智囊 / 謬數・蘇秦
〔按〕蘇從張衡,原無定局。蘇初說秦王不用,轉而之趙,計不得不出於從。張既事秦,不言衡不為功,其勢然也。獨謂蘇既識張才,何不貴顯之於六國間,作自己一幫手,而激之入秦,授以翻局之資,非失算乎?不知張之狡譎,十倍於蘇,其志必不屑居蘇下,則其說必不肯襲蘇套,厚嫁之於秦,猶可食其數年之報;而並峙於六國,且不能享一日之安。季子料之審矣。若楊和王還故人於代北,為之謀生,或豢之以待萬一之用也。英雄作事,豈泛泛哉?楊和王有所親愛吏卒,平居賜予無算,一旦無故怒而逐之,吏莫知其罪,泣拜而去,楊曰:「無事莫來見我。」吏悟其意,歸以厚貲俾其子入台中為吏,居無何,御吏欲論楊乾沒軍中糞錢十餘萬,其子聞之,告其父,父奔告楊。即縣札奏,言軍中有糞錢若干,樁管某處,惟朝廷所用。不數日,御失疏上,高宗出存中札子示之,坐妄言被黜,而楊眷日隆。其還故人於代北,亦或此意。
新字:〔按〕蘇従張衡,原無定局。蘇初説秦王不用,転而之趙,計不得不出於従。張既事秦,不言衡不為功,其勢然也。独謂蘇既識張才,何不貴顕之於六国間,作自己一幫手,而激之入秦,授以翻局之資,非失算乎?不知張之狡譎,十倍於蘇,其志必不屑居蘇下,則其説必不肯襲蘇套,厚嫁之於秦,猶可食其数年之報;而並峙於六国,且不能享一日之安。季子料之審矣。若楊和王還故人於代北,為之謀生,或豢之以待万一之用也。英雄作事,豈泛泛哉?楊和王有所親愛吏卒,平居賜予無算,一旦無故怒而逐之,吏莫知其罪,泣拝而去,楊曰:「無事莫来見我。」吏悟其意,帰以厚貲俾其子入台中為吏,居無何,御吏欲論楊乾没軍中糞銭十余万,其子聞之,告其父,父奔告楊。即県札奏,言軍中有糞銭若干,樁管某処,惟朝廷所用。不数日,御失疏上,高宗出存中札子示之,坐妄言被黜,而楊眷日隆。其還故人於代北,亦或此意。
書き下し
〔按ずるに〕蘇の従と張の衡とは、原より定局無し。蘇、初め秦王に説くも用いられず、転じて趙に之く、計は従に出でざるを得ず。張、既に秦に事うれば、衡の功を為さずと言わず、其の勢い然るなり。独り謂う、蘇、既に張の才を識れり、何ぞ之を六国の間に貴顕せしめ、自己の一幇手と作さず、而して之を激して秦に入らしめ、授くるに翻局の資を以てするは、失算に非ずやと。知らず、張の狡譎なること蘇に十倍し、其の志は必ず蘇の下に居るを屑しとせず、則ち其の説は必ず肯えて蘇の套を襲わず、厚く之を秦に嫁すれば、猶お其の数年の報を食むべし。而れども六国に並峙すれば、且つ一日の安を享くる能わざるを。季子の之を料ること審らかなり。楊和王の故人を代北に還し、為に生を謀るが若きは、或いは之を豢いて以て万一の用を待つなり。英雄の事を作すや、豈に泛泛ならんや。楊和王、親愛する所の吏卒有り、平居の賜予は算無し。一旦、故無くして怒りて之を逐う。吏、其の罪を知る莫く、泣きて拝して去る。楊曰く、「事無くんば来たりて我に見ゆる莫かれ」と。吏、其の意を悟り、帰りて厚貲を以て其の子をして台中に入りて吏と為らしむ。居ること何も無く、御吏、楊の軍中の糞銭十余万を乾没せるを論ぜんと欲す。其の子之を聞き、其の父に告げ、父、奔りて楊に告ぐ。即ち県札して奏し、言う、「軍中に糞銭若干有り、某処に椿管す、惟だ朝廷の用うる所なり」と。数日ならず、御の失疏、上る。高宗、存中の札子を出して之に示し、妄言を以て坐して黜けらる。而して楊の眷は日に隆んなり。其の故人を代北に還すも、亦た或いは此の意ならん。
現代語訳
