智囊 / 權奇・張易
張易通判歙州,刺史宋匡業使酒陵人,果於誅殺,無敢犯者。易赴其宴,先故飲醉,就席。酒甫行,尋其少失,遽擲杯推案,攘袂大呼,詬責蠭起。匡業愕然不敢對,唯曰:「通判醉,性不可當也。」易嵬峨喑口惡自如。俄引去,匡業使吏掖就馬。自是見易加敬,不敢復使酒,郡事亦賴以濟。〔評〕事雖瑣,頗得先發制人之術。在醫家為以毒攻毒法,在兵家為以夷攻夷法。
新字:張易通判歙州,刺史宋匡業使酒陵人,果於誅殺,無敢犯者。易赴其宴,先故飲酔,就席。酒甫行,尋其少失,遽擲杯推案,攘袂大呼,詬責蠭起。匡業愕然不敢対,唯曰:「通判酔,性不可当也。」易嵬峨喑口悪自如。俄引去,匡業使吏掖就馬。自是見易加敬,不敢復使酒,郡事亦頼以済。〔評〕事雖瑣,頗得先発制人之術。在医家為以毒攻毒法,在兵家為以夷攻夷法。
書き下し
張易、歙州に通判たり。刺史の宋匡業、酒を使いて人を陵ぎ、誅殺に果たし、敢えて犯す者無し。易、その宴に赴くに、先ず故らに飲みて酔い、席に就く。酒甫めて行るに、其の少しの失を尋ね、遽かに杯を擲ち案を推し、袂を攘げて大呼し、詬責すること蜂起す。匡業愕然として敢えて対えず、唯だ曰く、「通判は酔えり。性は当たるべからず」と。易、嵬峨として口を喑し、悪しきこと自如たり。俄かにして引き去る。匡業、吏をして掖けて馬に就かしむ。是より易を見ること加々敬し、敢えて復た酒を使わず。郡事も亦た賴りて以て済す。〔評〕事は瑣なりと雖も、頗る先に発して人を制するの術を得たり。医家においては毒を以て毒を攻むる法と為し、兵家においては夷を以て夷を攻むる法と為す。
現代語訳
張易は歙州の通判であった。刺史の宋匡業は、酒を口実に人を侮り、人を殺すことも平気で、誰も逆らえなかった。張易は、その宴席に出る際、あらかじめわざと酒を飲んで酔って席に着いた。酒が回り始めると、宋匡業のちょっとした失態を取り上げ、杯を投げ、机を押しのけ、袖をまくって大声で叫び、罵りの言葉が次々に飛び出した。宋匡業は驚いて返す言葉がなく、ただ「通判は酔っている。性格が手に負えない」とだけ言った。張易は高くそびえるように立ち、口は固く閉じ、悪態の勢いは崩れなかった。まもなくして退出し、宋匡業は役人に命じて支えさせ、馬に乗せた。これ以後、宋匡業は張易をいっそう敬い、もう酒を口実に振る舞うことはなかった。州の政務もそれによって整った。〔評〕出来事は些細だが、先に仕掛けて人を制する術をよく得ている。医者でいえば毒で毒を制する法であり、兵法でいえば異民族を異民族で攻める法である。
解説
この章句が説くこと
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