智囊 / 謬數・僕散忠義・晏嬰
亦可以食桃而無與人同矣,二子何不反桃?」抽劍而起。公孫接、田開疆曰:「吾勇不子若,功不子逮,取桃不讓,是貪也;然而不死,無勇也。」皆反其桃,挈領而死。古冶子曰:「二子死之,冶獨生之,不仁;恥人以言而誇其聲,不義;恨乎所行不死,無勇。」亦反其桃,挈領而死。使者覆命,公葬之以士禮。其後諸葛亮作《梁甫吟》以哀之。
新字:亦可以食桃而無与人同矣,二子何不反桃?」抽剣而起。公孫接、田開疆曰:「吾勇不子若,功不子逮,取桃不譲,是貪也;然而不死,無勇也。」皆反其桃,挈領而死。古冶子曰:「二子死之,冶独生之,不仁;恥人以言而誇其声,不義;恨乎所行不死,無勇。」亦反其桃,挈領而死。使者覆命,公葬之以士礼。其後諸葛亮作《梁甫吟》以哀之。
書き下し
亦た以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし。二子、何ぞ桃を反さざる」と。剣を抽きて起つ。公孫接、田開疆曰く、「吾が勇は子に若かず、功は子に逮ばず。桃を取りて譲らざるは、是れ貪なり。然れども死せざるは、勇無きなり」と。皆な其の桃を反し、領を挈げて死す。古冶子曰く、「二子之に死し、冶のみ独り之に生くるは、不仁なり。人を恥ずかしむるに言を以てして其の声を誇るは、不義なり。行う所に死せざるを恨むは、勇無きなり」と。亦た其の桃を反し、領を挈げて死す。使者、命に覆す。公、之を葬るに士の礼を以てす。其の後、諸葛亮、《梁甫吟》を作りて以て之を哀しむ。
現代語訳
私の功なら、やはり桃を食べて、人と分け合わなくてよい。お二人は、なぜ桃を返さないのか」と言い、剣を抜いて立った。公孫接と田開疆は「私の勇は君に及ばず、功も君に及ばない。それなのに桃を取って譲らなかったのは、貪欲だ。それでいて死なないのは、勇がないのだ」と言い、二人とも桃を返し、自分の首を刎ねて死んだ。古冶子は「二人が死んで、自分だけが生きているのは不仁である。人に恥をかかせるような言葉で自分の名を誇ったのは不義である。自分のしたことを恥じて死ぬ勇気がないのは、勇がないことだ」と言い、やはり桃を返し、首を刎ねて死んだ。使者が復命すると、景公は三人を士の礼で葬った。その後、諸葛亮が『梁甫吟』を作って彼らを悼んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』謬數・僕散忠義・晏嬰僕散忠義、博州防禦使為り。一夕、陰晦なり。囚徒、獄に反せんと謀る。倉卒の間、将士皆な皇駭して措を失う。忠義、従容として、但だ守更の吏をして鼓を撾ち角を鳴らさしむ。囚徒、天且に曉けんとすと以為い、敢えて出でず、自ら桎梏に就く。公孫接、田開疆、古冶子、景公に同事す。其の勇力を恃みて無礼なり。晏子、之を除かんことを請う。公曰く、「三子は、之を搏つも得ず、之を刺すも恐らくは中たらざらん」と。晏子、公をして人をして之に二桃を餽らしめんことを請い、曰く、「三子、何ぞ功を計りて桃を食らわざる」と。公孫接曰く、「接は一たび豕の肩を搏ち、再び乳虎を搏つ。接の功の若きは、以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし」と。桃を援きて起つ。田開疆曰く、「吾、兵を伏せて三軍を却くること再びなり。開疆の功の若きは、亦た以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし」と。桃を援きて起つ。古冶子曰く、「吾、嘗て君に従いて河を済る。黿、左驂を銜え、以て砥柱の流に入る。是の時に当たり、冶は少く游ぐ能わず、潜行して流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、黿を得て之を殺す。左に驂の尾を操り、右に黿の頭を挈げ、鶴躍して出づ。津人相い驚き、以て河伯と為す。冶の功の若きは、
-
『智囊』善言・晏子・敬新磨景公に馬有り、其の圉人之を殺す。公怒り、戈を援きて将に自ら之を撃たんとす。晏子曰く、「此れ其の罪を知らずして死せん。臣請う、君の為に之を数えん」と。公曰く、「諾」と。晏子戈を挙げて之に臨みて曰く、「汝は我が君の為に馬を養いて之を殺せり、而して罪は死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺さしむ、而して罪又死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺し、四隣の諸侯に聞かしむ、而して罪又死に当たる」と。公曰く、「夫子之を釈せ、吾が仁を傷つくること勿かれ」と。後唐の荘宗中牟に猟し、民田を践み蹂む。中牟の令馬に当たりて諫む。荘宗大いに怒り、叱りて斬らしめんと命ず。伶人敬新磨、諸伶を率いて其の令を走り追い、擒えて馬前に至り、之を数えて曰く、「汝は県令たり、独り天子の田猟を好むを聞かざるか。奈何ぞ民をして稼穡を縦にし、以て歳賦を供せしむる。何ぞ汝の民を飢餓せしめ、此の田地を空しくして、以て天子の馳せ逐うを待たざる。汝の罪は死に当たる。亟かに行刑を請う」と。諸伶復た唱和す。是に於いて荘宗大笑し、之を赦す。
