智囊 / 經務・賀盛瑞
獻陵山溝兩岸,舊用磚砌(山水暴發,磚不能御也。年修年圮,徒耗金錢。督工主事賀盛瑞欲用石,而中貴歲利冒被,主於仍舊。賀乃呼工上作官謂之曰:「此溝岸何以能久?」對曰:「宜用黑城磚,而灌以灰漿。」公曰:「黑城磚多甚,內官何不折二三萬用?」作官對以「畏而不敢」,公曰:「第言之,我不查也。」作官如言以告內監。中官懷疑,未解公意,然利動其心,遂折二萬。久之不言,一日同至溝岸盡處,謂中官曰:「此處舊用黑城磚乎?」中官曰:「然。」公曰:「山水暴發,磚不能御,砌之何益,不如用石。」中官曰:「陵山之石,誰人敢動?」公笑曰:「溝內浮石,非欲去之以疏流水者乎?」中官既中其餌,不敢復言。於是每日五鼓點卯,夫匠各帶三十斤一石,不數日而成山矣,原估磚二十萬,既用石,費不過五萬。墳頂石,重萬餘斤,石工言,非五百人不能秤起,公念取夫於京,遠且五十餘里,用止片時,而令人往返百里,給價難為公,不給價難為私,乃於近村壯丁借片時,人給錢三文,費不千餘錢,而石已合筍矣。
新字:献陵山溝両岸,旧用磚砌(山水暴発,磚不能御也。年修年圮,徒耗金銭。督工主事賀盛瑞欲用石,而中貴歳利冒被,主於仍旧。賀乃呼工上作官謂之曰:「此溝岸何以能久?」対曰:「宜用黒城磚,而灌以灰漿。」公曰:「黒城磚多甚,内官何不折二三万用?」作官対以「畏而不敢」,公曰:「第言之,我不查也。」作官如言以告内監。中官懐疑,未解公意,然利動其心,遂折二万。久之不言,一日同至溝岸尽処,謂中官曰:「此処旧用黒城磚乎?」中官曰:「然。」公曰:「山水暴発,磚不能御,砌之何益,不如用石。」中官曰:「陵山之石,誰人敢動?」公笑曰:「溝内浮石,非欲去之以疏流水者乎?」中官既中其餌,不敢復言。於是毎日五鼓点卯,夫匠各帯三十斤一石,不数日而成山矣,原估磚二十万,既用石,費不過五万。墳頂石,重万余斤,石工言,非五百人不能秤起,公念取夫於京,遠且五十余里,用止片時,而令人往返百里,給価難為公,不給価難為私,乃於近村壮丁借片時,人給銭三文,費不千余銭,而石已合筍矣。
書き下し
献陵の山溝の両岸は、旧は磚を用いて砌く(山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。年ごとに修して年ごとに圮れ、徒らに金銭を耗す)。督工主事賀盛瑞は石を用いんと欲するも、中貴は歳ごとに冒被を利とし、旧に仍るを主とす。賀は乃ち工の上作官を呼びて之に謂いて曰く、「此の溝岸は何を以てか能く久しからん」と。対えて曰く、「宜しく黒城磚を用い、灰漿を灌ぐべし」と。公曰く、「黒城磚は多甚し。内官は何ぞ二三万を折して用いざる」と。作官は「畏れて敢えてせず」と対う。公曰く、「第だ之を言え、我は査せず」と。作官は言の如く以て内監に告ぐ。中官は疑いを懐き、公の意を解せず。然れども利は其の心を動かし、遂に二万を折す。久しく言わず。一日、同じく溝岸の尽きる処に至り、中官に謂いて曰く、「此の処は旧と黒城磚を用いしか」と。中官曰く、「然り」と。公曰く、「山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。之を砌くも何の益あらん。石を用いるに如かず」と。中官曰く、「陵山の石は、誰人か敢えて動かさん」と。公は笑いて曰く、「溝内の浮石は、之を去りて以て流水を疏さんと欲する者にあらずや」と。中官は既に其の餌に中り、復た言う敢えず。是に於いて毎日五鼓に点卯し、夫匠は各おの三十斤の一石を帯び、日ならずして山を成す。原の估は磚二十万、既に石を用い、費は五万に過ぎず。墳頂の石は重さ万余斤、石工は言う、「五百人に非ざれば秤り起こす能わず」と。公は、夫を京より取れば、遠きこと五十余里にして、用は止だ片時なるに、人をして往返百里せしむるは、価を給せば公に難く、給せざれば私に難しと念い、乃ち近村の壮丁に片時を借り、人ごとに銭三文を給す。費は千余銭ならず、而して石は已に筍に合う。
現代語訳
