智囊 / 權奇・杜畿
高幹舉并州反。前河東太守王邑被徵,掾衛固、范先以請邑為名,實與乾通謀。曹操拜杜畿為河東太守,固等以兵絕陝津,畿不得渡,或謂宜須大兵,畿曰:「河東三萬戶,非皆欲為亂也。今兵迫之急,必懼而聽於固;固等勢專,必以死戰。討之不勝,為難未已;討之而勝,是殘一郡之民也。吾單車直往,出其不意,固為人多計而無斷,必偽受吾,得居郡一月,以計縻之,足矣。」遂詭道從豆阝津渡,范先欲殺畿,固曰:「殺之何益?徒有惡名,且制之在我。」遂奉之,畿謂固、先曰:「衛、范,河東之望也,吾仰成而已。然君臣有定義,成敗同之,大事當共平議。」以固為都督,行丞事,將校吏兵三千餘人,皆范先督之。固等喜,雖陽事畿,不以為意。固欲大發兵,畿患之,說固曰:「夫欲為非常之事,不可動眾心,今大發兵眾,必擾;不如徐以貲募兵。」
新字:高幹舉并州反。前河東太守王邑被徴,掾衛固、范先以請邑為名,実与乾通謀。曹操拝杜畿為河東太守,固等以兵絶陝津,畿不得渡,或謂宜須大兵,畿曰:「河東三万戸,非皆欲為乱也。今兵迫之急,必懼而聴於固;固等勢専,必以死戦。討之不勝,為難未已;討之而勝,是残一郡之民也。吾単車直往,出其不意,固為人多計而無断,必偽受吾,得居郡一月,以計縻之,足矣。」遂詭道従豆阝津渡,范先欲殺畿,固曰:「殺之何益?徒有悪名,且制之在我。」遂奉之,畿謂固、先曰:「衛、范,河東之望也,吾仰成而已。然君臣有定義,成敗同之,大事当共平議。」以固為都督,行丞事,将校吏兵三千余人,皆范先督之。固等喜,雖陽事畿,不以為意。固欲大発兵,畿患之,説固曰:「夫欲為非常之事,不可動衆心,今大発兵衆,必擾;不如徐以貲募兵。」
書き下し
高幹、并州を挙げて反す。前の河東太守王邑徴されるや、掾の衛固、范先、邑を請うを名と為し、実は幹と通謀す。曹操、杜畿を拝して河東太守と為す。固ら兵を以て陝津を絶ち、畿渡るを得ず。或ひと謂う、宜しく大兵を須つべしと。畿曰く、「河東三万戸、皆乱を為さんと欲するに非ざるなり。今、兵もてこれを迫ること急ならば、必ず懼れて固に聴かん。固ら勢い専らにして、必ず死を以て戦わん。討ちて勝たざれば、難を為すこと未だ已まず。討ちて勝てば、是れ一郡の民を残うなり。吾単車にて直ちに往き、その不意に出でん。固は人と為り計多くして断無し。必ず偽りて吾を受けん。居ること郡に一月を得ば、計を以てこれを縻ぐに、足れり」と。遂に道を詭り豆阝津より渡る。范先、畿を殺さんと欲す。固曰く、「これを殺して何ぞ益あらん。徒に悪名有るのみ。且つ制は我に在り」と。遂にこれを奉ず。畿、固、先に謂いて曰く、「衛、范は河東の望なり。吾は仰ぎて成すのみ。然れども君臣に定義あり、成敗は同にす。大事は当に共に平議すべし」と。固を以て都督と為し、丞事を行わしめ、将校吏兵三千余人、皆范先これを督す。固ら喜び、陽は畿に事うと雖も、意と為さず。固、大いに兵を発せんと欲す。畿これを患え、固に説いて曰く、「夫れ非常の事を為さんと欲せば、衆心を動かすべからず。今大いに兵衆を発せば、必ず擾れん。徐ろに貲を以て兵を募るに如かず」と。
現代語訳
高幹が并州を挙げて反乱を起こした。前の河東太守王邑が召還されると、属吏の衛固と范先は、王邑を呼び戻したいと称しながら、実は高幹と通じて謀っていた。曹操は杜畿を河東太守に任じた。衛固らは兵で陝津を封鎖し、杜畿は渡れなかった。ある人が言った。「大軍を待つべきです」。杜畿は言った。「河東は三万戸で、みなが乱を望んでいるわけではない。いま兵で急に迫れば、人々はおびえて衛固に従うだろう。衛固らの勢力は固まり、きっと死ぬ気で戦う。討って勝てなければ、災いは終わらない。討って勝っても、一郡の民を損なうことになる。私は一台の車で直ちに行き、不意を突こう。衛固は人柄として計略は多いが決断力がない。きっと偽って私を受け入れる。郡に一か月いられれば、計略で彼らをつなぎとめるのに十分だ」。