呻吟語 / 内篇・應務・事を料るに疏にして身を謀るに拙なり
疏於料事,而拙於謀身,明哲者之所懼也。
書き下し
事を料るに疏にして、身を謀るに拙なるは、明哲なる者の懼るる所なり。
現代語訳
事を見積もるのに粗く、身を守るのに不器用なのは、明察のある者が恐れるところです。
解説
二つの粗さを並べます。事の見積もりと、自分の身の処し方。前者だけでは仕事が成らず、後者だけでは身が持ちません。明哲な人が恐れるのはこの両方だとされており、仕事の腕と身の処し方は別の技術だと分かります。前に出てきた、明哲は難を避けることではないという段と合わせて読むと、保身の位置づけが見えてきます。仕事の腕と身の処し方は、別の技術だと分かります。
この章句が説くこと
見積もり保身粗さ明哲両輪
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