献陵の山の溝の両岸は、以前は磚で築いていた(山の水が急に出ると磚では防げず、毎年修理しては毎年崩れ、無駄に金銭を費やした)。工事監督の主事賀盛瑞は石を使おうとしたが、宦官たちは毎年の水増しと横領の利益を求めて、従来どおりにしようとした。賀はそこで工事の作業長を呼んで言った。「この溝の岸はどうすれば長持ちするか」。作業長は答えた。「黒城磚を使い、石灰の漿を流し込むべきです」。公は言った。「黒城磚はとても多い。宦官たちはなぜ二、三万を割いて使わないのか」。作業長は「恐れて敢えてしません」と答えた。公は言った。「ただそう言えばよい。私は調べない」。作業長は言われたとおり宦官に告げた。宦官は疑いを抱き、公の意図が分からなかった。しかし利益が心を動かし、ついに二万を割り当てた。しばらく公は何も言わなかった。ある日、一緒に溝岸の端まで行き、宦官に言った。「ここはもともと黒城磚を使ったのか」。宦官は「そうです」と答えた。公は言った。「山の水が急に出れば磚では防げない。築いても何の益があろう。石を使う方がよい」。宦官は言った。「陵山の石は、誰が敢えて動かしましょう」。公は笑って言った。「溝の中の浮き石は、取り除いて流れを通したいものではないか」。宦官はすでにその餌にかかっており、もう何も言えなかった。そこで毎日、夜明けに点呼し、人夫と職人はそれぞれ三十斤ほどの石を一つ持たせ、数日で山のようになった。もとの見積もりは磚二十万だったが、石を使ったため費用は五万を超えなかった。墓の頂の石は重さ一万斤余りで、石工は「五百人でなければ持ち上げられません」と言った。公は、人夫を京から取れば五十里余りも遠く、用は少しの間なのに、人に往復百里させることになり、賃金を払えば公費に障り、払わなければ私にとって気の毒だと考え、近くの村の壮丁にしばらく手を貸してもらい、一人に銭三文を与えた。費用は千銭にも満たず、石はすでにほぞに合った。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・賀盛瑞金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞都城の重城の根脚下は、雨水に沖激せられ、歳久しくして坑と成り、齧りて将に城に及ばんとす。名づけて「浪窩」と曰う。監督員外は部堂の旨を受け、吳家村の黄土を運びて填築せんと議す。京城を去ること二十里にして遥か、估銀は万一千余両。公は建議す、「但だ城壕の土を取りて以て填塞すれば、浪窩は土を得て之を築くこと固く、城壕は土を去りて之を濬うこと深し。銀を省き功倍す。計、此より便なるは無し」と。完工に比し、止だ九百有奇を費やすのみ。〔馮按〕両宮の役、賀公が政を為す。事例既に開く。凡そ通状の到る日に即ち帖を給し、銀完りて次日に即ち咨を給す。事に留宿無く、吏は勒掯し難く、赴く者は雲集し、銀百万両を得たり。公は毎事に核実し、浮費を裁去し、竟に七十万を以て役を竣う。省く所は九十万有奇。工甫めて完れるに、反って不職を以て論じて去らる。冤なるかな。然れども余、公の子仲軾の輯むる所の『冬官紀事』を覧るに、木商を抑え、窯税を清むるが如き、往々にして必ず其の意を行い、主怨を辞せず。宜なるかな、権貴の側目するや。夫れ用世の才有りて、而も必ず其の才を絀して以て世に容れられんことを求めしむ。国家は亦た何の利あらんや。吁、歎ずべきのみ。
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『智囊』經務・賀盛瑞嘉靖中、三殿を修す。中道の階石は長さ三丈、闊さ一丈、厚さ五尺。順天等八府の民夫二万を派し、旱船を造りて拽運す。府県の佐二官を派して之を督せしめ、里ごとに一井を掘り、以て旱舡を澆ぎ、渴飲を資け、二十八日にして京に到るを計る。官民の費は総計して銀十一万両有奇。万暦中、鼎建の両宮の大石も、御史亦た五城の人夫を僉用するの議あり。工部郎中賀盛瑞は、主事郭知易の議を用い、十六輪の大車を造り、騾一千八百頭を用いて拽運し、二十二日にして京に到るを計る。費は七千両に足らず。又た四輪の官車百輛を造り、殷実の戸を召募して之を領せしめ、木石を拽運し、毎日騾を計りて直を給す。其の車価は輛ごとに百金、毎年その運価二十両を扣し、五年を以て率と為し、官銀は固より在り、一民も擾がず。