-
『智囊』知微・諸葛亮・梅國楨客が昭烈(劉備)の所に至り、談論は甚だ愜った。諸葛亮が忽ち入ると、客は遂に起って厠に如いた。備は亮に客を誇って語った。亮は曰く、「客を観るに、色は動き神は懼れ、視ることは低く盼ることは数しく、奸形は外に漏れ、邪心は内に蔵されています。必ず曹氏の刺客です」と。急いで追うと、已に牆を越えて遁れていた。少司馬の梅公衡湘は三鎮を総督していた。虜の酋が忽ち鉄数鎰を以て献じ、「これは沙漠の新産です」と言った。公は意うに、必ずこの事は無く、彼は我が鉄禁を弛めることを幸いとするのだと思い、そこで慰めて遣わし、即ちその鉄を以て一剣を鋳し、鎸って「某年月、某王贈鉄」と云った。因って諸辺に檄告して、「虜中には已に鉄が産する、釜を市うことは必要ない」と言った。その後、虜に釜が欠けて、来て旧例を言うと、公は曰く、「汝の国には既に鉄が有る、自ら冶すべきだ」と。虜使は嘩いで無いと言ったので、公は乃ち剣を出してこれに示した。虜使は叩頭して罪に服し、これより敢えて公に一言も欺かなかった。〔馮按〕公は雲中を撫するに、虜王が款塞するに値い、静を以てこれを鎮めた。華人で夷の物を盗む者に遇えば、これを法に置き、夷人が賞額の外に一絲一粟を増すことを求めても、得られなかった。公は一日、大いに出猟し、盛んに旗幟を張り、諸将に尽く甲して従わせ、大漠で校射した。県令は非時に稼を妨げるとして、心にこれを怪しんだが敢えて言わなかった。後数日、虜の諜を獲て云うには、虜は入犯しようとしたが、備え有るを聞いて中止したという。令は乃ち歎服し、公の心計は人の及ぶ所でないとした。
-
呂氏春秋・過理②晉の靈公は無道なり。上從り人に彈きて其の丸を避くるを觀、宰人をして熊蹯を臑しめて熟せず、之を殺して、婦人をして載せて朝を過ぎしめ、以て威を示すは、不適なり。趙盾驟々諫むれども聽かず、公之を惡み、乃ち沮麛を使う。沮麛、之を見、賊するに忍びず。曰く、「恭敬を忘れざるは、民の主なり。民の主を賊するは不忠なり。君の命を棄つるは不信なり、此に一あるは、死するに若かず。」乃ち廷の槐に觸して死す。
-
『長短経』臣行諸葛亮、馬謖の街亭に敗るるを以て、之を殺す。後に蔣琬、亮に謂いて曰く「昔、楚は得臣を殺し、然る後に文公の喜び知る可し。天下未だ定まらずして、智計の士を戮す。豈に惜しからずや」と。亮、涕を流して曰く「孫武の能く勝を制する所以の者は、法を用うること明らかなればなり。是を以て楊干、法を乱し、魏絳之を戮す。四海分裂し、兵交わること方に始まる。若し復た法を廃せば、何を用てか賊を討たんや」と。習鑿歯曰く「諸葛亮の上国を兼ぬる能わざるは、豈に宜ならずや。夫れ晋人は林父の後に済すを視る。故に法を廃して功を収む。楚の成は得臣の己を益するに闇し。故に之を殺して以て敗を重ぬ。今、蜀は一方に僻陋にして、才は上国に少なし。而るに其の駿傑を殺し、退きて駑下の用を収む。法を明らかにして才に勝つ。三敗の道に師らず。将に以て業を成さんとす。亦た難からずや」と。
-
呂氏春秋・髙義④荊人、吳人と將に戰わんとす。荊の師寡く、吳の師衆し。荊の將軍子囊曰く、「我、吳人と戰わば、必ず敗れん。王の師を敗り、王の名を辱しめ、壤土を虧くは、忠臣、為すに忍びざるなり。」王に復さずして遁れ、郊に至り、人をして王に復さしめて曰く、「臣請う死せん。」王曰く、「將軍の遁れたるは、其の利為るを以てなり。今誠に利ならば、將軍何ぞ死せん。」子囊曰く、「遁るる者罪無くんば、則ち後世の王の臣為る者、皆不利の名に依りて、臣の遁れたるに效わんとす。是きの若くなれば則ち荊國終に天下に撓められん。」遂に劍に伏して死す。王曰く、「請う將軍の義を成さん。」乃ち之に桐棺三寸を為り、斧鑕を其の上に加う。人主の患は存すれども、存する所以を知らず、亡ぶれども亡ぶる所以を知らず。此れ存亡の數々至る所以なり。郼・岐の廣さにして、萬國の順いしは、此れ從り生ず。荊の國を為すこと四十二世、嘗て乾谿・白公の亂有り、嘗て鄭襄・州侯の避有り、而も今も猶ほ萬乘の大國為るは、其の時臣に子囊の如きもの有ればなりしか。子囊の節は、獨り一世の人臣を厲ますのみに非ざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る