智囊 / 謬數・僕散忠義・晏嬰
僕散忠義為博州防禦使。一夕陰晦,囚徒謀反獄,倉卒間,將士皆皇駭失措。忠義從容,但使守更吏撾鼓鳴角,囚徒以為天且曉,不敢出,自就桎梏。公孫接、田開疆、古冶子同事景公,恃其勇力而無禮,晏子請除之,公曰:「三子者搏之不得,刺之恐不中也。」晏子請公使人餽之二桃,曰:「三子何不計功而食桃?」公孫接曰:「接一搏豕肩,而再搏乳虎,若接之功,可以食桃而無與人同矣。」援桃而起。田開疆曰:「吾伏兵而卻三軍者再,若開疆之功,亦可以食桃而無與人同矣。」援桃而起。古冶子曰:「吾嘗從君濟於河,黿銜左驂,以入砥柱之流。當是時也,冶少不能游,潛行逆流百步,順流九里,得黿而殺之,左操驂尾,右挈黿頭,鶴躍而出,津人相驚,以為河伯。若冶之功,
新字:僕散忠義為博州防禦使。一夕陰晦,囚徒謀反獄,倉卒間,将士皆皇駭失措。忠義従容,但使守更吏撾鼓鳴角,囚徒以為天且暁,不敢出,自就桎梏。公孫接、田開疆、古冶子同事景公,恃其勇力而無礼,晏子請除之,公曰:「三子者搏之不得,刺之恐不中也。」晏子請公使人餽之二桃,曰:「三子何不計功而食桃?」公孫接曰:「接一搏豕肩,而再搏乳虎,若接之功,可以食桃而無与人同矣。」援桃而起。田開疆曰:「吾伏兵而却三軍者再,若開疆之功,亦可以食桃而無与人同矣。」援桃而起。古冶子曰:「吾嘗従君済於河,黿銜左驂,以入砥柱之流。当是時也,冶少不能游,潜行逆流百歩,順流九里,得黿而殺之,左操驂尾,右挈黿頭,鶴躍而出,津人相驚,以為河伯。若冶之功,
書き下し
僕散忠義、博州防禦使為り。一夕、陰晦なり。囚徒、獄に反せんと謀る。倉卒の間、将士皆な皇駭して措を失う。忠義、従容として、但だ守更の吏をして鼓を撾ち角を鳴らさしむ。囚徒、天且に曉けんとすと以為い、敢えて出でず、自ら桎梏に就く。公孫接、田開疆、古冶子、景公に同事す。其の勇力を恃みて無礼なり。晏子、之を除かんことを請う。公曰く、「三子は、之を搏つも得ず、之を刺すも恐らくは中たらざらん」と。晏子、公をして人をして之に二桃を餽らしめんことを請い、曰く、「三子、何ぞ功を計りて桃を食らわざる」と。公孫接曰く、「接は一たび豕の肩を搏ち、再び乳虎を搏つ。接の功の若きは、以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし」と。桃を援きて起つ。田開疆曰く、「吾、兵を伏せて三軍を却くること再びなり。開疆の功の若きは、亦た以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし」と。桃を援きて起つ。古冶子曰く、「吾、嘗て君に従いて河を済る。黿、左驂を銜え、以て砥柱の流に入る。是の時に当たり、冶は少く游ぐ能わず、潜行して流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、黿を得て之を殺す。左に驂の尾を操り、右に黿の頭を挈げ、鶴躍して出づ。津人相い驚き、以て河伯と為す。冶の功の若きは、
現代語訳
僕散忠義が博州の防禦使だったとき、ある夜、空が曇って暗かった。囚人たちが牢獄を破って反乱しようとした。あわただしさの中、将兵たちはみな驚きうろたえ、どうしてよいか分からなくなった。忠義は落ち着いて、ただ夜番の役人に太鼓を打たせ、角笛を鳴らさせた。囚人たちは夜明けが近いと思い、出る勇気をなくし、自分から手かせ足かせの中に戻った。公孫接、田開疆、古冶子の三人は景公に仕えていた。彼らは武勇を頼んで無礼であった。晏子は彼らを除くことを願い出た。景公は「この三人は、取り押さえようにも組み伏せられず、刺そうにも当たらないかもしれない」と言った。晏子は、景公の使者に桃二つを贈らせ、「三人は、功を比べて桃を食べてはどうか」と言うことを請うた。公孫接は「私は一度イノシシの肩を打ち、二度乳を飲ませる虎を打った。私の功なら桃を食べて、人と分け合わなくてよい」と言い、桃を取って立った。田開疆は「私は伏兵で三軍を二度退けた。私の功なら桃を食べて、人と分け合わなくてよい」と言い、桃を取って立った。古冶子は「私はかつて君に従って黄河を渡った。すっぽんが左の添え馬をくわえて、砥柱の急流に入った。そのとき私は泳ぎが下手だったが、水に潜って流れに逆らうこと百歩、流れに従うこと九里、すっぽんを見つけて殺した。左手に馬の尾を持ち、右手にすっぽんの頭をつかんで、鶴のように跳び出た。渡し場の人々は驚き合い、河の神だと思った。私の功なら、
解説
