智囊 / 權奇・太史慈
北海相孔融聞太史慈避地東海,數使人餽問其母。後融為黃巾賊所圍,慈適還,聞之,即從間道入圍,見融。融使告急於平原相劉備。時賊圍已密,眾難其出,慈乃帶革建彎弓,將兩騎自從,各作一的持之,開門出,觀者並駭。慈徑引馬至城下塹內,植所持的射之,射畢還。明日復然,如是者再。圍下人或起或臥,乃至無復起者。慈遂嚴行蓐食,鞭馬直突其圍。比賊覺,則馳去數里許矣,竟從備乞兵解圍。
新字:北海相孔融聞太史慈避地東海,数使人餽問其母。後融為黄巾賊所囲,慈適還,聞之,即従間道入囲,見融。融使告急於平原相劉備。時賊囲已密,衆難其出,慈乃帯革建彎弓,将両騎自従,各作一的持之,開門出,観者並駭。慈径引馬至城下塹内,植所持的射之,射畢還。明日復然,如是者再。囲下人或起或臥,乃至無復起者。慈遂厳行蓐食,鞭馬直突其囲。比賊覚,則馳去数里許矣,竟従備乞兵解囲。
書き下し
北海の相孔融、太史慈が地を東海に避くるを聞き、数々人をしてその母に餽問せしむ。後、融黄巾の賊の囲む所と為る。慈適たま還り、これを聞き、即ち間道より囲みに入り、融に見ゆ。融、急を平原の相劉備に告げしむ。時に賊の囲み已に密にして、衆その出づるを難しとす。慈乃ち革の建と彎弓を帯び、両騎を将いて自ら従え、各々一の的を作りてこれを持たしめ、門を開きて出づ。観る者並びに駭く。慈径ちに馬を引きて城下の塹内に至り、持する所の的を植てて、これを射、射畢りて還る。明日復た然り。是くの如くすること再び。囲み下の人、或いは起ち或いは臥し、乃ち復た起つ者無きに至る。慈遂に行を厳にして蓐食し、馬に鞭ちて直ちにその囲みを突く。賊の覚るに比びて、則ち馳せ去ること数里許りなり。竟に備より兵を乞い、囲みを解く。
現代語訳
北海の相の孔融は、太史慈が東海に避難していると聞いて、たびたび人をやってその母に贈り物を届け、見舞っていた。のちに孔融が黄巾の賊に包囲されたとき、太史慈はちょうど帰ってきてこれを聞き、すぐに間道から囲みの中に入って孔融に会った。孔融は、平原の相の劉備に急を告げに行かせようとした。そのとき賊の包囲はすでに厳しく、皆は脱出が難しいと思った。太史慈は革の矢入れと弓を身につけ、二騎の従者を連れ、それぞれに的を持たせて、門を開けて出た。見ていた者はみな驚いた。太史慈はまっすぐ馬を城下の堀の中に引いていき、持たせた的を立てて矢を射、射終わると城に戻った。翌日もまた同じことをした。こうして二度繰り返した。包囲していた兵たちは、起き上がって見る者もいれば寝ている者もいたが、やがて誰も起き上がらなくなった。そこで太史慈は身支度を整えて寝床で食事を済ませ、馬に鞭を当てて包囲を一気に突破した。賊が気づいたときには、すでに数里先まで走り去っていた。ついに劉備に兵を乞い、包囲を解かせた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』靈變・太史慈太史慈は郡に在り。会々郡と州と隙有り、曲直は未だ分かれず、先に聞する者を以て善と為す。時に州の章は已に去り、郡守は後れんことを恐れ、使うべき者を求む。慈は選ばれて行き、晨夜に道を取りて洛陽に到り、公車門に詣るに、則ち州の吏は才に至り、方に通ぜんことを求む。慈は問いて曰く、「君は章を通ぜんと欲するか」と。吏曰く、「然り」と。「章は安にか在る。題署に誤り無きか」と。因りて章を仮りて看るや、便ち之を裂き敗る。吏は大いに呼びて慈を持す。慈は与に語りて曰く、「君、以て相い与えざれば、吾も亦た因りて敗る無し。禍福は等し。吾は独り罪を受けず、豈に黙して俱に去るに若かんや」と。因りて与に遁れ還り、郡の章は竟に直を得たり。
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『智囊』識斷・段秀實・孔鏞孝宗の時、孔鏞を以て田州知府と為す。蒞任して才に三日、郡兵尽く已に調発せられ、而るに峒獠、倉卒に城を犯す。衆議して門を閉じて守らんとす。鏞曰く、「孤城空虚、能く幾日を支えんや。只だ応に諭すに朝廷の恩威を以てして、庶わくは自ら解けんことを」と。衆これを難しとし、謂う、「孔太守は書生の迂談なり」と。鏞曰く、「然らば則ち手を束ねて斃れを受けんや」と。衆曰く、「即ち爾らば、誰か当に往くべき」と。鏞曰く、「此れ吾が城なり。吾、当に独り行くべし」と。衆猶お諫め阻むも、鏞即ち騎を命じ、門を開きて去らしむ。衆、士兵を以て従わんことを請うも、鏞これを却く。