智囊 / 應卒・劉巴
備攻劉璋,備與士眾約:「若事定,府庫百物,孤無預焉。」及拔成都,士眾皆舍戈赴諸藏競取寶物,軍用不足,備甚憂之,劉巴曰:「易耳,但當鑄直百錢,平諸物價,令吏為官市。」備從之,數月之間府庫充實。〔評〕無官市則直百錢不能行。但要緊在平價,則民不擾,而從之如水矣。
新字:備攻劉璋,備与士衆約:「若事定,府庫百物,孤無預焉。」及抜成都,士衆皆舎戈赴諸蔵競取宝物,軍用不足,備甚憂之,劉巴曰:「易耳,但当鋳直百銭,平諸物価,令吏為官市。」備従之,数月之間府庫充実。〔評〕無官市則直百銭不能行。但要緊在平価,則民不擾,而従之如水矣。
書き下し
備、劉璋を攻むるに、備、士衆と約す、「もし事定まらば、府庫の百物、孤は預かる無し」と。成都を抜くに及び、士衆みな戈を舎てて諸蔵に赴き、競いて宝物を取る。軍用足らず、備甚だこれを憂う。劉巴曰く、「易きのみ。ただ当に直百銭を鋳て、諸物の価を平らげ、吏をして官市を為さしむべし」と。備これに従い、数月の間に府庫充実す。〔評〕官市無くんば則ち直百銭行われず。ただ要は価を平らぐるに在り。則ち民は擾れず、而してこれに従うこと水の如し。
現代語訳
劉備が劉璋を攻めるとき、兵士たちと約束した。「事が成ったら、蔵の中の品々はわしは関与しない(兵に与える)」。成都を落とすと、兵士たちはみな武器を捨てて蔵に駆け込み、先を争って宝物を奪った。そのため軍の費用が足りなくなり、劉備は大いに心配した。劉巴は言った。「簡単です。直百銭を鋳造し、物価を安定させ、役人に官営の市を開かせるのです。」劉備はこれに従い、数か月のうちに蔵はいっぱいになった。〔評〕官営の市がなければ直百銭は流通しなかった。大事なのは物価を安定させることで、そうすれば民は乱れず、水が流れるように従う。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』三国権先主、成都を囲むこと数十日、璋出でて降る。蜀中殷盛豊楽なり。先主、酒を置き大いに士卒を饗し、蜀の城中の金銀を取りて将士に分賜し、其の穀帛を還す。初め劉璋を攻むるに、備、士衆と約して曰く「若し事定まらば、府庫の百物、孤は予ること無し」と。成都を抜くに及び、士衆皆干戈を捨てて諸蔵に赴き、競いて宝物を取る。軍用足らず、備甚だ之を憂う。劉巴曰く「易きのみ。但だ当に直百銭を鋳、諸物の価を平らにし、吏をして官市を為さしむべし」と。備之に従う。数月の間に、府庫充実す。先主、益州牧を領し、諸葛亮を股肱と為し、法正を謀主と為し、関侯・張飛・馬超を爪牙と為し、許靖・麋竺・簡雍を賓友と為す。董和・黄権・李厳等は、本と璋の援用する所なり。呉壹・費観等は、又た璋の婚親なり。彭羕は、又た璋の排擯する所なり。劉巴は、宿昔の忌恨する所なり。皆之を顕任に処き、其の器能を尽くさしむ。有志の士、競い勧まざるは無きなり。〕
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『智囊』權奇・秦檜京下、忽ち現銭を闕き、市間頗る皇皇たり。忽ち一日、秦相檜、一鑷工を呼びて髪を櫛らしめ、五千当二の銭を以て之を犒い、諭して曰く、「此の銭、数日にして旨有りて使わず。早く用うべし」と。鑷工、遂に外人と之を言い、三日ならずして京下の現銭、頓に出づ。又た都下の貨、壅がり、現鏹に乏し。府尹、以て聞す。檜、笑いて曰く、「易きのみ」と。即ち文思院の官を召す。未だ至らざるに、促す者絡繹として、奔りて来たる。之に諭して曰く、「適たま旨を得たり、銭法を変えんと欲す。樣銭一緡を鋳て進呈し、現鏹を廃して用いざらしめよ」と。約するに翌午に事畢るを以てす。院官唯唯として出で、工を召して之を為す。富家、之を聞き、尽く宿鏹を出して金粟を市う。物価大いに昂まり、銭は市に溢る。既にして樣銭、省に上るも、寂として聞くこと無し。〔評議〕賊檜も亦た尽く応変の才有り、喜ぶべし。然れども小人も才無くんば、亦た小人たる能わず。
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『智囊』應卒・黃炳嘉熙の間、峒丁、吉州に反す。万安の宰黄炳、兵を鳩めて守備す。一日五更、探報す、「寇まさに至らんとす」と。巡尉を遣わし兵を引いて敵を迎えしむるに、みな曰く、「空腹いかんせん」と。炳曰く、「ただ速やかに行け、飯まさに至らん」と。炳すなわち吏輩を率い、竹籮・木桶を携え、市民の門に沿いて曰く、「知県、飯を買う」と。時に人家は晨炊まさに熟し、みな熱飯・熟水有り。厚くその値に酬い、これを負いて以て行く。ここにおいて士卒みな飽餐し、一戦して寇を破る。これに由りて功を論じ、擢んでられて臨川を守る。
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『智囊』權奇・文彥博起居舎人毋湜、至和中に上言し、陝西の鉄銭を廃せんことを乞う。朝廷、従わずと雖も、其の郷人、多く之を知り、争いて鉄銭を以て物を買う。売る者、受くるを肯ぜず。長安、之が為に乱る。民、多く肆を閉ず。僚属、之を禁ぜんことを請う。文彦博曰く、「是くの如くんば、是れ愈いよ惑い擾すなり」と。乃ち絲絹の行人を召し、其の家の縑帛数百匹を出して之を売らしめて曰く、「其の直を納むるに尽く鉄銭を以てせよ、銅銭を以てする勿かれ」と。是に於いて衆、鉄銭の廃せられざるを知り、市肆復た安んず。
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