智囊 / 權奇・楊暄
天順間,錦衣指揮門達用事。,同時有袁彬指揮者,隨英宗北狩,有護蹕功。達惡其逼,令邏卒摭其陰私,欲致於死。時有藝人楊暄者,善倭漆畫器,號楊倭漆,憤甚,乃奏達違法二十餘事,且極稱彬枉。疏入,上令達逮問,暄至,神色不變,佯若無所與者,達歷詢其事,皆曰:「知。」且曰:「暄賤工,不識書字,又與君侯無怨,安得有此?望去左右,暄以實告。」因告曰:「此內閣李賢授暄,使暄投進,暄實不知所言何事,君侯若會眾官廷詰我,我必對眾言之,李當無辭。」達聞甚喜,勞以酒肉。早朝,以情奏,上命押諸大臣會問於午門外,方引暄至,達謂賢曰:「此皆先生所命,暄已吐矣。」賢正驚訝,暄即大言曰:「死則我死,何敢妄指!我一市井小人,如何見得閣老?鬼神昭鑒,此實達教我指也!」因剖析所奏二十餘條,略無餘蘊。達氣沮,詞聞於上,由是疏達,彬得分司南都。居一載,驛召還職,後達坐怨望,謫戍廣西以死。
新字:天順間,錦衣指揮門達用事。,同時有袁彬指揮者,随英宗北狩,有護蹕功。達悪其逼,令邏卒摭其陰私,欲致於死。時有芸人楊暄者,善倭漆画器,号楊倭漆,憤甚,乃奏達違法二十余事,且極称彬枉。疏入,上令達逮問,暄至,神色不変,佯若無所与者,達歴詢其事,皆曰:「知。」且曰:「暄賤工,不識書字,又与君侯無怨,安得有此?望去左右,暄以実告。」因告曰:「此内閣李賢授暄,使暄投進,暄実不知所言何事,君侯若会衆官廷詰我,我必対衆言之,李当無辞。」達聞甚喜,労以酒肉。早朝,以情奏,上命押諸大臣会問於午門外,方引暄至,達謂賢曰:「此皆先生所命,暄已吐矣。」賢正驚訝,暄即大言曰:「死則我死,何敢妄指!我一市井小人,如何見得閣老?鬼神昭鑒,此実達教我指也!」因剖析所奏二十余条,略無余蘊。達気沮,詞聞於上,由是疏達,彬得分司南都。居一載,駅召還職,後達坐怨望,謫戍広西以死。
書き下し
天順の間、錦衣指揮の門達、事を用う。同時に袁彬指揮という者有り、英宗の北狩に随い、護蹕の功有り。達その逼るを悪み、邏卒をしてその陰私を摭わしめ、死に致さんと欲す。時に芸人楊暄という者有り、倭漆もて器に画くを善くし、楊倭漆と号す。憤ること甚だしく、乃ち達の違法二十余事を奏し、且つ彬の枉げらるるを極称す。疏入り、上、達に命じて逮問せしむ。暄至り、神色変ぜず、佯りて与る所無き者の若し。達歴く其の事を詢うに、皆曰く、「知れり」と。且つ曰く、「暄は賤工にして、書字を識らず、又君侯と怨無し。安んぞ此れ有るを得んや。願わくは左右を去らしめよ。暄、実を以て告げん」と。因りて告げて曰く、「此れ内閣の李賢、暄に授け、暄をして投進せしむ。暄は実に言う所の何事なるかを知らず。君侯若し衆官を会して廷にて我を詰すれば、我必ず衆に対してこれを言わん。李は当に辞無かるべし」と。達聞きて甚だ喜び、労するに酒肉を以てす。早朝、情を以て奏す。上、諸大臣を押して午門の外に会問せしむ。方に暄を引きて至る。達、賢に謂いて曰く、「此れ皆先生の命ずる所なり。暄は已に吐けり」と。賢、正に驚訝す。暄即ち大言して曰く、「死すれば則ち我死せん。何ぞ敢えて妄りに指さん。我は一市井の小人、如何ぞ閣老に見ゆるを得ん。鬼神昭鑑す。此れ実に達の我に教えて指さしむるなり」と。因りて奏する所の二十余条を剖析して、略ぼ余蘊無し。達の気沮み、詞は上に聞こえ、是に由り達を疎んず。彬は分司南都を得たり。居ること一載、駅もて召されて職に還る。後に達、怨望に坐し、広西に謫戍されて死す。
現代語訳
天順年間、錦衣衛指揮の門達が権勢をふるっていた。同じころ、袁彬という指揮がいて、英宗の北方への行幸に随行し、お守りした功績があった。門達は袁彬が迫ってくるのを嫌い、巡察の兵に彼の私事を探らせて、死罪に陥れようとした。そのとき楊暄という芸人がいた。日本風の漆で器に絵を描くのが上手で、楊倭漆と呼ばれていた。彼は大いに憤り、門達の違法行為二十余事を上奏し、あわせて袁彬が不当に扱われていると強く訴えた。上奏文が入ると、帝は門達に命じて楊暄を逮捕して取り調べさせた。楊暄は連行されても顔色を変えず、関与していない者のように装った。門達が一つひとつ事柄を問うと、楊暄は皆「知っています」と答えた。