そうして道を変え、豆阝津から渡った。范先は杜畿を殺そうとしたが、衛固は言った。「殺して何の益があるか。悪名が立つだけだ。それに主導権は我らにある」。そうして杜畿を迎え入れた。杜畿は衛固と范先に言った。「衛君、范君は河東の名望家です。私はお二人を頼りに事を成すだけです。ただ君臣には定まった義があり、成功も失敗も同じくします。大事は共に協議しましょう」。衛固を都督とし、丞の職務を代行させ、将校や兵三千余人を、すべて范先が統督した。衛固らは喜び、表向きは杜畿に仕えながら、気にも留めなかった。衛固は大規模に兵を募りたがった。杜畿はこれを心配し、衛固に説いた。「非常の事を行おうとするなら、人々の心を動かしてはなりません。いま大いに兵を徴発すれば、必ず混乱するでしょう。ゆっくり資金を出して募るほうがよい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』權奇・杜畿固以て然りと為し、これに従う。調発すること数十日にして乃ち定まる。諸将は多きに貪りて応募し、遣わす兵は少なし。又入りて固らに喩して曰く、「人情は家を顧みる。諸将掾吏は分遣して休息せしむべし。急緩あらばこれを召すこと難からず」と。固ら衆心に逆らうを悪み、又これに従う。時に善人は外に在りて、陰かに己の援と為り、悪人は分散して、各々その家に還り、則ち衆離れたり。会たま高幹、護沢に入り、上党の諸県、長吏を殺し、弘農、郡守を執う。固ら密かに兵を調うるも、未だ至らず。畿、諸県の己に附くを知り、因りて出でて数十騎を単将し、張辟に赴きて拒守す。吏民、多く城を挙げて畿を助くる者あり。数十日に比びて、四千余人を得たり。固ら幹、晟と共に畿を攻むるも、下らず。諸県を略するも、得る所無し。会たま大兵至り、幹、晟敗れ、固ら伏誅す。その余党与は皆これを赦す。
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『智囊』不戰・楊侃魏の雍州刺史蕭宝夤反し、馮翊を攻む。尚書僕射長孫稚之を討つ。左丞楊侃稚に謂いて曰く、「昔魏武は韓遂・馬超と潼関に拠りて相い拒ぐ。遂・超の才は魏武の敵に非ず、然れども勝負久しく決せざるは、其の険要を扼するが故なり。今賊の守禦已に固し。北のかた蒲坂を取り、河を渡りて西し、其の腹心に入り、兵を死地に置くに如かず。則ち華州の囲は戦わずして自ら解け、長安は坐して取るべし」と。稚曰く、「子の計は則ち善し。然れども今薛修義河東を囲み、薛鳳賢安邑に拠り、宗正珍孫虞坂を守り、兵進むを得ず、如何」と。曰く、「珍孫は行陣の一夫にして、因縁して将と為る。人に使わるべくして、安んぞ能く人を使わん。河東の治は薄坂に在り、西のかた河漘に逼る。封疆は多く郡の東に在り。修義は卒士・民を駆りて、西のかた郡城を囲む。其の父母妻子は、皆な旧村に留まる。一旦官軍の至るを聞かば、皆な内顧の心有り、勢い必ず風を望んで自ずから潰えん」と。
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『智囊』迎刃・王益・賈耽王益は韶州に知たり、州に屯兵五百人有り。代わる者久しく至らず、変を為さんと謀る。事覚れ、一郡皆な駭く。益は動ずる為さず、其の首五人を取り、即日之を断流す。或いは獄に付せんことを請うも、聴かず。既にして其の徒の言うを聞く、「若し五人が獄に繋がれなば、当に夜に之を劫かすべし」と。衆は乃ち服す。賈耽は山南東道節度使と為り、行軍司馬樊沢をして事を奏せしめんとして行在に使わしむ。沢は既に命を反し、方に大宴するに、急牒の至る有り、沢を以て耽に代う。耽は牒を懐中に内れ、顔色改まらず、宴罷りて、即ち将吏に命じて沢に謁せしむ。牙将張献甫は怒りて曰く、「行軍は自ら節鉞を図る、人に事えて忠ならず、請う、之を殺さん」と。耽曰く、「天子の命ずる所なれば、即ち節度使為り」と。即日鎮を離れ、献甫を以て自ら随わしむれば、軍府は遂に安し。
