智囊 / 靈變・李文達・周忱
天順初,德、秀等王皆當出閣,英廟諭李文達公賢慎選講讀官,文達以親王四位,用官八員,翰林幾去半矣,乃請於新進士內選人物俊偉、語言正當、學問優長者,授以檢討之職,分任講讀。遂為定例。己巳之難,也先將犯京城,聲言欲據通州倉。舉朝倉皇無措,議者欲遣人舉火燒倉,恐敵之因糧於我也。時周文襄公適在京,因建議,令各衛軍預支半年糧,令其往取。於是肩負者踵接,不數日,京師頓實,而通州倉為之一空。〔述評〕一云,己已之變,議者請燒通州倉以絕虜望。於肅愍曰:「國之命脈,民之膏脂,奈何不惜?」傳示城中有力者恣取之,數日粟盡入城。酈生以楚拔滎陽不堅守為失策,勸沛公急取敖倉。又李密據黎陽倉,開倉恣民就食,浹旬得兵三十餘萬。徐洪客獻策謂:「大眾久聚,恐米盡人散,難以成功,宜乘銳進取。」密不從而敗。劉子羽守仙人關,預徙梁、洋公私之積。金人深入,餽餉不繼,乃去。自古攻守之策,未有不以食為本者,要在敵未至而預圖耳。若搬運不及,則焚棄亦是一策,古名將亦往往有之,決不可齎盜糧也。
新字:天順初,徳、秀等王皆当出閣,英廟諭李文達公賢慎選講読官,文達以親王四位,用官八員,翰林幾去半矣,乃請於新進士内選人物俊偉、語言正当、学問優長者,授以検討之職,分任講読。遂為定例。己巳之難,也先将犯京城,声言欲拠通州倉。舉朝倉皇無措,議者欲遣人舉火焼倉,恐敵之因糧於我也。時周文襄公適在京,因建議,令各衛軍預支半年糧,令其往取。於是肩負者踵接,不数日,京師頓実,而通州倉為之一空。〔述評〕一云,己已之変,議者請焼通州倉以絶虜望。於粛愍曰:「国之命脈,民之膏脂,奈何不惜?」伝示城中有力者恣取之,数日粟尽入城。酈生以楚抜滎陽不堅守為失策,勧沛公急取敖倉。又李密拠黎陽倉,開倉恣民就食,浹旬得兵三十余万。徐洪客献策謂:「大衆久聚,恐米尽人散,難以成功,宜乗鋭進取。」密不従而敗。劉子羽守仙人関,預徙梁、洋公私之積。金人深入,餽餉不継,乃去。自古攻守之策,未有不以食為本者,要在敵未至而預図耳。若搬運不及,則焚棄亦是一策,古名将亦往往有之,決不可齎盗糧也。
書き下し
天順の初め、徳、秀らの王は皆な当に出閣すべし。英廟は李文達公賢に諭して講読の官を慎選せしむ。文達は親王四位、官八員を用うれば、翰林は幾んど半ばを去ると以為い、乃ち新進士の内より人物俊偉、語言正当、学問優長なる者を選び、授くるに検討の職を以てし、分かちて講読を任ぜしめんと請う。遂に定例と為る。己巳の難に、也先は将に京城を犯さんとし、声言して通州倉に拠らんと欲す。挙朝は倉皇として措く無し。議者は人を遣わして火を挙げて倉を燒き、敵の糧を我に因るを恐れんと欲す。時に周文襄公は適々京に在り、因りて建議し、各衛の軍をして預め半年の糧を支せしめ、其をして往きて取らしむ。是に於いて肩負する者は踵を接し、数日ならずして京師は頓かに実ち、而して通州倉は之が為に一空なり。〔述評〕一に云う、己巳の変に、議者は通州倉を焼いて以て虜の望みを絶たんことを請う。于肅愍曰く、「国の命脈、民の膏脂、奈何ぞ惜しまざる」と。伝えて城中の力有る者に示し、恣に取らしむ。数日にして粟は尽く城に入る。酈生は楚が滎陽を拔きて堅守せざるを以て失策と為し、沛公に勧めて急ぎ敖倉を取らしむ。又た李密は黎陽倉に拠り、倉を開きて民の就食するを恣にし、浹旬にして兵三十余万を得たり。徐洪客は策を献じて謂う、「大衆久しく聚まれば、米尽きて人散ぜんことを恐る、成功し難し、宜しく鋭に乗じて進取すべし」と。密は従わずして敗る。劉子羽は仙人関を守り、預め梁、洋の公私の積を徙す。金人は深く入り、餽餉は継がず、乃ち去る。古より攻守の策は、食を以て本と為さざる者あらず。要は敵の未だ至らざるに預め図るに在るのみ。若し搬運の及ばざれば、則ち焼棄するも亦た一策なり。古の名将も亦た往往に之有り。決して盗に糧を齎す可からざるなり。
