呻吟語 / 外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや
棄此身操執之常而以圓軟沽俗譽,忘國家遠大之患而以寬厚巿私恩,巧趨人所未見之利,善避人所未識之害,立身於百禍不侵之地,事成而我有功,事敗而我無咎,此智巧士也,國家奚賴焉!
新字:棄此身操執之常而以円軟沽俗誉,忘国家遠大之患而以寛厚巿私恩,巧趨人所未見之利,善避人所未識之害,立身於百禍不侵之地,事成而我有功,事敗而我無咎,此智巧士也,国家奚頼焉!
書き下し
此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
現代語訳
この身が守り通すべき常を捨てて、丸く軟らかいことで世の評判を買い、国家の遠く大きな患いを忘れて、寛厚さで私的な恩を売り、巧みに人がまだ気づかない利に走り、上手に人がまだ知らない害を避け、身を百の禍が侵せない場所に置き、事が成れば自分に功があり、事が敗れれば自分に咎が無い。これが智恵と技巧の士です。国家は何を頼りにすればよいのでしょうか。
解説
最も巧みな立ち回りを、細かく描写します。評判を買い、恩を売り、利に先回りし、害を先に避け、安全な場所に身を置く。成功すれば功、失敗すれば無傷。完璧な保身です。そして最後に反問が置かれます。こういう人ばかりなら国は何を頼るのか。有能さの最も危うい形を描いた一段です。能力が高いほど危ういという、逆説の構図になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
保身立ち回り評判無傷智巧
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『甲陽軍鑑』品第十四扨は残る百人のうち八十人の侍斗り居て、何事に付ても中篇に思案仕よく知たる事をもしらぬ様に取なし、殊更身を大事にして兎角つよすぎたる大将の下にて、討死などして妻子共に別れんより、引きこまんと存知、物をたくはへんとて、虚病を搆へ軍役をかき、武具をも嗜まねば若しあらはれやせんとて、そこにて出頭衆へ草づとを恵み、ここをもつて古人も世滞流布似投猿ノ檻ヲとは、身を持ちたがりあがきまはる侍のしわざなり、其侍が必ず奉公の忠節·忠儀もなくして、知行をほしがるは蔵や土蔵のしりをきる盗人よりはおとりなり、其謂は盗人はあらはるれは又命を失ふ、此待武士の働き卅に余り四十に及ても能事もなくて所領を望むは盗人の内にても一入未練の盗賊なり、
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、