智囊 / 敏悟・尹見心
尹見心為知縣。縣近河,河中有一樹,從水中生,有年矣,屢屢壞人舟。見心命去之,民曰:「根在水中甚固,不得去。」見心遣能入水者一人,往量其長短若干,為一杉木大桶,較木稍長,空其兩頭,從樹杪穿下,打入水中,因以巨瓢盡涸其水,使人入而鋸之,木遂斷。
新字:尹見心為知県。県近河,河中有一樹,従水中生,有年矣,屡屡壊人舟。見心命去之,民曰:「根在水中甚固,不得去。」見心遣能入水者一人,往量其長短若干,為一杉木大桶,較木稍長,空其両頭,従樹杪穿下,打入水中,因以巨瓢尽涸其水,使人入而鋸之,木遂断。
書き下し
尹見心、知県たり。県は河に近く、河中に一樹有り、水中より生じ、年有り、しばしば人の舟を壊す。見心、命じてこれを去らしむ。民曰く、「根は水中にありて甚だ固く、去るを得ず」と。見心、水に入るに能くする者一人を遣わし、往きてその長短若干を量らしめ、一つの杉木の大桶を為り、木よりやや長く、その両頭を空しくし、樹杪より穿ち下し、打ちて水中に入れ、因りて巨瓢を以て尽く其の水を涸らし、人をして入りてこれを鋸らしむ。木遂に断たる。
現代語訳
尹見心は県知事であった。県は河に近く、河の中に一本の木が水中から生えていて、長年、しばしば人々の舟を壊していた。尹見心は命じてそれを取り除かせようとした。民は言った。「根が水の中でとても固く、取り除けません。」尹見心は水に潜るのがうまい者を一人派遣し、行ってその木の長さを測らせ、杉の木で大きな桶を作らせた。その桶は木より少し長く、両端を空洞にし、木の梢から差し込んで下ろし、水中へ打ち込み、そうして大きな柄杓で桶の中の水をすっかりかき出し、人に入ってのこぎりで切らせた。木はついに切り倒された。
解説
水の中の木は切れないという前提を、桶で水を隔離して乾いた空間を作るという発想で覆した話です。切る道具や力を増やすのではなく、作業環境を変えることで不可能を可能にしました。潜水夫に長さを測らせてから桶を作る段取りも、現場の調査に基づいており、行き当たりばったりではありません。管理職は、できないという現場の声を、問題の定義そのものを疑うきっかけにできます。ただ原文は工事の安全面や作業時間には触れておらず、実際の施工の細部は確かではありません。環境を変えて課題を解く姿勢が大切です。
この章句が説くこと
水中樹杉木桶涸水鋸断環境を変える現場調査
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