智囊 / 靈變・韓雍
韓雍弱冠為御史,出按江西。時有詔下鎮守中官,而都御史誤啟其封,懼以咨雍,雍請宴中官而身為解之,明日偽為封識,而藏舊封於懷,俟會間,使郵卒持以付己,佯不知而啟之,稍讀一二語,即驚曰:「此非吾所當聞。」遽令吏還中官,則已潛易舊封矣,雍起謝罪,復欲與郵卒杖,中官以為誠,反為救解,歡飲而罷。〔述評〕此即王韶欺郭逵之計,做得更無痕跡。郭逵為西帥,王韶初以措置西事至邊。逵知其必生邊患,因備邊財賦連及商賈,移牒取問。韶讀之,怒形顏色,擲牒於地者久之,乃徐取納懷中,入而復出,對使者碎之。逵奏其事,上以問韶,韶以原牒進,無一字損壞也。上不悟韶計,不直逵言,自是凡逵論,詔皆不報,而韶遂得志矣。韓襄毅在蠻中,有一郡守治酒具進,用盒納妓於內,徑入幕府,公知必有隱物,召郡守入,開盒,令妓奉酒畢,仍納於盒中,隨太守出。〔評〕此必蠻守欲假此以窺公耳,公不拂其意,而處之若無事然,此豈死講道理人所知,
新字:韓雍弱冠為御史,出按江西。時有詔下鎮守中官,而都御史誤啓其封,懼以咨雍,雍請宴中官而身為解之,明日偽為封識,而蔵旧封於懐,俟会間,使郵卒持以付己,佯不知而啓之,稍読一二語,即驚曰:「此非吾所当聞。」遽令吏還中官,則已潜易旧封矣,雍起謝罪,復欲与郵卒杖,中官以為誠,反為救解,歓飲而罷。〔述評〕此即王韶欺郭逵之計,做得更無痕跡。郭逵為西帥,王韶初以措置西事至辺。逵知其必生辺患,因備辺財賦連及商賈,移牒取問。韶読之,怒形顔色,擲牒於地者久之,乃徐取納懐中,入而復出,対使者砕之。逵奏其事,上以問韶,韶以原牒進,無一字損壊也。上不悟韶計,不直逵言,自是凡逵論,詔皆不報,而韶遂得志矣。韓襄毅在蠻中,有一郡守治酒具進,用盒納妓於内,径入幕府,公知必有隠物,召郡守入,開盒,令妓奉酒畢,仍納於盒中,随太守出。〔評〕此必蠻守欲仮此以窺公耳,公不払其意,而処之若無事然,此豈死講道理人所知,
書き下し
韓雍は弱冠にして御史と為り、出でて江西を按ず。時に詔の鎮守中官に下るあり。而して都御史は誤りて其の封を啓き、懼れて以て雍に咨う。雍は中官を宴することを請い、身ずから為に之を解かんとす。明日、偽りて封識を為り、舊封を懐に藏し、会に俟ちて、郵卒をして持ちて以て己に付せしめ、佯りて知らずして之を啓く。稍や一二語を読み、即ち驚きて曰く、「此れ吾が当に聞くべき所に非ず」と。遽かに吏をして中官に還さしむ。則ち已に潜かに舊封を易えたり。雍は起ちて罪を謝し、復た郵卒に杖を与えんと欲す。中官は以て誠と為し、反って為に救解し、歓飲して罷む。〔述評〕此れ即ち王韶が郭逵を欺くの計にして、做すこと更に無痕跡なり。郭逵は西帥為り、王韶は初め西事を措置するを以て辺に至る。逵は其の必ず辺患を生ずるを知り、因りて辺備の財賦、商賈に連なるを、牒を移して問を取る。韶は之を読み、怒りを顔色に形し、牒を地に擲つこと久しく之が、乃ち徐ろに取りて懐に納め、入りて復た出で、使者に対して之を砕く。逵は其の事を奏す。上は以て韶に問う。韶は原牒を以て進むるに、一字の損壊無し。上は韶の計を悟らず、逵の言を直とせず、是れより凡そ逵の論ずる、詔は皆な報せず、而して韶は遂に志を得たり。韓襄毅は蛮中に在り、一郡守あり酒具を治めて進め、盒を用いて妓を内に納れ、徑ちに幕府に入る。公は必ず隠れたる物有るを知り、郡守を召し入れ、盒を開き、妓をして酒を奉ぜしめ、畢わりて仍お盒中に納め、太守に随いて出ださしむ。〔評〕此れ必ず蛮守の此に仮りて公を窺わんと欲するのみ。公は其の意を拂わず、之を処すること事無きが如く然り。此れ豈に死講道理の人の知る所ならんや。(原文は途中で切れており、確かでない)
