智囊 / 經務・賀盛瑞
金剛牆實土,而在工夫止二十餘名,二人一筐,非三五日不可。公下令曰:「多抬土一筐,加錢二文,以朱木屑為記。」各夫飛走,不終日而畢。錦衣衛題修鹵簿,計費萬金,公嫌其濫,監工內臣持毀壞者俱送司。公閱之,謂曰:「此諸弁畏公精明,作此伎倆,以實題中疏語耳,不然,駕閣庫未聞火,而銅帶胡由而焦,舊宜腐,胡直斷如切。」內臣如言以詰諸弁,且言欲參,諸弁跪泣求免,工完無敢嘩。用未及千,而鹵簿已煥然矣。,永寧長公主舉殯。例搭席殿群房等約三百餘間,內使臨行時俱拆去。公令擇隙地搭蓋,以揪棍橫穿於杉木纜眼下埋之,席用麻繩連合。在工之人,無不笑公之作無益也。殯訖,內官果來取木,木根牢固,席復連合,即以力斷繩,取之不易,遂舍之去。公呼夫匠謂曰:「山中風雨暴至,無屋可避,除大殿拆外,餘小房留與汝輩作宿食,何如?」眾僉曰:「便。」公曰:「每一席官價一分五釐,今只作七釐,抵工價,拆棚日,悉聽爾等將去,斷麻作麻筋用,木作回料,何如?」眾又曰:「便。」
新字:金剛牆実土,而在工夫止二十余名,二人一筐,非三五日不可。公下令曰:「多抬土一筐,加銭二文,以朱木屑為記。」各夫飛走,不終日而畢。錦衣衛題修鹵簿,計費万金,公嫌其濫,監工内臣持毀壊者倶送司。公閲之,謂曰:「此諸弁畏公精明,作此伎倆,以実題中疏語耳,不然,駕閣庫未聞火,而銅帯胡由而焦,旧宜腐,胡直断如切。」内臣如言以詰諸弁,且言欲参,諸弁跪泣求免,工完無敢嘩。用未及千,而鹵簿已煥然矣。,永寧長公主舉殯。例搭席殿群房等約三百余間,内使臨行時倶拆去。公令択隙地搭蓋,以揪棍横穿於杉木纜眼下埋之,席用麻縄連合。在工之人,無不笑公之作無益也。殯訖,内官果来取木,木根牢固,席復連合,即以力断縄,取之不易,遂舎之去。公呼夫匠謂曰:「山中風雨暴至,無屋可避,除大殿拆外,余小房留与汝輩作宿食,何如?」衆僉曰:「便。」公曰:「毎一席官価一分五釐,今只作七釐,抵工価,拆棚日,悉聴爾等将去,断麻作麻筋用,木作回料,何如?」衆又曰:「便。」
書き下し
金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
現代語訳
金剛牆は土を詰めて築く壁だが、工事に従事する人夫はわずか二十余名であった。二人で一つの土籠を運ぶやり方では、三日から五日かからなければ終わらない。公は命令を出した。「余分に土を運んだ籠ごとに、銭二文を加える。朱色の木くずで目印とする」。人夫たちは飛ぶように走り、一日も終わらないうちに仕上がった。錦衣衛が儀仗(鹵簿)の修理を上奏し、費用は万金と見積もられた。公はその水増しを嫌い、監工の宦官が壊れていると言った物をすべて役所に送らせた。公はそれを調べて言った。「これは諸々の武官が公の目の鋭さを恐れ、この手口で上奏の言葉に合わせて見せかけたのだ。そうでなければ、駕閣庫は火事の知らせもないのに、銅の帯がどうして焦げるのか。古くなれば腐るはずなのに、なぜ切ったようにまっすぐ断たれているのか」。宦官は言われたとおりに武官たちを問い詰め、上奏するとも言った。武官たちはひざまずいて泣き、許しを求め、工事が終わっても誰も騒ぎ立てなかった。費用は千にも満たないうちに、儀仗はすでに輝くように仕上がった。永寧長公主の棺を移す葬礼があった。例として、筵の殿舎や付属の建物など三百余間を組む。内使は出発の時にすべて取り壊して去る。公は空き地を選んで組み建てさせ、杉の柱の縄穴の下に、横木を貫いて地中に埋め、筵は麻縄でつなぎ合わせさせた。工事にいる人は、公のすることが無益だと笑わない者はなかった。葬礼が終わると、内官は果たして木を取りに来た。木の根はしっかり固まり、筵は連結されたままで、力で縄を切って取ろうとしても簡単でなく、とうとう諦めて去った。公は人夫と職人を呼んで言った。「山中は風雨が突然来るが、避けられる屋根がない。大殿を壊す以外は、残りの小屋はあなたたちに残して寝食の場にさせよう。どうか」。皆は「便利です」と言った。公は言った。「一枚の筵の官価は一分五釐だが、今は七釐だけ作り、工賃に充てる。仮屋を壊す日には、すべてあなたたちが持ち去ることを許す。麻を切って麻の繊維にし、木は回収材にしろ。どうか」。