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『智囊』謬數・僕散忠義・晏嬰亦た以て桃を食らいて人と同じくする無かるべし。二子、何ぞ桃を反さざる」と。剣を抽きて起つ。公孫接、田開疆曰く、「吾が勇は子に若かず、功は子に逮ばず。桃を取りて譲らざるは、是れ貪なり。然れども死せざるは、勇無きなり」と。皆な其の桃を反し、領を挈げて死す。古冶子曰く、「二子之に死し、冶のみ独り之に生くるは、不仁なり。人を恥ずかしむるに言を以てして其の声を誇るは、不義なり。行う所に死せざるを恨むは、勇無きなり」と。亦た其の桃を反し、領を挈げて死す。使者、命に覆す。公、之を葬るに士の礼を以てす。其の後、諸葛亮、《梁甫吟》を作りて以て之を哀しむ。
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『智囊』善言・晏子・敬新磨景公に馬有り、其の圉人之を殺す。公怒り、戈を援きて将に自ら之を撃たんとす。晏子曰く、「此れ其の罪を知らずして死せん。臣請う、君の為に之を数えん」と。公曰く、「諾」と。晏子戈を挙げて之に臨みて曰く、「汝は我が君の為に馬を養いて之を殺せり、而して罪は死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺さしむ、而して罪又死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺し、四隣の諸侯に聞かしむ、而して罪又死に当たる」と。公曰く、「夫子之を釈せ、吾が仁を傷つくること勿かれ」と。後唐の荘宗中牟に猟し、民田を践み蹂む。中牟の令馬に当たりて諫む。荘宗大いに怒り、叱りて斬らしめんと命ず。伶人敬新磨、諸伶を率いて其の令を走り追い、擒えて馬前に至り、之を数えて曰く、「汝は県令たり、独り天子の田猟を好むを聞かざるか。奈何ぞ民をして稼穡を縦にし、以て歳賦を供せしむる。何ぞ汝の民を飢餓せしめ、此の田地を空しくして、以て天子の馳せ逐うを待たざる。汝の罪は死に当たる。亟かに行刑を請う」と。諸伶復た唱和す。是に於いて荘宗大笑し、之を赦す。
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『智囊』善言・說秦王・晏子秦王、中期と争論して勝たず、秦王大いに怒り、中期徐ろに行きて去る。或いは中期の為に秦王に説きて曰く、「悍人のみ。中期は適たま明君に遇う故なり。向者桀・紂に遇わば、必ず之を殺さん」と。秦王因りて罪せず。斉に罪を景公に得たる者有り、公大いに怒り、縛りて殿下に置き、左右を召して之を肢解せんとす、「敢えて諫むる者は誅す」と。晏子左手に頭を持ち、右手に刀を磨ぎ、仰ぎて問いて曰く、「古者の明王聖主の人を肢解するは、知らず何れの処より始むるか」と。公席を離れて曰く、「之を縦せ、罪は寡人に在り」と。時に景公刑に煩わしく、踴を鬻ぐ者有り。公晏子に問いて曰く、「子の居は市に近し、孰れか貴く孰れか賤きかを知るか」と。対えて曰く、「踴貴くして履賤し」と。公悟り、之が為に刑を省く。〔述評〕晏子の諫は、諷多くして直少なし、殆ど滑稽の祖なり。其の他荊に使いし、呉に使いし、楚に使いする事も、亦た皆遊戯を以て勝つ。覚ゆ、他人の道理を講ずる者は、方にして入り難し。晏子将に荊に使いせんとするや、荊王左右と謀り、以て之を辱めんと欲す。王晏子と立ちて語る、一人を縛りて王を過ぎて行く者有り、王曰く、「何為る者ぞ」と。対えて曰く、「斉人なり」と。王曰く、「何に坐するか」と。対えて曰く、「盗に坐す」と。王曰く、「斉人は故より盗むか」と。晏子曰く、「江南に橘有り、取りて之を江北に樹うれば、乃ち枳と為る。然る所以の者は、其の地をして然らしむるなり。今斉人は斉に居りては盗まず、荊に来たりて盗む。荊の地は固より是の若きか」と。王曰く、「聖人は与に戯るる所に非ず、只だ辱めを取るのみ」と。
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説苑・政理晏子、東阿を治むること三年、景公召して之を数めて曰く、「吾子を以て可なりとし、子をして東阿を治めしむ。今子治めて乱る。子退きて自ら察せよ。寡人将に大誅を子に加えんとす。」晏子対えて曰く、「臣請う道を改め行いを易えて東阿を治めん。三年治まらずんば、臣死を請わん。」景公之を許す。是に於て明年上計するに、景公迎えて之を賀して曰く、「甚だ善きかな、子の東阿を治むるや。」晏子対えて曰く、「前に臣の東阿を治むるや、属託行われ、貨賂至り、并せて賦斂を会し、倉庫内るる少なく、便事は左右にし、陂池の魚は権家に入る。此の時に当りて、饑うる者半ばを過ぐ。君乃ち反って迎えて臣を賀す。愚にして復た東阿を治むる能わず、骸骨を乞い、賢者の路を避けんことを願う。」再拝便辟す。景公乃ち席を下りて之に謝して曰く、「子強いて復た東阿を治めよ。東阿は子の東阿なり、寡人復た与らざるなり。」
