智囊 / 靈變・顧蚧・耿定力
顧蚧為儋耳郡守,文昌海面當五月有大風飄至船隻,不知何國人,內載有金絲鸚鵡,墨女,金條等件,地方分金坑女,止將鸚鵡送縣,申呈鎮巡衙門。公文駁行鎮守府,仍差人督責,原地方畏避,相率欲飄海,主其事者莫之為謀。蚧適抵郡,咸來問計,蚧隨請原文讀之,將「飄來船」作「覆來船」改申,遂止。益民喬蠢,小眚累累大辟。耿恭簡公為守,多所平反。有男子婦死而論抵者,牘曰:「婦詈夫獸畜。」庭訊之,則曰:「詈儂為獸畜所生耳。」遂援續二字於牘,而投筆出之,蓋婦詈姑嫜,律故應死也。〔評〕只換一字,便省許多事;只添兩字,便活一性命。是故有一字之貧,亦有一字之師。
新字:顧蚧為儋耳郡守,文昌海面当五月有大風飄至船隻,不知何国人,内載有金糸鸚鵡,墨女,金条等件,地方分金坑女,止将鸚鵡送県,申呈鎮巡衙門。公文駁行鎮守府,仍差人督責,原地方畏避,相率欲飄海,主其事者莫之為謀。蚧適抵郡,咸来問計,蚧随請原文読之,将「飄来船」作「覆来船」改申,遂止。益民喬蠢,小眚累累大辟。耿恭簡公為守,多所平反。有男子婦死而論抵者,牘曰:「婦詈夫獣畜。」庭訊之,則曰:「詈儂為獣畜所生耳。」遂援続二字於牘,而投筆出之,蓋婦詈姑嫜,律故応死也。〔評〕只換一字,便省許多事;只添両字,便活一性命。是故有一字之貧,亦有一字之師。
書き下し
顧蚧は儋耳の郡守と為る。文昌の海面に、五月に当たり大風に飄わされて至る船隻あり。何れの国の人なるかを知らず、内に金絲鸚鵡、墨女、金条等の件を載す。地方は金を分かち女を坑し、ただ鸚鵡を県に送り、鎮巡衙門に申呈す。公文は鎮守府に駁行され、仍お人を差わして督責す。原地方は畏れ避け、相い率いて海に飄わんと欲す。其の事を主る者は之が謀を為す莫し。蚧は適々郡に抵る。咸な来たりて計を問う。蚧は隨いて原文を請いて読み、「飄来船」を「覆来船」に改めて申し、遂に止む。益して民は喬蠢にして、小眚は累累として大辟に至る。耿恭簡公は守と為り、多く平反する所あり。男子の婦死して論じて抵する者あり。牘に曰く、「婦、夫を獣畜と詈る」と。庭にて之を訊するに、則ち曰く、「儂を獣畜の生める所と詈るのみ」と。遂に「所生」の二字を牘に援続して、筆を投じて之を出だす。蓋し婦、姑嫜を詈るは、律として故より死に応ずればなり。〔評〕只だ一字を換うるのみにして、便ち許多の事を省く。只だ二字を添うるのみにして、便ち一性命を活かす。是の故に一字の貧しきこと有り、亦た一字の師有り。
現代語訳
顧蚧は儋耳の郡守だった。文昌の海上に、五月、大風に流されて船が着いた。どこの国の人かは分からず、船内には金糸の鸚鵡、黒い肌の女、金の延べ棒などを積んでいた。地元の人々は金を山分けし、女を坑に埋め、ただ鸚鵡だけを県に送り、鎮巡の役所に報告した。公文は鎮守府から突き返され、さらに人を遣わして責められた。もとの土地の者は恐れて避け、連れ立って海に逃げようとした。事を取り仕切る者は誰も策を立てられなかった。蚧がちょうど郡に着いた。みなが来て対策を尋ねた。蚧はもとの文書を求めて読み、「飄来船(流れ着いた船)」を「覆来船(転覆してきた船)」に書き換えて申し上げ、これで事は止まった。さらに民は愚かで、小さな過ちが重なって死刑に至ることもあった。耿恭簡公が長官になると、多くの誤った裁きを覆した。男が妻を死なせたとして罪に問われた事件があった。供述書には「妻が夫を獣畜と罵った」と書かれていた。法廷で問いただすと、男は「私を獣畜が生んだ子だと罵っただけです」と言った。そこで「所生」の二字を書面に書き継ぎ、筆を投げて釈放した。これは妻が舅姑を罵ったのなら、法律上もとより死罪に当たるからである。〔評〕たった一字を換えるだけで、多くの面倒が省かれた。ただ二字を加えるだけで、一人の命が救われた。だから一字の貧しさもあり、一字の師もあるのだ。
解説
この章句が説くこと
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