現代語訳
韓雍は二十歳のころ御史となり、江西に出て巡察した。このとき、詔が鎮守の宦官に下されたが、都御史が誤ってその封を開けてしまい、恐れて雍に相談した。雍は宦官を宴に招くことを願い、自分で事情を解きほぐすと言った。翌日、偽の封印を作り、元の封書を懐に隠し、宴席の折を待って、駅の使いに偽の封書を自分に渡させ、知らないふりをして開いた。一、二行読んだところで、驚いて言った。「これは私が聞いてよいものではない」。すぐに吏を使って宦官に返させた。そのときには、すでにこっそり元の封書とすり替えていた。雍は立ち上がって罪を謝し、さらに駅の使いを杖で打とうとした。宦官は雍が誠実だと思い、かえって使いをかばい、楽しく飲んで宴を終えた。〔述評〕これは王韶が郭逵をだました計略であり、より痕跡が残らないように行っている。郭逵は西方の司令官で、王韶は初め辺境の事を処理するため、辺境に来た。逵は王韶が必ず辺境で問題を起こすと知り、そこで辺境の備えの財政や商人との関係について、書状を送って問い合わせた。韶はこれを読み、怒りを顔に出し、書状を地に投げつけてしばらくしてから、ゆっくり取って懐に入れ、中に入ってまた出て、使者の前でそれを破った。逵はその事を上奏した。皇帝は韶に問い、韶は元の書状を差し出したが、一字も損なわれていなかった。皇帝は韶の計略に気づかず、逵の言葉を正しいとせず、これ以後、逵の論じることに、詔はみな返答せず、韶はついに志を遂げた。韓襄毅(韓雍)は蛮の地にいたとき、一人の郡守が酒の用意をして進め、箱の中に妓女を入れて幕府に運び込んだ。公は必ず隠したものがあると知り、郡守を呼び入れ、箱を開けて、妓女に酒を勧めさせ、終わるとまた箱に戻させ、太守に随わせて出させた。〔評〕これはきっと蛮の郡守が、これを口実に公を探ろうとしたのだろう。公はその意図を拒まず、何事もないかのように処理した。これは、理屈ばかりをこねる人の知るところではない。(原文は途中で切れており、確かでない)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』權奇・韓雍公、両広に鎮し、患を防ぐこと甚だ厳し。心腹の一二人の外、絶えて階に登るを許さず。亦た多く権術を以て之を威鎮す。一日、郷人と宴を堂後に為し、鞠蹴して戯と為す。既に散じ、潜かに人をして石炮を置かしめ、観る者有らば、因りて指示して曰く、「此れ公の適たま蹴戯する所なり」と。衆、舌を吐き、咸な公を以て絶力と為す。張る所の蓋は内に磁石を暗蔵し、鉄屑を以て毛髪の間に塗る。出でて蓋の下に坐する毎に、鬚鬢翕張して已まず。貌既に魁岸にして、復た茲の異を睹る。驚きて神明と為す。〔評〕夷は悍にして愚なり、因りて之を愚にす。
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『智囊』遠猶・周宗・韓雍烈祖、建業に鎮たりし日、義祖、広陵に薨ず。致意の将に奔喪の計有らんとするに、康王以下の諸公子、周宗に謂いて曰く、「幸いに聞く、兄長は家国多事なりと。宜しく情を抑え礼を損ない、西渡を労すること無かるべし」と。宗、王の本意に似ざるを度り、堅く簡を報ぜんことを請い、信を烈祖に示さんとす。康王は匆遽を以て詞と為す。宗、袖中より筆を出し、復た左右の為に紙を取り、故茗紙の貼を得て、手札を乞う。康王已むを獲ずして札して曰く、「幸いに東府に就きて哀を挙げよ。