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説苑・臣術晏子方に食す、君の使者至る、食を分かちて之を食わしむ、晏子飽かず。使者返りて之を景公に言う。景公曰く、「嘻、夫子の家是くの若く其れ貧しきか、寡人知らざるなり、是れ寡人の過ちなり」と。吏をして千家の県一を晏子に致さしむ。晏子再拝して辞して曰く、「嬰の家貧しからず、君の賜を以て、沢三族に覆い、延いて交遊に及び、以て百姓を振う、君の賜厚し、嬰の家貧しからざるなり。嬰聞く、厚く之を君に取りて厚く之を人に施すは、君に代わりて君と為すなり、忠臣為さざるなり。厚く之を君に取りて之を蔵するは、是れ筐筴の存するなり、仁人為さざるなり。厚く之を君に取りて之を施す所無きは、身死して財遷る、智者為さざるなり。嬰聞く、人臣為るは、進みて上に事うるに忠を以てせず、退きて下に克たざるを以て廉と為す、八升の布、一豆の食、足れり」と。使者三たび返り、遂に辞して受けず。陳成子鴟夷子皮に謂いて曰く、「常に何を与にせん」と。対えて曰く、「君死せば吾死せず、君亡ぶれば吾亡びず」と。陳成子曰く、「然らば子何を以て常に与にせん」と。対えて曰く、「未だ死せずして死を去り、未だ亡びずして亡を去る、其れ何の死亡か之有らんや。命に従いて君を利するを之れ順と謂い、命に従いて君を病ましむるを之れ諛と謂い、命に逆らいて君を利するを之れ忠と謂い、命に逆らいて君を病ましむるを之れ乱と謂う。君過ち有りて諫諍せず、将に国を危うくし社稷を殞さんとするに、能く言を君に尽くす者有り、用いらるれば則ち之に留まり、用いられざれば則ち之を去る、之を諫と謂う。用いらるれば則ち生くべく、用いられざれば則ち死す、之を諍と謂う。能く比和同力して群下を率いて相い与に君を強矯する者有り、君安からずと雖も、聴かざる能わず、遂に国の大患を解き、国の大害を除き、尊君安国に成る、之を輔と謂う。能く君の命に亢い、君の事に反し、君の重きを竊みて以て国の危を安んじ、主の辱を除去し攻伐して以て国の大利を成すに足る者有り、之を弼と謂う。故に諫諍輔弼の人は、社稷の臣なり。明君の尊礼する所にして、闇君以て己が賊と為す。故に明君の賞する所は、闇君の殺す所なり。明君問を好み闇君独りを好み、明君賢を上げ能を使いて其の功を享け、闇君賢を畏れ能を妒みて其の業を減じ、其の忠を罰して、其の賊を賞す。夫れ是を之れ至闇と謂う、桀紂の亡ぶる所以なり。詩に云う、『曾て是れ聴くこと莫く、大命以て傾く』と、此を之れ謂うなり」と。
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『智囊』謬數・王忠嗣・謝安・李郃王忠嗣は唐の名将なり。安禄山、雄武に城き、飛狐塞を扼し、乱を為さんことを謀り、忠嗣に役を助けんことを請い、其の兵を留めんと欲す。忠嗣、期に先んじて至り、禄山に見えずして還る。桓温、病篤く、朝廷を諷して己に九錫を加えしめんとす。謝安、袁宏をして草を具えしむ。安、之を見て、輒ち宏をして改めしむ。是に由りて旬を歴るも就らず。温薨じ、錫命遂に寝む。〔按ずるに〕袁宏、草成り、以て王彪之に示す。彪之曰く、「卿の文は甚だ美なり。然れども此の文、何ぞ人に示すべけんや。安の頻りに改むるは、以有るなり」と。大将軍竇憲、妻を内る。郡国、俱に往きて賀す。漢中太守も亦た使を遣わさんと欲す。戸曹李郃、諫めて曰く、「竇氏は恣横にして、危亡は立ちどころに俟つべし。願わくは明府、与に通ずる勿かれ」と。太守、固く遣わさんとす。郃、乃ち自ら行かんことを請い、故に所在に遅留して以て其の変を観る。行きて扶風に至るに、憲已に誅せられ、諸もろの交通せる者、皆な連坐す。唯だ太守のみ預からざるを以て免るるを得たり。〔注〕李郃は、字は孟節、即ち二使星の益部に来たるを知る者なり。其の竇氏の敗を決するは、或いは亦た天文に徴有らん。然れども至理も亦た是に過ぎず。
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