智囊 / 靈變・樸恒
嘗有覓親屍於戰場,潰腐不可物色者。高麗臣樸恒父母歿於蒙古之兵,恒從積屍中得相似者輒收瘞,凡三百餘人。此亦一法。〔述評〕元祐間有大臣某,父貶死珠崖,寓柩不歸。既貴,自過海迎取。歲久,無能識者。僧房中有數柩枯骨,無款記。不獲已,挈一棺歸,與其母合葬。後竟傳誤取亡僧骨者,方知樸恒有見。
新字:嘗有覓親屍於戦場,潰腐不可物色者。高麗臣樸恒父母歿於蒙古之兵,恒従積屍中得相似者輒収瘞,凡三百余人。此亦一法。〔述評〕元祐間有大臣某,父貶死珠崖,寓柩不帰。既貴,自過海迎取。歳久,無能識者。僧房中有数柩枯骨,無款記。不獲已,挈一棺帰,与其母合葬。後竟伝誤取亡僧骨者,方知樸恒有見。
書き下し
嘗て親の屍を戦場に覓むる者有り。潰腐して物色す可からず。高麗の臣の樸恒は、父母を蒙古の兵に歿し、恒は積屍の中より相い似たる者を得て輒ち収め瘞め、凡そ三百余人なり。此れも亦た一法なり。〔述評〕元祐の間、大臣の某有り、父は珠崖に貶死し、柩を寓して帰らず。既に貴きに及び、自ら海を過ぎて迎え取る。歳久しく、能く識る者無し。僧房の中に数柩の枯骨有り、款記無し。已むを獲ず、一棺を挈えて帰り、其の母と合葬す。後に竟に亡僧の骨を誤り取れる者と伝わり、方に樸恒の見有るを知る。
現代語訳
かつて、戦場で親の遺体を探した者がいた。遺体は崩れ腐っていて、見分けがつかなかった。高麗の臣、樸恒は、父母をモンゴル兵に殺され、積み重なった遺体の中から、似たものを見つけると収めて葬り、合わせて三百人余りに及んだ。これもまた一つの方法である。〔述評〕元祐年間に、ある大臣がいて、その父は珠崖に左遷されて死に、棺を仮に置いたまま帰らなかった。のちに身分が高くなると、自ら海を渡って迎えに行った。年月が経ち、見分けられる者はいなかった。僧房の中に数個の棺の枯れた骨があったが、名札などの記録はなかった。やむを得ず、一つの棺を携えて帰り、その母と合葬した。のちにとうとう、亡くなった僧の骨を誤って持ち帰ったと伝わり、そこでようやく樸恒の見識が分かった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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