賊、門の啓くを望見して、以て出戦すと為す。これを視れば、一官人馬に乗りて出で、二夫絡を控くのみ。門は隨って閉づ。賊、馬を遮りて故を問う。鏞曰く、「我は新太守なり。爾、我を導きて寨に至れ。言う所有り」と。賊、測り叵く、姑く導きて行く。遠く林菁の間に入り、従夫を顧みれば、已に其の一を逸す。既に賊地に達すれば、一も亦た逝けり。賊、馬を控えて山林に入る。路を夾みて人を裸にして樹に加えし者累累たり。鏞を呼びて救いを求む。鏞、人に問えば、乃ち庠生にして郡に赴き、賊に邀え去られ、従わざれば、賊将に殺さんとする者なり。鏞顧みず、径ちに洞に入る。賊、刃を露わにして出迎う。鏞、馬を下り、其の廬中に立ち、賊を顧みて曰く、「我は乃ち爾の父母官なり。坐して来たるべし。爾ら来りて参見せよ」と。
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『智囊』識斷・段秀實・孔鏞賊、榻を取りて中に置く。鏞坐し、衆を呼びて前ましむ。衆、覚えず相顧みて進む。渠酋、鏞に問う、「誰と為す」と。曰く、「孔太守なり」と。賊曰く、「豈に聖人の児孫か」と。鏞曰く、「然り」と。賊みな羅拝す。鏞曰く、「我、固より知る、若が賊は本良民にして、餒に迫られ、此に聚まりて苟くも死を救わんことを図るを。前官は諒せず、動もすれば兵を以て加え、汝を剿絶せんと欲す。我、今、朝命を奉じて汝の父母官と作り、汝を視ること猶お子孫のごとし。何ぞ殺害するに忍びんや。若し信に能く我に従わば、当に汝が罪を宥すべし。我を送りて府に還すべし。我、穀帛を以て汝に齎し、復た出でて掠むること勿からしめん。若し従わずんば、我を殺すべし。後に官軍の来りて罪を問う有らば、汝当たらん」と。衆、錯愕して曰く、「誠に公の言の如くんば、公、誠に能く恤まば、請う、公の任を終えんまで、復た擾犯せず」と。鏞曰く、「我が一語已に定まる。何ぞ必ずしも多疑せん」と。衆復た拝す。鏞曰く、「我、餒えたり。食を具うべし」と。衆、牛馬を殺し、麦飯を為して以て進む。鏞飽啖す。賊みな驚き服す。日暮れ、鏞曰く、「吾、城に入るに及ばず。即ち此に宿すべし」と。賊、牀褥を設け、鏞徐ろに寝ぬ。明日復た食を進む。鏞曰く、「吾、今帰らん。爾ら能く往きて粟帛を取るに従うか」と。賊曰く、「然り」と。馬を控えて林間に送り出し、賊数十騎従う。
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『智囊』識斷・段秀實・孔鏞鏞、顧みて曰く、「此の秀才は好人なり。汝、既に順を効す。釈くべし。我と同に返らしめよ」と。賊即ち縛を解き、其の巾裾を還す。諸生競い奔り去る。鏞、薄暮に城に及ぶ。城中の吏、城に登りてこれを見、驚きて曰く、「必ず太守、畏れて賊に従い、これを導きて城を陥さんとするのみ」と。争いて故を問う。鏞言う、「第だ門を開け。我、処分有り」と。衆益ます疑いて拒む。鏞笑いて賊に語る、「爾、且く止まれ。吾、当に自ら入り、出でて汝を犒うべし」と。賊少し却く。鏞入りて、復た門を閉ざし、鏞、穀帛を取りて城上より投じ与えしむ。賊、謝して去り、終に復た出でず。〔馮評〕晞は汾陽の家教を奉じ、到底、自ら功名を惜しむ。段公、法を行う時、已にこれを料ること審らかなり。孔太守は祖蔭を借ると雖も、然れども語言・歩驟、全く凶鋒を犯さず。故に曰く、「天下の至柔は、天下の至剛に馳騁す」と。
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『智囊』權奇・孔子・淮南相孔子、陳に居り、去りて蒲を過ぐ。会たま公叔氏、蒲を以て叛す。蒲人、孔子を止めて之に謂いて曰く、「苟くも衛に適く無くんば、吾、子を出さん」と。之と盟し、孔子を東門より出す。孔子、遂に衛に適く。子貢曰く、「盟は負くべけんや」と。孔子曰く、「要盟なり、神は聴かず」と。〔評〕大信は信ならず。孝景三年、七国反す。呉の使者、淮南に至る。淮南王、発して共に之に応ぜんと欲す。其の相曰く、「王、必ず呉に応ぜんと欲せば、臣、願わくは将と為らん」と。王、乃ち之に属す。相、已に兵を将いて、因りて城守し、王に聴かずして、漢の為にす。〔議〕腐儒の若きは必ず痛言切諫するも、水を以て石に投ずるが如く、何の益あらん。此の事は、酈寄の友を売り、太尉を北軍に嫁するに比して同一軸、而して更に撇脱を覚ゆ。
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