そして言った。「私は卑しい職人で文字も読めず、閣下とも恨みがありません。どうしてこんなことができましょう。どうか左右の者を退けてください。本当のことを申します」。そして告げた。「これは内閣の李賢殿が私に渡し、私に提出させたものです。私はどんなことが書いてあるのかも知りません。閣下がもし大勢の官僚を集め、廷で私を問い詰めてくだされば、私は必ず皆の前でこれを言います。李殿は言い逃れができないでしょう」。門達はこれを聞いて大いに喜び、酒肉でねぎらった。早朝に事情を上奏した。帝は諸大臣に命じて午門の外で聴取させた。ちょうど楊暄が引き出されたとき、門達は李賢に言った。「これはみな先生の命令だそうです。楊暄はもう白状しました」。李賢は本当に驚いた。すると楊暄は大声で言った。「死ぬなら私が死にます。どうしてみだりに人を指しましょう。私は市井の一小人、どうして閣老にお目にかかれるでしょう。鬼神が見ておられます。これは実は門達が私に教えて言わせたことです」。そこで上奏した二十余条を分析して説明し、ほとんど余すところがなかった。門達は気勢を削がれ、その言葉は帝に届き、これにより門達は疎んじられた。袁彬は南京での分司の職を得た。一年後、駅馬で召し還されて元の職に戻った。のちに門達は恨みを抱いた罪で広西に流罪となり、そこで死んだ。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』權奇・楊暄〔述評〕此れ張説が張昌宗を斥けて魏元忠を保全せしと事は軸を同じくす。然れども説は故より権智多く、又宋王景ら諸人の再三の勉励を得、而る後に蓬麻の益を収む。楊暄は一介の小人、未だ嘗て書を読み古に通ぜず、而るに能く一時の奇を出だし、天威に抗して奸吻を塞ぐ。唯だ袁彬を全くするのみならず、並びに李賢を全くす。唯だ二忠臣を全くするのみならず、且つ能く一大奸悪を去る。智は既に説に十倍し、その功も亦た説に十倍するなり。一時の縉紳の流、依阿して達に事うる者少なからず。此の事を睹て、舌を吐かざる有らんや。此の事を聞きて、愧汗せざる者有らんや。豈に衣冠の富貴の累に牽かれ、而して匹夫は是非の公に迫らるるに非ずや。洪武の時、上嘗て宋濂に怒り、人をしてその家に即きてこれを誅せしむ。馬太后、是の日茹素す。上、故を問う。後曰く、「聞く、今日宋先生を誅すと。妾救う能わず。聊か斎を持して以て冥福を資くるのみ」と。上悟り、即ち駅を馳せて人を使わしてこれを赦す。薛文清、王景既に王振に忤い、詔して縛して市に詣り殺さしむ。振に老僕有り、是の日厨下に大いに哭す。振問う、「何ぞ哭する」と。僕対えて曰く、「今日薛夫子の将に刑せられんとすると聞くが故なり」と。振聞きて怒り解け、適たま王偉の申救あり、遂に免るるを得たり。夫れ老僕の一哭、その究は遂に聖母と功を同じくす。斯れ亦た奇なるかな。語に曰く、「是非の心は智なり」と。智は豈に人を以て限らんや。
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『智囊』權奇・楊璡楊璡、丹徒の知県を授かる。会たま中使、浙に如き、至る所、守令を縛して舟中に置き、賂を得て始めて釈く。将に丹徒に至らんとす。璡、善く泅ぐ者二人を選び、耆老の衣冠を著せしめ、先に馳せて以て迎えしむ。中使、怒りて曰く、「令は安くにか在る。汝、敢えて来たりて我に謁するか」と。左右に令して之を執らしむ。二人、即ち江中に躍り入り、潜遁して去る。璡、徐に至り、紿きて曰く、「聞くならく、公、二人を江中に駆りて溺死せしむと。方今、聖明の世、法令は森厳なり。人命を如何せん」と。中使、懼れ、礼謝して去る。他所を歴ると雖も、亦た復た放恣せずと云う。
