智囊 / 謬數・王尼
尼,字孝孫,本兵家子,為護軍府軍士,然有高名。胡母輔之與王澄、傅暢等諸名士,迭屬河南功曹及洛陽令,請解之,不許。輔之等一日齎羊酒詣護軍門,門吏疏名呈護軍,護軍大喜,方欲出迓。時尼正養馬,諸公直入馬廄下,與尼炙羊飲酒,劇飲而去,竟不見護軍。護軍大驚,即與尼長假。〔述評〕《餘冬序錄》載,楊文貞在閣下時,其婿來京。婿久之當歸,念無裝資,會有知府某犯贓千萬,夤緣是婿,賂至數千,為其求救。此知府已入都察院獄矣,楊不得已,於該道問理日,遣一吏持盒食至院,云:「閣下楊與某知府送飯。」御史大驚,即命釋其刑具,候飯畢,一切聽令分雪,遂得還職。此與王尼事同,但所釋者,名士墨吏既殊;而釋人者,畏名又與畏權勢亦異。文貞賢相,果有此,未免白璧之瑕矣!
新字:尼,字孝孫,本兵家子,為護軍府軍士,然有高名。胡母輔之与王澄、傅暢等諸名士,迭属河南功曹及洛陽令,請解之,不許。輔之等一日齎羊酒詣護軍門,門吏疏名呈護軍,護軍大喜,方欲出迓。時尼正養馬,諸公直入馬廄下,与尼炙羊飲酒,劇飲而去,竟不見護軍。護軍大驚,即与尼長仮。〔述評〕《余冬序録》載,楊文貞在閣下時,其婿来京。婿久之当帰,念無装資,会有知府某犯贓千万,夤縁是婿,賂至数千,為其求救。此知府已入都察院獄矣,楊不得已,於該道問理日,遣一吏持盒食至院,云:「閣下楊与某知府送飯。」御史大驚,即命釈其刑具,候飯畢,一切聴令分雪,遂得還職。此与王尼事同,但所釈者,名士墨吏既殊;而釈人者,畏名又与畏権勢亦異。文貞賢相,果有此,未免白璧之瑕矣!
書き下し
尼、字は孝孫、本は兵家の子、護軍府の軍士為り、然れども高名有り。胡母輔之、王澄、傅暢等の諸名士と、迭いに河南の功曹及び洛陽令に属し、解かんことを請うも、許されず。輔之ら一日、羊酒を斎して護軍の門に詣る。門吏、名を疏して護軍に呈す。護軍大いに喜び、方に出でて迓えんと欲す。時に尼、正に馬を養う。諸公直ちに入り、馬廄の下にて尼と羊を炙り酒を飲み、劇飲して去り、竟に護軍に見えず。護軍大いに驚き、即ち尼に長假を与う。〔述評〕《余冬序録》に載す、楊文貞、閣下に在りし時、其の婿、京に来たる。婿、久しくして当に帰るべきも、装資無きを念う。会たま知府某、贓千万を犯す有り、是の婿に夤縁し、賂は数千に至り、為に救いを求む。此の知府、已に都察院の獄に入る。楊、已むを得ず、該道の問理の日に於いて、一吏をして盒食を持ちて院に至らしめ、云う、「閣下の楊、某知府の与に飯を送る」と。御史大いに驚き、即ち命じて其の刑具を釈かしめ、飯畢るを候ち、一切分雪を聴令し、遂に職に還るを得たり。此れ王尼の事と同じ。但だ釈かれし所の者、名士と墨吏と既に殊なり、而して人を釈く者、名を畏るると権勢を畏るるとも亦た異なる。文貞は賢相なり、果たして此れ有らば、未だ白璧の瑕を免れず。
現代語訳
王尼は字を孝孫といい、もとは兵家の子で護軍府の軍士だったが、高い名声があった。胡母輔之、王澄、傅暢ら名士たちが、河南の功曹や洛陽令に次々と頼んで、彼を軍籍から解いてくれるよう願ったが、許されなかった。ある日、輔之らは羊肉と酒を持って護軍の門を訪れた。門番が名簿に書いて護軍に差し出すと、護軍は大いに喜び、ちょうど出迎えようとした。そのとき王尼は馬の世話をしていた。名士たちはそのまま入ってきて、馬小屋の下で王尼と羊を炙って酒を飲み、大いに飲んで帰り、とうとう護軍には会わなかった。護軍は大いに驚き、すぐに王尼に長期の休暇を与えた。〔述評〕『余冬序録』に載る話では、楊文貞(楊士奇)が内閣にいたとき、その婿が都に来た。婿は長く滞在して帰ろうとしたが、旅費がないことを思案していた。ちょうどある知府が大金の賄賂の罪を犯し、この婿を頼って数千の賄賂を贈り、救いを求めた。この知府はすでに都察院の獄に入っていた。楊はやむを得ず、その道の審理の日に、一人の吏に弁当箱を持たせて都察院へ行かせ、「閣下の楊が、某知府に食事を送る」と言わせた。御史は大いに驚き、すぐに刑具を外させ、食事が終わるのを待って、あらゆる弁明を自由にさせ、ついに知府は官職に戻れた。これは王尼の話と同じである。ただ、解かれた者が名士と汚職官という違いがあり、解いた者が名声を恐れたか権勢を恐れたかという点も異なる。文貞は賢相であり、もし本当にこうしたことがあったなら、白玉の傷を免れない。
解説
この章句が説くこと
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