智囊 / 謬數・周玄素
太祖召畫工周玄素,令畫「天下江山圖」於殿壁。對曰:「臣未嘗遍跡九州,不敢奉詔。唯陛下草建規模,臣潤色之。」帝即操筆,倏成大勢,令玄素加潤,玄素進曰:「陛下山河已定,豈可少動。」帝笑而唯之。〔評議〕舉筆一不稱旨,事且不測,玄素可謂巧於避禍矣。
新字:太祖召画工周玄素,令画「天下江山図」於殿壁。対曰:「臣未嘗遍跡九州,不敢奉詔。唯陛下草建規模,臣潤色之。」帝即操筆,倏成大勢,令玄素加潤,玄素進曰:「陛下山河已定,豈可少動。」帝笑而唯之。〔評議〕舉筆一不称旨,事且不測,玄素可謂巧於避禍矣。
書き下し
太祖、画工周玄素を召し、「天下江山図」を殿壁に画かしむ。対えて曰く、「臣は未だ嘗て九州を遍跡せず、敢えて詔を奉ぜず。唯だ陛下、規模を草建せば、臣、之を潤色せん」と。帝、即ち筆を操り、倏ち大勢を成し、玄素をして潤を加えしむ。玄素、進みて曰く、「陛下の山河は已に定まる。豈に少しも動かすべけんや」と。帝、笑いて之に唯う。〔評議〕筆を挙げて一たび旨に称わざれば、事は且に測られず。玄素は巧みに禍を避くと謂うべし。
現代語訳
太祖(洪武帝)は絵師の周玄素を召し、宮殿の壁に「天下江山図」を描かせようとした。周玄素は答えた、「私は諸国をくまなく歩いたことがございませんので、詔を承ることはできません。ただ陛下が全体の構図の下書きをなさってくだされば、私が仕上げて整えます」と。皇帝はすぐに筆を取り、またたく間に大きな形勢を描き、周玄素に手を加えさせようとした。周玄素は進み出て言った、「陛下の山河はすでに定まっております。どうして少しでも動かせましょうか」と。皇帝は笑ってこれを受け入れた。〔評議〕筆を執って一度でも意にかなわなければ、どんな事態になるか分からない。周玄素は巧みに災いを避けたと言える。
解説
この章句が説くこと
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