多塁の秋、二兄は奔喪を以て念と為す無かれ」と。明年、烈祖、広陵に朝覲するに、康王及び諸公子、果たして上の手を執りて大いに慟し、上は臨喪を以て意と為さずと誣い、詛譲すること百端、物の聴を動かさんことを冀う。上因りて王の書する所を出して以て之に示す。王は面に見顔するのみ。韓公雍、江右に旬宣せし時、忽ち寧府の弟某王至ると報ず。公、疾に托して、少しく需たんことを乞い、密かに人を遣わして三司を馳せ召し、且つ白木の几を索む。公、匍匐して拝迎す。王入り、具に兄の叛状を言う。公は病聵を辞して聴く莫く、書せんことを請う。王紙を索め、左右、几を舁ぎて進む。王、詳しく其の事を書して去る。公、其の事を上る。朝廷、使を遣わして按ずるに、跡無し。時に王の兄弟は相い歓び、諱みて言う無し。使還り、朝廷は韓を親王を離間するの罪に坐し、械して以て往かしむ。韓、木几の親書を上げて、方に釈さる。
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『智囊』制勝・韓雍天順の初め、兩廣亂れ、韓公雍往きて討つ。師、大藤峽に次るに、道隘く、旁らに水田を夾む。儒生、里老數百人有り、跪きて香を持ちて曰く、「我が輩、賊に苦しむこと久し。今幸いに天兵至り、良民と為るを得たり。願わくは三軍の鋒に先んぜん」と。公、遽かに叱して曰く、「是れ皆な賊なり。我が為に縛りて斬れ」と。左右、初めは亦た疑う。既に縛るに及びて、袂の中より利刃出ず。乃ち悉く頸を斷ち、手足を截ち、腸胃を刳り、箐棘の中に分かち掛け、累々として相い屬ぬ。賊、大いに驚き沮む。公、嘗て兵を出だし、五鼓に戰わしむる令あり。將領、賊の已に覺れるを聞き、遲れて事を失わんことを恐れ、二更に即ち發して、大いに之を破る。公、其の功を賞して、而して違令の罪を問う。軍令を以て當に斬るべし。乃ち具に聞して釋さんことを請う。曰く、「萬一、命を用いずして敗れなば、奈何せん」と。人、公は將を將いるの體を得たりと謂う。〔評〕街亭の馬謖、好水川の任福の敗は、皆な令に違うを以て之を致す。必ず功を貪らず、而る後に功は萬全に成る。公の慮り遠し。
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『智囊』見大・楚莊王・袁盎楚の荘王、群臣に宴し、美人に命じて酒を行らしむ。日暮れ酒酣にして燭滅ゆ。美人の衣を引く者有り。美人は援きて其の冠纓を絶ち、趣に火もて之を視んことを請う。王曰く、奈何ぞ婦人の節を顕わして、士を辱めんや、と。命じて曰く、今日、寡人と飲みて纓を絶たざる者は歓せず、と。群臣は尽く纓を絶ちて火し、歓を極めて罷む。鄭を囲むの役に及び、一臣有りて常に前に在り、五合にして五たび首を獲、敵を却け、卒に勝つを得たり。之を詢うに、則ち夜に纓を絶ちし者なり。盎は先に嘗て呉の相たりし時、盎の従史に私かに盎の侍児に通ずる者有り。盎は之を知るも泄らさず。人の言を以て従史を恐かす有り、従史は亡ぐ。盎は親ら追いて之を反し、竟に侍児を以て賜い、之を遇すること故の如し。景帝の時、盎は既に入りて太常と為り、復た呉に使いす。呉王は時に反を謀り、盎を殺さんと欲し、五百人を以て之を囲むも、盎は未だ覚らざるなり。会たま従史は適たま盎を守る校尉司馬と為り、乃ち醇醪二百石を置き、五百人を尽く飲ましめて醉臥せしむ。輒ち夜に盎を引き起こして曰く、君は去るべし。旦日、王は且に君を斬らんとす、と。盎曰く、公は何為る者ぞ、と。司馬曰く、故の従史の君の侍児を盗みし者なり、と。是に於いて盎は驚きて脱し去る。〔馮述評〕梁の葛周、宋の種世衡は、皆な此の術を用いて敵を克ち叛を討つ。張説の禍を免れしが若きは、転円の福と謂うべし。兀術の小卒の妻を殺さざるは、亦た胡虜の中の杰然たる者なり。葛周は嘗て寵する所の美姫と同飲す。侍卒の姫を目視して輟まず、周の問いに答えを失う者有り。既に自ら覚り、罪を懼る。周は並びに言わず。後に唐の師と戦い、利を失う。周は此の卒を呼びて奮勇して敵を破らしめ、竟に美姫を以て之に妻わす。