〔考えるに〕蘇秦の合従と張儀の連衡は、もともと決まった定めがあったわけではない。蘇秦は初め秦王に説いたが用いられず、方向を変えて趙に行ったので、策は合従に出るほかなかった。張儀は秦に仕えた以上、連衡で手柄を立てないとは言えない。そうなるのは成り行きである。ただ、蘇秦が張儀の才を見抜いていたのなら、なぜ六国の間で彼を高い地位につけ、自分の協力者にしなかったのか。わざと奮い立たせて秦に入らせ、局面をひっくり返す資金まで与えたのは、計算違いではないかという疑問がある。しかし、張儀の狡猾さは蘇秦の十倍で、その志は必ず蘇秦の下に立つことを良しとしない。もし六国で並び立てば、張儀は蘇秦のやり方をまねることなく、一日の安らぎも得られなかっただろう。厚遇して秦に送りこめば、数年はその恩返しを受けられる。蘇秦はこれをよく見通していた。楊和王が旧友を代北に帰し、そのために暮らしを立ててやったのも、あるいは養っておいて、万一のときの用に備えたのかもしれない。英雄のなすことは、いいかげんなものではない。楊和王には可愛がっている下役がいて、ふだんの賜り物は数えきれなかった。ところがある日、理由もなく怒ってこの者を追い出した。下役は罪が分からず、泣いて拝礼して去った。楊は「用がなければ会いに来るな」と言った。下役はその意を悟り、帰って大金で自分の子を御史台に吏として入れた。やがて御史が、楊が軍中の糞銭十万余を横領していると弾劾しようとした。子はこれを聞いて父に告げ、父は走って楊に知らせた。楊はすぐ県の書状の形で上奏し、軍中に糞銭が若干あり、某所に保管してあって、朝廷が用いるままに任せると述べた。数日もしないうちに御史の誤った上疏が上がった。高宗は存中の書面を出して見せ、御史は妄言のかどで退けられ、楊への寵愛は日ましに厚くなった。旧友を代北に帰したのも、あるいはこうした意図だったのだろう。
解説
この章句が説くこと
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三略・中略軍勢に曰く、弁士をして敵の美を談説せしむること無かれ、其の衆を惑はすが為なり。仁者をして財を主らしむること勿かれ、其の多く施して下に附くが為なり。
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『韓非子』八説第四十七人君の任ずる所は、辯智に非ざれば則ち修潔なり。・・・智に任ずれば則ち君欺かれ、修に任ずれば則ち事亂る。此れ術無きの患なり。
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人物志・材能夫れ人材同じからず、能は各異なる有り。自任の能有り、立法使人の能有り、消息弁護の能有り、徳教を以て人に師たるの能、行事使人譴譲の能有り、司察糾摘の能有り、権奇の能有り、威猛の能有り。夫れ能は材より出で、材は量を同じくせず。材能既に殊なれば、政に任ずるも亦異なる。是の故に、自任の能は、清節の材なり、故に朝に在りては、則ち冢宰の任、国の為にしては、則ち矯直の政なり。立法の能は、治家の材なり、故に朝に在りては、則ち司寇の任、国の為にしては、則ち公正の政なり。計策の能は、術家の材なり、故に朝に在りては、則ち三孤の任、国の為にしては、則ち変化の政なり。人事の能は、智意の材なり、故に朝に在りては、則ち冢宰の佐、国の為にしては、則ち諧合の政なり。行事の能は、譴譲の材なり、故に朝に在りては、則ち司寇の佐、国の為にしては、則ち督責の政なり。権奇の能は、伎倆の材なり、故に朝に在りては、則ち司空の任、国の為にしては、則ち芸事の政なり。司察の能は、臧否の材なり、故に朝に在りては、則ち師氏の佐、国の為にしては、則ち刻削の政なり。威猛の能は、豪傑の材なり、故に朝に在りては、則ち将帥の任、国の為にしては、則ち厳厲の政なり。
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人物志・體別彊楷堅勁なるは、用は楨幹に在り、失は専固に在り。論弁理繹なるは、能は釈結に在り、失は流宕に在り。
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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