智囊 / 敏悟・懷丙・明成祖
宋河中府浮梁,用鐵牛八維之,一牛且數萬斤。治平中,水暴漲絕梁,牽牛沒於河。募能出之者,真定僧懷丙以二大舟實土,夾牛維之,用大木為權衡狀鉤牛,徐去其土,舟浮牛出。轉運使張燾以聞,賜之紫衣。成祖勒高皇帝功德碑於鍾山。碑既鉅麗非常,而龜趺太高,無策致之。一日夢有神人告之曰:「欲豎此碑,當令龜不見人,人不見龜。」既寤,思而得之。遂令人築土與龜背平,而輦碑其上,既定而去土,遂不勞力而畢。
新字:宋河中府浮梁,用鉄牛八維之,一牛且数万斤。治平中,水暴漲絶梁,牽牛没於河。募能出之者,真定僧懐丙以二大舟実土,夾牛維之,用大木為権衡状鉤牛,徐去其土,舟浮牛出。転運使張燾以聞,賜之紫衣。成祖勒高皇帝功徳碑於鍾山。碑既鉅麗非常,而亀趺太高,無策致之。一日夢有神人告之曰:「欲豎此碑,当令亀不見人,人不見亀。」既寤,思而得之。遂令人築土与亀背平,而輦碑其上,既定而去土,遂不労力而畢。
書き下し
宋の河中府の浮梁は、鉄牛を用いてこれを八維す。一牛は且に数万斤なり。治平中、水暴かに漲りて梁を絶ち、牽く牛は河に没す。能くこれを出す者を募る。真定の僧懐丙、二大舟に土を実たし、牛を夾みてこれを維ぎ、大木を用いて権衡の状と為して牛を鉤し、徐ろにその土を去れば、舟浮かびて牛出ず。転運使張燾、以て聞し、紫衣を賜る。成祖、高皇帝の功徳碑を鍾山に勒す。碑は既に鉅麗非常にして、而して亀趺太だ高く、致す策無し。一日夢に神人有りて告げて曰く、「この碑を竪てんと欲せば、当に亀をして人に見えず、人をして亀を見ざらしむべし」と。既に寤めて、思いて得たり。遂に人をして土を築きて亀の背と平らかにせしめ、而して碑を其の上に輦し、既に定まりて土を去る。遂に力を労せずして畢る。
現代語訳
宋の河中府の浮橋は、鉄の牛を使って八方から係留していた。一頭の牛は数万斤もあった。治平年間、水が急にあふれて橋が切れ、橋をつないでいた牛は川に沈んだ。これを引き揚げられる者を募集した。真定の僧懐丙は、二艘の大船に土を満載し、牛を挟んで綱でつなぎ、大木で秤の形を作って牛を引っかけ、ゆっくりと船の土を取り除くと、船が浮き上がって牛が引き揚げられた。転運使の張燾がこれを報告し、懐丙は紫衣を賜った。成祖は高皇帝(太祖)の功徳を記す碑を鍾山に建てようとした。碑は並外れて巨大で立派であり、亀の台座が非常に高く、持ち上げる方法がなかった。ある日、夢に神人が現れて告げた。「この碑を建てようと思うなら、亀が人に見えず、人が亀を見えないようにしなさい。」目覚めてから考えて答えを得た。そこで人に土を築いて亀の背と同じ高さにさせ、その上に碑を車で運び、位置が決まってから土を取り除いた。こうして力を使わずに完成した。
解説
この章句が説くこと
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