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『智囊』不戰・趙充國遂に西のかた西部都尉府に至り、日々軍士を饗し、士は皆用を為さんことを欲す。虜は数々戦いを挑むも、充国は堅く守る。初め、罕開の豪靡当児は弟の雕庫をして都尉に告げしめて曰く、「先零将に反せんとす。」と。後数日にして、果たして反す。雕庫の種人は頗る先零の中に在り、都尉は即ち雕庫を留めて質と為す。充国は罪なしと以為い、遣わし帰して種豪に告げしむ、「大兵は罪ある者を誅す、並び滅ぼさるるを取るなかれ。能く相捕らえ斬る者は、罪を除く。大豪の罪ある者を斬る一人には、銭四十万を賜い、中豪は十五万、下豪は二万、大男は三千、女子及び老小は千銭。また捕らえる所の妻子財物を以てこれに与えん。」と。威信を以て罕開及び劫略せられし者を招降し、虜の謀を解散せしめんと欲す。酒泉太守辛武賢は上言す、「今、虜は朝夕に寇を為し、土地は寒苦にして、漢馬は冬を能くせず。馬食を益し、七月上旬を以て三十日の糧を齎し、兵を分かち張掖、酒泉より並び出でて、合して罕開を撃つべし。」と。天子はその議を下す。充国は以為らく、「駝は三十日の食を負い、また衣装兵器あり、以て追逐し難し。前の険に据り、後の阨を守り、以て糧道を絶てば、必ず傷危の患あらん。かつ先零は首として畔逆を為す、宜しく罕開の闇昧の過ちを捐て、先ず先零を誅して以てこれを震動すべし。」と。朝議は謂う、「先零は兵盛んにして罕開の助けを負う。先ず罕開を破らざれば、則ち先零は未だ図るべからず。」と。
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『長短経』三国権西平の麴光、其の郡守を殺して以て叛く。諸将之を撃たんと欲す。張既曰く「唯だ光等のみ造反し、郡人は未だ必ずしも悉く同じからず。若し便ち軍を以て之に臨まば、吏人・羌胡は必ず国家は是非を別たずと謂い、更に皆をして相持著せしめん。此れ虎の為に翼を傅くるなり。光等は羌胡を以て援と為さんと欲す。今、先ず羌胡をして鈔撃せしめ、其の賞を重くし、虜獲する所の者は、皆以て之に俾えば、外は其の勢いを阻み、内は其の交わりを離し、必ず戦わずして定まらん」と。乃ち檄して諸々の光等に誤らるる者を告喩し、之を原し、能く賊帥を斬りて首を送る者には封を加う。是に於て光の部党、光の首を斬り送る。此れ九州百郡、十に其の八を并するの大略なり。〕
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『智囊』靈變・曹瑋・張濬曹武穆瑋は渭州に知たり、号令は明肃にして、西人は之を憚る。一日、方に諸将を召して飲む。会々叛卒数千が賊境に亡奔する有り、候騎報じて至る。諸将は相い視て色を失う。公は言笑すること平時の如く、徐ろに騎に謂いて曰く、「吾が命なり。汝は顕らかに言う勿れ」と。西人は聞き、己を襲うと以為い、盡く之を殺す。統制の酈瓊は呂祉を縛り、叛きて劉豫に帰す。張魏公は方に宴す。僚佐の報至り、満座色を失う。公は色変えず、楽飲して夜に至り、乃ち蠟書を為り、死士を遣わして瓊に持遣せしむ。言う、「事、成るべくんば之を成せ。成るべからずんば、速やかに軍を全うして以て帰れ」と。虜は書を得て、瓊を疑い、その衆を分隷して之を困苦せしめ、辺は賴りて以て安し。〔述評〕此れ即ち馮睢が宮他を殺すの智なり。西周の宮他は東周に亡げ、盡く国情を以て之に輸す。西周君は大いに怒る。馮睢曰く、「臣は能く他を殺さん」と。君は金三十斤を予う。睢は人をして金と書を操りて宮他に問遺せしめ、云云す。東周君は宮他を殺す。
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