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『智囊』靈變・楊四天順中、承天門災あり、閣臣の岳正は詔を草するを以て罪を得て、広東欽州同知に降せらる。漷に道して、母老なるを以て留まること月を閲す。尚書の陳汝言は素より正を憾み、是に至りて邏者を嗾して私事を以て之に中て、逮えて詔獄に係り、拷掠備に至り、粛州鎮夷所に謫戍す。涿州に至り、夜に伝舍に宿す。手梏は急にして、気は奔りて死せんと欲す。涿の人の楊四なる者、素より正の名を聞き、為に哀を祈る。解人は肯んぜず。因りて醉うに醇酒を以てし、其の熟睡を伺い、正に謂いて曰く、「梏に封印有り、奈何せん」と。正曰く、「鏊を焼いて熱くし、酒を以て封紙に噴き、就ち之を炙れば、紙は燥くを得て、自ずから昂起す」と。楊は乃ち其の言の如くす。釘を去りて梏を脱し、其の中を刳り、復た釘して之を封ず。其の人は既に醒め、異有るを覚る。楊は乃ち告げて曰く、「業已に然り。如何すべき。今、銀数十両を奉りて寿と為す。納れんには如かず」と。正は此を以て戍所に至るを得たり。
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『智囊』權奇・楊暄土木の変、内侍の喜寧は本は胡種なり。太上に虜中に従い、数々虜を導きて入寇せしめ、以て和議を敗る。上これを患う。袁彬、太上に言い、寧を遣わして宣府の参将楊俊に命を伝え、春衣を索めしめ、因りて軍士の高磐をして与に俱にせしむ。彬、木を刻みて書を蔵し、磐の髀の間に係け、以て俊に示し、因りてその来るに俾いてこれを執えしむ。俊既に書を得て、寧と城下に飲む。磐、寧を抱きて大呼す。俊の従兵、遂に寧を縛して京に解き、処するに極刑を以てす。是に於て虜は嚮導を失い、兵を厭い、遂に返蹕を許す。按ずるに、彬は虜中に周旋し、英廟と起処を同にし、その力を宣ぶること最も多し。而して寧を誅するは尤も要著と為す。亦た寧武子の亜なり。
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『智囊』迎刃・李賢・王瓊法司奏す、石亨ら既に誅せられ、其の党にして奪門の功を冒して官に升る者数千人、倶に合に査究すべしと。上は李賢を召して曰く、「此の事は人心を驚動するを恐る」と。賢曰く、「朝廷は自首を許して罪を免ぜしむれば、事は方に妥なり」と。是に於いて功を冒す者四千余人、尽く首して改正す。武宗の南巡より還るに、弥留に当たりて、楊石斎は已に江彬を擒えんと計を定む。然れども彬の領する所の辺兵数千人は、彬の爪牙たる者にして、皆な勁卒なり。其の倉卒に変を為さんことを恐れ、計の出ずる所無く、因りて王晋渓に謀る。晋渓曰く、「当に其の扈従南巡の功を録し、通州に至りて賞を聴かしむべし」と。是に於いて辺兵は尽く出で、彬は遂に擒えらる。
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『智囊』見大・楊寓広東布政の徐奇、入覲するに、嶺南の藤簟を載せ、将に以て廷臣に餽らんとす。邏者その単目を獲て以て進む。上これを視るに、楊士奇の名無し。乃ち独りこれを召し、故を問う。士奇曰く、「奇、都給事中より命を受けて広に赴きし時、衆みな詩文を作りて贈行す。故にこの餽有り。臣は時に病有り、作る所無し。然らずんば亦た免れざらん。今、衆の名具わると雖も、受くるや否やは未だ知るべからず。且つ物は甚だ微なり。当に他無きを以てすべし」と。上の意解け、即ち単目を以て中官に付し、これを毀たしめ、一も問う所無し。〔馮述評〕此の単の一たび焚かれて邏者は気を喪い、縉紳の中の許多の禍を省き、且つ人主をして大臣を疑うの心無からしむ。全うする所甚だ大なり。智名無きも、実に大智なり。豈に唯に厚道のみならんや。宋の真宗の時、宮禁の事を言う者を上書する有り。上怒りて、その家を籍し、朝士の与に往還して吉凶を占問するの説を得て、御史に付して状を問わしめんと欲す。王旦、自ら嘗て占問せし所の書を取りて進め、並びに獄に付せんことを請う。上の意浸く解け、公は遂に中書に至り、得たる所の書を悉く焚く。已にして上悔い、復た馳せてこれを取らしむ。公対えて、「已に焚き訖わんぬ」と。乃ち止む。此の事は文貞と相い類し、都て是れ身を捨てて物を救うなり。
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