智囊 / 權奇・司馬懿・楊行密・孫堅・仇鉞
正德五年,安化王寘鐇反,游擊仇鉞陷賊中,京師訛言鉞從賊,興武營守備保勛為之外應。李文正曰:「鉞必不從賊,勛以賊姻家,遂疑不用,則諸與賊通者皆懼,不復歸正矣。」乃舉勛為參將,鉞為副戎,責以討賊。勛感激自奮,鉞稱病臥,陰約游兵壯士,候勛兵至河上,乃從中發為內應。俄得勛信,即嗾人謂賊黨何錦:「宜急出守渡口,防決河灌城?遏東岸兵,勿使渡河。」錦果出,而留賊周昂守城。鉞又稱病亟,昂來問病,鉞猶堅臥呻吟,言旦夕且死。蒼頭卒起,捶殺昂,斬首。鉞起披甲仗劍,跨馬出門一呼,諸游兵將士皆集,遂奪城門,擒寘鐇。
新字:正徳五年,安化王寘鐇反,游撃仇鉞陥賊中,京師訛言鉞従賊,興武営守備保勛為之外応。李文正曰:「鉞必不従賊,勛以賊姻家,遂疑不用,則諸与賊通者皆懼,不復帰正矣。」乃舉勛為参将,鉞為副戎,責以討賊。勛感激自奮,鉞称病臥,陰約游兵壮士,候勛兵至河上,乃従中発為内応。俄得勛信,即嗾人謂賊党何錦:「宜急出守渡口,防決河灌城?遏東岸兵,勿使渡河。」錦果出,而留賊周昂守城。鉞又称病亟,昂来問病,鉞猶堅臥呻吟,言旦夕且死。蒼頭卒起,捶殺昂,斬首。鉞起披甲仗剣,跨馬出門一呼,諸游兵将士皆集,遂奪城門,擒寘鐇。
書き下し
正徳五年、安化王寘鐇反す。游撃の仇鉞賊中に陥る。京師に訛言あり、鉞は賊に従い、興武営の守備保勛これが外応を為すと。李文正曰く、「鉞は必ず賊に従わず。勛は賊の姻家なるを以て、遂に疑われて用いられずんば、則ち諸々の賊と通ずる者皆懼れて、復た正に帰せざらん」と。乃ち勛を挙げて参将と為し、鉞を副戎と為し、責むるに賊を討つを以てす。勛感激して自ら奮い、鉞は病と称して臥し、陰かに游兵壮士と約し、勛の兵の河上に至るを候ちて、乃ち中より発して内応と為さんとす。俄かにして勛の信を得、即ち人を嗾して賊党の何錦に謂わしむ、「宜しく急ぎ出でて渡口を守り、河を決して城に灌ぐを防ぐべし。東岸の兵を遏して、河を渡らしむる勿れ」と。錦果たして出で、賊の周昂を留めて城を守らしむ。鉞又病の亟なりと称す。昂来りて病を問う。鉞猶お堅く臥して呻吟し、旦夕にして且に死せんとすと言う。蒼頭卒かに起ち、捶ちて昂を殺し、首を斬る。鉞起ちて甲を披り剣を仗り、馬に跨りて門を出で一たび呼ぶ。諸々の游兵将士皆集まり、遂に城門を奪い、寘鐇を擒にす。
現代語訳
正徳五年、安化王の朱寘鐇が反乱を起こした。遊撃将軍の仇鉞は賊の中に取り込まれた。都では、鉞が賊に従っており、興武営の守備の保勛がその外からの応援をしているという流言があった。李文正は言った。「仇鉞は決して賊には従わないはずです。保勛は賊の姻戚だからといって、疑われて用いられなければ、賊と通じている者たちは皆恐れて、二度と正道に戻らなくなるでしょう」。そこで保勛を参将に抜擢し、仇鉞を副将として、賊を討つ任を与えた。保勛は感激して奮い立ち、仇鉞は病を装って臥せり、ひそかに遊撃兵や壮士と約束して、保勛の兵が河のほとりに来るのを待ち、城中から呼応しようとした。やがて保勛の知らせを得ると、人を使って賊の一味の何錦に言わせた。「急いで出て渡し場を守りなさい。河を決壊させて城に水を流し込まれるのを防ぎ、東岸の兵を抑えて河を渡らせてはならない」。何錦はそのとおり出て行き、賊の周昂を残して城を守らせた。仇鉞はさらに病が重いふりをした。周昂が見舞いに来ても、仇鉞は寝たまま呻いて、朝夕にも死にそうだと言った。そこへ召使いの老人が突然立ち上がり、周昂を打ち殺して首を斬った。仇鉞は起き上がって甲を着け、剣を持ち、馬に乗って門を出て一声叫んだ。すると遊撃の兵や将士がみな集まり、ついに城門を奪って朱寘鐇を捕らえた。
解説
この章句が説くこと
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