て對え難きなり。」文子曰わく、「夫れ賢を知るの難からざる莫きが若きも、今吾子親しく遊ぶ、是を以て敢えて問う。」子貢曰わく、「夫子の門人蓋し三千就ける有り。賜は逮及する有り、未だ逮及せざる有り、故に遍く知りて以て告ぐる能わざるなり。」文子曰わく、「吾子の逮及する所の者、請う其の行を問わん。」
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史記 仲尼弟子列伝句践頓首再拝して曰く、「孤嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひ、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かし、徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願ひなり」と。遂に子貢に問ふ。子貢曰く、「呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪へず。国家は数々戦ふを以て敝れ、士卒忍びず。百姓上を怨み、大臣内に変ず。子胥諫むるを以て死し、太宰嚭事を用ひ、君の過ちに順ひて以て其の私を安んず。是れ国を残ふの治なり。今王誠に士卒を発して之を佐けて其の志を徼め、重宝以て其の心を説ばしめ、卑辞以て其の礼を尊ばば、其の斉を伐つこと必せり。彼戦ひて勝たずんば、王の福なり。戦ひて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん、臣請ふ北のかた晋君に見え、共に之を攻めしめん、呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しみ、而して王其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼすこと必せり」と。越王大いに説び、許諾す。子貢に金百鎰、剣一、良矛二を送る。子貢受けず、遂に行く。呉王に報じて曰く、「臣敬んで大王の言を以て越王に告ぐ、越王大いに恐れて、曰く、『孤不幸にして、少くして先人を失ひ、内に自ら量らず、罪を呉に抵し、軍敗れ身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽と為る、大王の賜に頼りて、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ、死すとも敢へて忘れず、何の謀か之れ敢へて慮らん』と」と。後五日、越大夫種をして頓首して呉王に言はしめて曰く、「東海の役臣孤句践の使者臣種、敢へて下吏を修めて左右に問ふ。今竊かに聞く大王将に大義を興し、彊を誅し弱を救ひ、暴斉を困しめて周室を撫せんとすと、請ふ悉く境内の士卒三千人を起こさん、孤請ふ自ら堅を被り鋭を執りて、以て先づ矢石を受けん。因りて越の賤臣種先人の蔵器、甲二十領、鈇、屈盧の矛、歩光の剣を奉じて、以て軍吏を賀せしむ」と。呉王大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王身ら寡人に従ひて斉を伐たんと欲す、可なるか」と。子貢曰く、「不可なり。夫れ人の国を空しくし、人の衆を悉くし、又其の君を従へるは、不義なり。君其の幣を受け、其の師を許して、其の君を辞せよ」と。呉王許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
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孔子家語・困誓子貢孔子に問いて曰わく、「賜既に人の下と為れり、而れども未だ人の下と為るの道を知らず。敢えて之を問う。」子曰わく、「人の下と為る者は、其れ猶お土のごときか。之を汨すこと深ければ、則ち泉を出だす。其の壌に樹うれば則ち百穀滋り、草木植わり、禽獣育つ。生ずれば則ち焉より出で、死すれば則ち焉に入る。其の功を多くして意とせず、其の志を弘くして容れざる無し。人の下と為る者は此を以てするなり。」
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孔子家語・致思子貢民を治むるを孔子に問う。子曰わく、「懍懍焉として腐索の馬を扞するが若し。」 子貢曰わく、「何ぞ其れ畏るるや。」 孔子曰わく、「夫れ通達禦する皆人なり。道を以て之を導けば、則ち吾が畜なり。道を以て之を導かざれば、則ち吾が讎なり。之を如何ぞ其れ畏るる無からんや。」
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荀子・大略篇子貢(しこう)孔子に問ひて曰く、「賜(し)は学に倦(う)めり、願はくは君に事(つか)ふるに息(いこ)はん」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『温恭朝夕、事を執りて恪(かく)有り』と。君に事ふるは難し、君に事ふる焉(いづ)くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち、賜は親に事ふるに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『孝子匱(つ)きず、永く爾(なんぢ)の類に錫(たま)ふ』と。親に事ふるは難し、親に事ふる焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は妻子に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『寡妻(かさい)に刑(のっと)り、兄弟に至り、以て家邦を御(をさ)む』と。妻子は難し、妻子焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は朋友に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『朋友攸(こ)れ攝(たす)く、攝くるに威儀を以てす』と。朋友は難し、朋友焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は耕すに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『昼は爾于(ここ)に茅(かや)かり、宵は爾于に綯(なは)を索(な)ふ。亟やかに其れ屋に乗り、其れ始めて百穀を播(ま)く』と。耕すは難し、耕す焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜に息ふ者無きか」。孔子曰く、「其の壙(こう)を望めば、皋(こう)如たり、顛(てん)如たり、鬲(かく)如たり。此れ則ち息ふ所を知らん」と。子貢曰く、「大なるかな、死や。君子は焉(ここ)に息ひ、小人は焉に休す」と。
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