智囊 / 權奇・雄山智僧
雄山在南安,其上有飛瓦岩。相傳僧初結庵時,因山伐木,但恐山高運瓦之難,積瓦山下,誑欲作法,飛瓦砌屋,不用工師。卜日已定,遠近觀者數千人。僧偽為傭人挑瓦上山。觀者欲其速於作法,爭為搬運,頃刻都盡。僧笑曰:「吾飛瓦只如是耳。」
新字:雄山在南安,其上有飛瓦岩。相伝僧初結庵時,因山伐木,但恐山高運瓦之難,積瓦山下,誑欲作法,飛瓦砌屋,不用工師。卜日已定,遠近観者数千人。僧偽為傭人挑瓦上山。観者欲其速於作法,争為搬運,頃刻都尽。僧笑曰:「吾飛瓦只如是耳。」
書き下し
雄山は南安に在り、其の上に飛瓦岩有り。相い伝う、僧の初めて庵を結ぶ時、山に因りて木を伐る。但だ山高く瓦を運ぶの難きを恐れ、瓦を山下に積み、誑りて法を作し、瓦を飛ばして屋を砌み、工師を用いずと欲すと云う。日を卜して已に定まり、遠近の観る者数千人。僧、偽りて傭人と為りて瓦を挑ぎて山に上る。観る者、其の法を作すに速からんことを欲し、争いて搬運を為し、頃刻にして都て尽く。僧、笑いて曰く、「吾が飛瓦は只だ是くの如きのみ」と。
現代語訳
雄山は南安にあり、その山上に飛瓦岩という場所がある。言い伝えによると、僧が初めて庵を結ぶとき、山に従って木を伐った。ただ、山が高くて瓦を運ぶのが難しいことを心配し、瓦を山の麓に積んで、偽って法術を行い、瓦を飛ばして屋根を葺き、職人は使わないと言った。日取りを占ってすでに決めたので、遠近から見物に来る者は数千人に及んだ。僧は身をやつして人夫となり、瓦を担いで山に上った。見物人は、僧が早く法術を行うことを望み、競って運び上げ、またたく間にすべて運び終えた。僧は笑って言った、「私の飛瓦はこの通りです」と。
解説
瓦を運ぶ労力を、法術の見世物と偽って観衆に負担させた機知です。僧は自ら人夫に扮して先頭に立ち、見物人の期待をあおりながら、その熱意を労働に変えました。直接頼めば断られる大仕事も、人々の好奇心に火をつければ、無償で動く。種世衡の梁の話と似た型ですが、こちらは最後に笑って種明かしをしている点が、相手の気分を害しにくい工夫です。管理職にとって、参加者が自分から動きたくなる枠組みを作ることの力を示します。ただし、結果的に善意を利用している側面は認識しておく必要があります。
この章句が説くこと
飛瓦岩雄山傭人法を作す好奇心巻き込み
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