智囊 / 識斷・段秀實・孔鏞
孝宗時,以孔鏞為田州知府。蒞任才三日,郡兵盡已調發,而峒獠倉卒犯城,眾議閉門守,鏞曰:「孤城空虛,能支幾日?只應諭以朝廷恩威,庶自解耳。」眾皆難之,謂「孔太守書生迂談也。」鏞曰:「然則束手受斃耶?」眾曰:「即爾,誰當往?」鏞曰:「此吾城,吾當獨行。」眾猶諫阻,鏞即命騎,令開門去。眾請以士兵從,鏞卻之,賊望見門啟,以為出戰,視之,一官人乘馬出,二夫控絡而已。門隨閉,賊遮馬問故,鏞曰:「我新太守也,爾導我至寨,有所言。」賊叵測,姑導以行。遠入林菁間,顧從夫,已逸其一。既達賊地,一亦逝矣。賊控馬入山林,夾路人裸加於樹者累累,呼鏞求救。鏞問人,乃庠生赴郡,為賊邀去,不從,賊將殺之。鏞不顧,徑入洞,賊露刃出迎,鏞下馬,立其庐中,顧賊曰:「我乃爾父母官,可以坐來,爾等來參見。」
新字:孝宗時,以孔鏞為田州知府。莅任才三日,郡兵尽已調発,而峒獠倉卒犯城,衆議閉門守,鏞曰:「孤城空虚,能支幾日?只応諭以朝廷恩威,庶自解耳。」衆皆難之,謂「孔太守書生迂談也。」鏞曰:「然則束手受斃耶?」衆曰:「即爾,誰当往?」鏞曰:「此吾城,吾当独行。」衆猶諫阻,鏞即命騎,令開門去。衆請以士兵従,鏞却之,賊望見門啓,以為出戦,視之,一官人乗馬出,二夫控絡而已。門随閉,賊遮馬問故,鏞曰:「我新太守也,爾導我至寨,有所言。」賊叵測,姑導以行。遠入林菁間,顧従夫,已逸其一。既達賊地,一亦逝矣。賊控馬入山林,夾路人裸加於樹者累累,呼鏞求救。鏞問人,乃庠生赴郡,為賊邀去,不従,賊将殺之。鏞不顧,径入洞,賊露刃出迎,鏞下馬,立其庐中,顧賊曰:「我乃爾父母官,可以坐来,爾等来参見。」
書き下し
孝宗の時、孔鏞を以て田州知府と為す。蒞任して才に三日、郡兵尽く已に調発せられ、而るに峒獠、倉卒に城を犯す。衆議して門を閉じて守らんとす。鏞曰く、「孤城空虚、能く幾日を支えんや。只だ応に諭すに朝廷の恩威を以てして、庶わくは自ら解けんことを」と。衆これを難しとし、謂う、「孔太守は書生の迂談なり」と。鏞曰く、「然らば則ち手を束ねて斃れを受けんや」と。衆曰く、「即ち爾らば、誰か当に往くべき」と。鏞曰く、「此れ吾が城なり。吾、当に独り行くべし」と。衆猶お諫め阻むも、鏞即ち騎を命じ、門を開きて去らしむ。衆、士兵を以て従わんことを請うも、鏞これを却く。賊、門の啓くを望見して、以て出戦すと為す。これを視れば、一官人馬に乗りて出で、二夫絡を控くのみ。門は隨って閉づ。賊、馬を遮りて故を問う。鏞曰く、「我は新太守なり。爾、我を導きて寨に至れ。言う所有り」と。賊、測り叵く、姑く導きて行く。遠く林菁の間に入り、従夫を顧みれば、已に其の一を逸す。既に賊地に達すれば、一も亦た逝けり。賊、馬を控えて山林に入る。路を夾みて人を裸にして樹に加えし者累累たり。鏞を呼びて救いを求む。鏞、人に問えば、乃ち庠生にして郡に赴き、賊に邀え去られ、従わざれば、賊将に殺さんとする者なり。鏞顧みず、径ちに洞に入る。賊、刃を露わにして出迎う。鏞、馬を下り、其の廬中に立ち、賊を顧みて曰く、「我は乃ち爾の父母官なり。坐して来たるべし。爾ら来りて参見せよ」と。
現代語訳
孝宗の時代、孔鏞は田州知府に任じられました。着任してわずか三日で、郡の兵はすべて他所に出払っており、そこへ山間の蛮族が急に城を襲ってきました。人々は相談して城門を閉じて守ろうとしました。孔鏞は言いました。「孤立した城は空っぽで、何日持ちこたえられようか。ただ朝廷の恩と威を説いて、自然に解けることを願うしかない。」人々はそれを難しいと考え、言いました。「孔太守は書生で、迂遠な話です。」孔鏞は言いました。「それでは手をこまぬいて死を受けるのか。」人々は言いました。「そうなさるなら、誰が行くのですか。」孔鏞は言いました。「これは私の城だ。私が一人で行こう。」人々はなお諫めて止めようとしましたが、孔鏞はすぐに馬を命じ、門を開けて出ていきました。人々は兵を従わせたいと願いましたが、孔鏞は断りました。賊は門が開くのを遠くから見て、出撃してきたと思いました。よく見ると、一人の官人が馬に乗って出てきて、二人の従者が手綱を取っているだけです。門はすぐに閉じられました。賊は馬を遮って理由を尋ねました。孔鏞は言いました。「私は新しい太守だ。おまえたち、私を案内して砦に連れて行け。話したいことがある。」賊は意図がはかれず、ひとまず案内して進みました。遠く森の茂みに入ると、従者を振り返ったところ、すでに一人が逃げており、賊の地に着くと、もう一人もいなくなりました。賊は馬を引いて山林に入りました。道の両側に、裸にされて木に縛られた人が点々といて、孔鏞に救いを求めて叫びました。孔鏞が尋ねると、郡へ向かう途中の学生で、賊に連れ去られて、従わないので殺されそうになっていたのでした。孔鏞は構わず、まっすぐ洞穴に入りました。賊は刃をむき出しにして出迎えました。孔鏞は馬を降り、その小屋の中に立ち、賊を見て言いました。「私はおまえたちの父母官である。座っていなさい。おまえたち、来て拝謁せよ。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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