皆はまた「便利です」と言った。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・賀盛瑞献陵の山溝の両岸は、旧は磚を用いて砌く(山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。年ごとに修して年ごとに圮れ、徒らに金銭を耗す)。督工主事賀盛瑞は石を用いんと欲するも、中貴は歳ごとに冒被を利とし、旧に仍るを主とす。賀は乃ち工の上作官を呼びて之に謂いて曰く、「此の溝岸は何を以てか能く久しからん」と。対えて曰く、「宜しく黒城磚を用い、灰漿を灌ぐべし」と。公曰く、「黒城磚は多甚し。内官は何ぞ二三万を折して用いざる」と。作官は「畏れて敢えてせず」と対う。公曰く、「第だ之を言え、我は査せず」と。作官は言の如く以て内監に告ぐ。中官は疑いを懐き、公の意を解せず。然れども利は其の心を動かし、遂に二万を折す。久しく言わず。一日、同じく溝岸の尽きる処に至り、中官に謂いて曰く、「此の処は旧と黒城磚を用いしか」と。中官曰く、「然り」と。公曰く、「山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。之を砌くも何の益あらん。石を用いるに如かず」と。中官曰く、「陵山の石は、誰人か敢えて動かさん」と。公は笑いて曰く、「溝内の浮石は、之を去りて以て流水を疏さんと欲する者にあらずや」と。中官は既に其の餌に中り、復た言う敢えず。是に於いて毎日五鼓に点卯し、夫匠は各おの三十斤の一石を帯び、日ならずして山を成す。原の估は磚二十万、既に石を用い、費は五万に過ぎず。墳頂の石は重さ万余斤、石工は言う、「五百人に非ざれば秤り起こす能わず」と。公は、夫を京より取れば、遠きこと五十余里にして、用は止だ片時なるに、人をして往返百里せしむるは、価を給せば公に難く、給せざれば私に難しと念い、乃ち近村の壮丁に片時を借り、人ごとに銭三文を給す。費は千余銭ならず、而して石は已に筍に合う。
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『智囊』經務・賀盛瑞嘉靖中、三殿を修す。中道の階石は長さ三丈、闊さ一丈、厚さ五尺。順天等八府の民夫二万を派し、旱船を造りて拽運す。府県の佐二官を派して之を督せしめ、里ごとに一井を掘り、以て旱舡を澆ぎ、渴飲を資け、二十八日にして京に到るを計る。官民の費は総計して銀十一万両有奇。万暦中、鼎建の両宮の大石も、御史亦た五城の人夫を僉用するの議あり。工部郎中賀盛瑞は、主事郭知易の議を用い、十六輪の大車を造り、騾一千八百頭を用いて拽運し、二十二日にして京に到るを計る。費は七千両に足らず。又た四輪の官車百輛を造り、殷実の戸を召募して之を領せしめ、木石を拽運し、毎日騾を計りて直を給す。其の車価は輛ごとに百金、毎年その運価二十両を扣し、五年を以て率と為し、官銀は固より在り、一民も擾がず。慈寧宮の石礎二十余あり、公、令して工所に運入せしむ。内監は嘩然として旧しと言う。公曰く、「石、安んぞ旧しと言うを得ん。一鑿すれば便ち新たなり。事あらば我自ら当たらん。爾の累ならざるなり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞都城の重城の根脚下は、雨水に沖激せられ、歳久しくして坑と成り、齧りて将に城に及ばんとす。名づけて「浪窩」と曰う。監督員外は部堂の旨を受け、吳家村の黄土を運びて填築せんと議す。京城を去ること二十里にして遥か、估銀は万一千余両。公は建議す、「但だ城壕の土を取りて以て填塞すれば、浪窩は土を得て之を築くこと固く、城壕は土を去りて之を濬うこと深し。銀を省き功倍す。計、此より便なるは無し」と。完工に比し、止だ九百有奇を費やすのみ。〔馮按〕両宮の役、賀公が政を為す。事例既に開く。凡そ通状の到る日に即ち帖を給し、銀完りて次日に即ち咨を給す。事に留宿無く、吏は勒掯し難く、赴く者は雲集し、銀百万両を得たり。公は毎事に核実し、浮費を裁去し、竟に七十万を以て役を竣う。省く所は九十万有奇。工甫めて完れるに、反って不職を以て論じて去らる。冤なるかな。然れども余、公の子仲軾の輯むる所の『冬官紀事』を覧るに、木商を抑え、窯税を清むるが如き、往々にして必ず其の意を行い、主怨を辞せず。宜なるかな、権貴の側目するや。夫れ用世の才有りて、而も必ず其の才を絀して以て世に容れられんことを求めしむ。国家は亦た何の利あらんや。吁、歎ずべきのみ。