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『智囊』得情・韓紹宗樊挙人なる者は、寿寧侯の門下の客なり。侯の貴きこと天下を震わし、樊は勢いを負いて勲戚貴臣に結び、一切の奏状は皆其の手より出ず。然れども空に駕して事実無く、怨家の発く所と為り、事は刑部に下る。部の郎中韓紹宗、具さに其の実を知り、乃ち樊挙人を摂む。時に樊は寿寧侯の所に匿るること甚だ深く、乃ち百計して之を出ださしむ。獄に下ること数日、韓、一旦、門を出でて、地上に一巻の書を見る。取りて之を視れば、則ち備に樊挙人の罪状を書し、宜しく必ず之を死に置くべし、死せざれば不可なりと。韓笑いて曰く、「此れ樊挙人の自ら為る所の書なり」と。之を詰すれば果たして服す。同僚、樊に問う、「何ぞ自ら此れを為るや」と。対えて曰く、「韓公は、勢いを以て搖動すべき者に非ず。生を蘄めば則ち必ず死す。今、死を言う者は、左計なり」と。韓曰く、「然らず。若の罪は原より死に至らず」と。是に於いて遼に発戍せらる。
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『智囊』見大・丙吉・郭進吉、相と為るや、馭吏に酒を嗜む者有り、吉に従いて出で、酔いて丞相の車上に嘔す。西曹の主吏は白して之を斥けんと欲す。吉曰く、醉飽の失を以て士を去らば、此の人をして復た何れに容れしめんや。西曹は第だ之を忍べ。此れ丞相の車茵を汚すに過ぎざるのみ、と。此の馭吏は辺郡の人にして、辺塞の奔命警備の事を習知す。嘗て出でて、適たま駅騎の赤白の囊を持ち、辺郡の奔命の書を発して馳せ至るを見る。馭吏は因りて駅騎に随いて公車に至り、刺取して、虜の雲中・代郡に入るを知り、遽に帰る。吉に見えて状を白し、因りて曰く、虜の入る所の辺郡は、二千石の長吏に老病にして兵馬に任えざる者有らん。宜しく豫め視るべし、と。吉は其の言を善とし、東曹を召して辺長吏を案じ、其の人を科条せしむ。未だ已まざるに、詔して丞相・御史を召し、入る所の郡吏を問う。吉は具に対う。御史大夫は卒遽にして詳らかに知る能わず、以て譴讓を得たり。而して吉は辺を憂い職を思うと謂われしは、馭吏の力なり。郭進は山西巡検に任ず。軍校の闕に詣りて進を訟うる者有り。上は召して訊い、其の誣なるを知り、即ち遣りて進に送り、之を殺さしむ。会たま并寇入る。進は其の人に謂いて曰く、汝は能く我を訟う、信に胆気有り。今、汝の罪を赦す。能く并寇を掩殺せば、即ち汝を朝に薦めん。如し敗れなば、即ち自ら河に役せよ。我が剣を汚す毋かれ、と。其の人は踴躍して赴き闘い、竟に大捷す。進は即ち薦めて之を擢く。〔馮述評〕小過を容るる者は、一長を以て酬いられ、大仇を釈す者は、死力を以て報いらる。唯だ酬報の情の中に迫れば、故に其の長は之に触れて必ず試み、其の力は之に激して必ず竭くす。彼の過ちを索め仇を尋ぬる者は、豈に大愚に非ずや。
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