智囊 / 靈變・布商吳生
婁門二布商舟行,有北僧來附舟,欲至崑山,舟子不可,二商以佛弟子容之。至河,胡僧拔刀插幾上,曰:「汝要好死要惡死?」二子愕曰:「何也?」僧曰:「我本非良士,欲得汝財耳!速躍入湖中,庶可全屍。」二子泣下曰:「師容我飽餐,就死無恨。」笑曰:「容汝作一飽鬼。」舟子為煮肉,多沃以汁,乃以巨缽盛之,呼二子肉已熟,二子應諾,舟子出僧不意,急舉肉汁蓋其頂,熱甚,僧方兩手推缽,二子即拔幾上刀斬之,擲屍於湖,滌舟而去。
新字:婁門二布商舟行,有北僧来附舟,欲至崑山,舟子不可,二商以仏弟子容之。至河,胡僧抜刀挿幾上,曰:「汝要好死要悪死?」二子愕曰:「何也?」僧曰:「我本非良士,欲得汝財耳!速躍入湖中,庶可全屍。」二子泣下曰:「師容我飽餐,就死無恨。」笑曰:「容汝作一飽鬼。」舟子為煮肉,多沃以汁,乃以巨鉢盛之,呼二子肉已熟,二子応諾,舟子出僧不意,急舉肉汁蓋其頂,熱甚,僧方両手推鉢,二子即抜幾上刀斬之,擲屍於湖,滌舟而去。
書き下し
婁門の二布商、舟行す。北僧有り来たりて舟に附し、崑山に至らんと欲す。舟子は可とせず、二商は仏弟子を以てこれを容る。河に至り、胡僧は刀を抜きて几上に插し、曰く、「汝は好く死なんことを要するか、悪しく死なんことを要するか」と。二子は愕きて曰く、「何ぞや」と。僧曰く、「我は本より良士に非ず、汝の財を得んと欲するのみ。速やかに湖中に躍り入れ、庶くは屍を全うすべし」と。二子は泣下して曰く、「師よ、我に飽餐せしめよ、死に就くとも恨み無し」と。笑いて曰く、「汝を容して一飽鬼と作らしめん」と。舟子は為に肉を煮、多く沃うるに汁を以てし、乃ち巨鉢を以てこれを盛り、二子を呼びて肉已に熟すと云う。二子は応諾し、舟子は僧の不意に出で、急に肉汁を挙げてその頂に蓋う。熱きこと甚だしく、僧は方に両手もて鉢を推すに、二子は即ち几上の刀を抜きてこれを斬り、屍を湖に擲ち、舟を滌いて去れり。
現代語訳
婁門の二人の布商人が、舟で旅をしていた。そこへ北から来た僧が、舟に乗せてほしいと頼み、崑山まで行きたいと言った。船頭は断ったが、二人の商人は同じ仏の弟子だからと乗せてやった。川の途中に来ると、胡僧は刀を抜いて机の上に突き立て、「お前たちは楽に死にたいか、苦しんで死にたいか」と言った。二人は驚いて「どういうことです」と尋ねた。僧は言った。「わしはもともと善人ではない。お前たちの財産がほしいだけだ。さっさと湖に飛び込め。そうすれば死体は無傷ですむ」。二人は涙を流して言った。「お坊様、どうか腹いっぱい食べさせてください。そのあとなら死んでも恨みません」。僧は笑って「飽きるほど食わせてやろう。満腹の幽霊にしてやる」と言った。船頭は肉を煮て、汁をたっぷりかけ、大きな鉢に盛り、二人を呼んで肉ができたと言った。二人が応えると、船頭は僧の不意をついて、急に熱い肉汁をその頭からかぶせた。ひどく熱く、僧は両手で鉢を押しのけようとしたが、そのすきに二人は机の上の刀を抜いて斬り殺し、死体を湖に投げ込み、舟を洗い流して去った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
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