慈寧宮の石礎二十余あり、公、令して工所に運入せしむ。内監は嘩然として旧しと言う。公曰く、「石、安んぞ旧しと言うを得ん。一鑿すれば便ち新たなり。事あらば我自ら当たらん。爾の累ならざるなり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞神宮監の修造は、例として板瓦を用う。然れども官瓦は黒くして悪く、毎片の価は一分四釐。民瓦は白くして堅く、毎片の価は止だ三釐。諸閹は陰かに官窯に耗食すること久しく、民瓦は利する莫し。盛公、事を督するや、躬ら監に至り、諸閹に謂いて曰く、「監の修すること幾年か」と。老成者は応えて曰く、「三十余年」と。公曰く、「三十余年にして漏ること此の若きは、瓦の薄く悪しきを以ての故にあらざるか」と。曰く、「然り」と。公は乃ち陰かに官・民の瓦を各おの一千運び、記するに字を以てして之を参聚せしむ。是に於いて監工の本陵掌印と合陵の中官を邀えて瓦の所に至り、公は謂いて曰く、「瓦は唯だ衆に択ばしめて可なる者を取れ」と。僉な曰く、「白き者は佳し」と。取りて之を験するに、民瓦なり。公曰く、「民瓦は既に佳く且つ賤し。何を苦しんで官窯を用いんや」と。監者曰く、「此れ祖宗の旧制なり。誰か敢えて之に違わん」と。公曰く、「祖制が官窯を用いるは、官が民に勝るが為なり。豈に錢糧を冒被し、此に至るまで堪えざるを謂わんや。餘は正に疏を具し、監官を借りて証と為さんと欲するのみ」と。遂に去る。監者は隨いて寓に至り、気を下して公に謂いて曰く、「此の端、一たび開かば、官窯は用無く、且つ罪を得ん。旧の如くせんことを請う」と。公は可とせず。官・民各半ばを用いんことを請うも、復た可とせず。監者は奪うべからざるを知り、乃ち曰く、「唯だ公の命ぜんとするままに。第だ幸いに他の監工者に泄らす勿かれ」と。是に於いて民瓦二十万を用い、帑金二千余を省く。
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『智囊』經務・鄭曉時公は又た曰く、「奉天門の階沿石は一塊三級、殿上の柱磉の大なる者は方二丈なり。此の如く重大にして、往時の皇城に門限の隔て無く拽ぎ進むべきに比せず。近年、九廟の災に、木石の諸料は進むること能わず、承天門の東牆を拆去して方に進み得たり。今の料は九廟に比して又た三重門を進むれば、尤も力を為し難し。焦土を起開し、旧き階沿・磉石・地面の花板石を、逐一に番転すれば、尚お堅厚にして用うべきものあり。下面を番取し、工を加えて之を用う。殿上の三級の台基及び楼門の台基に至るまで、俱に午門の如く挖補すれば皆な可なり。公、能く力めて此の議を主れば、夫力を省くこと万万、銀糧は何ぞ数百万に至らん。驢騾・車輛も又た幾ばくか知らず。莫大の功徳なり」と。徐は甚だ喜び、後三日に再び議し、悉く前説の如し。
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『智囊』經務・賀盛瑞公は初年の税入を査するに、歳ごとに千金を下らず。該局の轄する窯座は、京師及び通州・昌平・良・涿等の処より、歳の磚瓦に税するもの百万に近し。後に工部が商を招きて買弁せしめしより、局には片瓦も無し。公は既に其の事に任ずるや、稍や稽査するに、即ち木商王資の一項ですら漏銀一百零九両なり。他は知るべし。嗣いで窯税を査するに、中貴の王明が梗を為す。公は、中貴は制すべからざるも販戸は制すべしと謂い、即ち通衢に出示し、巡軍・軍民人等に厳論す。「敢えて王明の磚瓦を買い販ぐこと有らば、漏税を以て論ず。官吏・軍餘の売放する者は、諸人の詳告を許し、即ち漏出の磚瓦を以て賞に充てん」と。王明の窯は三十余座、月余にして片瓦も售れず、哀求して報税す。諸勢要は風を聞きて税を輸し、即ち一季の収むる所は二十余万を逾え、一歳の積む所は、勳戚の祭葬の取用を除くの外、該局の積みは隙地無し。各衙門の小修は、五月にして取給す。
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