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『智囊』經務・鄭曉時公曰く、「午門以裏の台基の壊石は、長安の両門に移し出すこと甚だ遠し。今、厚載門の修砌・剝岸は、若し軍に命じて右順門に搬出し、啓明門の前より下りて北するは甚だ近し。就ち此の石を以て剝岸を作り填堵すれば、工部の估料を減ずるを須いず、但だ軍士の労力を省くのみにても亦た可なり」と。黄又た曰く、「善し」と。公曰く、「旧例では、火焦の木は、軍が琉璃・黒窯の二廠に搬送す。往回四十里なり。今、焦木は皆な長大にして、唯だに皇城の諸門のみ出で難きにあらず、外面の房は稠く路は狭く、行き難く転じ難し。況んや今は災変にして、各門の内臣の小房は、毁れざれば即ち折壊す。必ず修蓋して方に身を容るべし。焦木を左右順門の外、東西の宝善・思善の二門の前後、並びに啓明・長庚の両長街に移し出し、各内臣に聴して焦皮を擘き炭と作さしめ、木心の用うべき者は任便取り去りて、各おの私房を修めしむに若くは莫し。皇城内の物を以て皇城内の房を修め、皇城の四門を出でざれば、亦た財力を省かん」と。黄又た曰く、「善し」と。錦衣の趙千戸、陸錦衣の帖を持ち来たりて言う、「軍士の搬出せる火焦は、俱に長安の両門外、大街の両旁に置く。四夷の朝貢の人の往来するに、見て不雅なり。慶寿寺の西の夾道に深坑あり。火焦を以て填満すべし」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞神宮監の修造は、例として板瓦を用う。然れども官瓦は黒くして悪く、毎片の価は一分四釐。民瓦は白くして堅く、毎片の価は止だ三釐。諸閹は陰かに官窯に耗食すること久しく、民瓦は利する莫し。盛公、事を督するや、躬ら監に至り、諸閹に謂いて曰く、「監の修すること幾年か」と。老成者は応えて曰く、「三十余年」と。公曰く、「三十余年にして漏ること此の若きは、瓦の薄く悪しきを以ての故にあらざるか」と。曰く、「然り」と。公は乃ち陰かに官・民の瓦を各おの一千運び、記するに字を以てして之を参聚せしむ。是に於いて監工の本陵掌印と合陵の中官を邀えて瓦の所に至り、公は謂いて曰く、「瓦は唯だ衆に択ばしめて可なる者を取れ」と。僉な曰く、「白き者は佳し」と。取りて之を験するに、民瓦なり。公曰く、「民瓦は既に佳く且つ賤し。何を苦しんで官窯を用いんや」と。監者曰く、「此れ祖宗の旧制なり。誰か敢えて之に違わん」と。公曰く、「祖制が官窯を用いるは、官が民に勝るが為なり。豈に錢糧を冒被し、此に至るまで堪えざるを謂わんや。餘は正に疏を具し、監官を借りて証と為さんと欲するのみ」と。遂に去る。監者は隨いて寓に至り、気を下して公に謂いて曰く、「此の端、一たび開かば、官窯は用無く、且つ罪を得ん。旧の如くせんことを請う」と。公は可とせず。官・民各半ばを用いんことを請うも、復た可とせず。監者は奪うべからざるを知り、乃ち曰く、「唯だ公の命ぜんとするままに。第だ幸いに他の監工者に泄らす勿かれ」と。是に於いて民瓦二十万を用い、帑金二千余を省く。
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『智囊』通簡・張永張永、蕪湖の令を授けられる。蕪は孔道に当たり、使客の厨伝は日に給するに暇あらず、民は坐ろに困憊す。章聖の梓宮の南に祔するや、過ぐる所の都邑は綺紈の帳殿を設け、供器は金を冶して之を為り、又た閹宦は厚く賂遺を索め、一も意に当たらざれば、輒ち官司を辱め、官司は敢えて誰何する莫し。永は江に瀕する仏寺に於いて、其の棟宇を堊して帳殿に代え、供器を飾るに箔金を以て冶に代え、省く費は貲らず、而して調度に方有り、卒に境上に歓呶する者無し。
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