現代語訳
天順の初め、徳王、秀王らの皇子たちはみな宮中から出て自立する時期になった。英宗皇帝は李賢(文達公)に、講読の官を慎重に選ぶよう命じた。李賢は、親王が四人いて官が八人必要であり、翰林院はほぼ半分の人員が出ていってしまうと考え、そこで新進士の中から、人物が優れ、言葉遣いが正しく、学問に秀でた者を選び、検討の職を授けて、手分けして講義を担当させたいと願い出た。これがそのまま定例になった。己巳の変で、也先が京城を犯そうとして、通州の倉庫を奪うと言い触らした。朝廷中があわてふためいて為すすべがなかった。議論する者は、人を遣わして倉に火をつけ、敵に兵糧を奪われるのを防ごうとした。このとき周文襄公がちょうど京にいて、建議して、各衛の兵に半年分の兵糧を前もって支給し、取りに行かせた。すると担いで運ぶ者が絶え間なく続き、数日もたたないうちに京師はたちまち満ち足り、通州の倉は空になった。〔述評〕別の説では、己巳の変のとき、議論する者が通州の倉を焼いて敵の期待を絶つことを求めた。于謙(粛愍)は言った。「国の命脈であり、民の血と汗の結晶なのに、どうして惜しまずにいられよう」。そこで城内の力のある者に告げて、思うままに取らせた。数日で穀物はすべて城内に入った。酈食其は、楚が滎陽を落としても堅く守らなかったのを失策として、沛公に急いで敖倉を取るよう勧めた。また李密は黎陽倉に拠り、倉を開いて民が思うままに食べるのを許し、十日ほどで兵三十余万を得た。徐洪客は策を献じて言った。「大勢が長く集まれば、米が尽きて人が散ってしまい、成功が難しくなります。勢いに乗って攻めるべきです」。密は従わずに敗れた。劉子羽は仙人関を守り、あらかじめ梁、洋の公私の蓄えを移した。金の軍は深く攻め込んだが、兵糧が続かず、去った。昔から攻めるにも守るにも、食糧を根本としないものはない。要は敵がまだ来ないうちにあらかじめ手を打つことにある。もし運搬が間に合わないなら、焼き捨てるのも一つの策であり、昔の名将もしばしばそうした。決して盗賊に食糧を与えてはならない。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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戦国策・或謂公仲或るひと公仲に謂いて曰く、「今一舉にして以て主に忠にし、國に便にし、身に利する可き有り、願わくは公の之を行わんことを。今天下散じて秦に事うれば、則ち韓最も輕んぜられん。天下合して秦を離るれば、則ち韓最も弱からん。合離の相續けば、則ち韓最も先に危うからん。此れ君國長民の大患なり。今公韓を以て先に秦に合すれば、天下之に隨わん、是れ韓天下を以て秦に事うるなり、秦の韓を德とすること厚し。韓天下と與に秦に朝すれども、獨り厚く德を取れば、公の之を行うの計、是れ其の主に於けるや至忠なり。天下秦に合せず、秦令すれども聽かざれば、秦必ず兵を起こして服せざるを誅せん。秦久しく天下と怨みを結び難を構え、兵決せず、韓士民を息めて以て其の亹を待たば、公の之を行うの計、是れ其の國に於けるや、大便なり。昔者周佼西周を以て秦に善くして、梗陽に封ぜられ、周啟東周を以て秦に善くして、平原に封ぜらる。今公韓を以て秦に善くすれば、韓の兩周に重きこと計る無く、秦の機を爭うや、周の時より萬なり。今公韓を以て天下に先んじて秦に合すれば、秦必ず公を以て諸侯と為し、以て明らかに天下に示さん、公の之を行うの計、是れ其の身に於けるや大利なり。願わくは公の務めを加えんことを。」
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