智囊 / 謬數・蘇秦
蘇秦、張儀嘗同學,俱事鬼谷先生。蘇秦既以合縱顯於諸侯,然恐秦之攻諸侯敗其約,念莫可使用於秦者,乃使人微感張儀,勸之謁蘇秦以求通。儀於是之趙,求見秦。秦誡門下人不為通,又使不得去者數日,已而見之。坐之堂下,賜僕妾之食,因而數讓之曰:「以子才能,乃自令困辱如此。吾寧不能言而富貴子,子不足收也。」謝去之,儀大失望,怒甚,念諸侯莫可事,獨秦能苦趙,乃遂入秦。蘇秦言於趙王,使其舍人微隨張儀,與同宿舍,稍稍近就之,奉以車馬金錢,張儀遂得以見秦惠王。王以為客卿,與謀伐諸侯,舍人乃辭去,儀曰:「賴子得顯,方且報德,何故去也?」舍人曰:「臣非知君,知君乃蘇秦也。蘇君憂秦伐趙,敗從約,以為非君莫能得秦柄。故感怒君,使臣陰奉給君資,今君已用,請歸報。」張儀曰:「嗟乎!此吾在術中而不悟,吾不及蘇君明矣;吾又新用,安能謀趙乎?為我謝蘇君,蘇君之時,儀何敢言?且蘇君在,儀寧渠能乎?」自是終蘇秦之世,不敢謀趙。
新字:蘇秦、張儀嘗同学,倶事鬼谷先生。蘇秦既以合縦顕於諸侯,然恐秦之攻諸侯敗其約,念莫可使用於秦者,乃使人微感張儀,勧之謁蘇秦以求通。儀於是之趙,求見秦。秦誡門下人不為通,又使不得去者数日,已而見之。坐之堂下,賜僕妾之食,因而数譲之曰:「以子才能,乃自令困辱如此。吾寧不能言而富貴子,子不足収也。」謝去之,儀大失望,怒甚,念諸侯莫可事,独秦能苦趙,乃遂入秦。蘇秦言於趙王,使其舎人微随張儀,与同宿舎,稍稍近就之,奉以車馬金銭,張儀遂得以見秦恵王。王以為客卿,与謀伐諸侯,舎人乃辞去,儀曰:「頼子得顕,方且報徳,何故去也?」舎人曰:「臣非知君,知君乃蘇秦也。蘇君憂秦伐趙,敗従約,以為非君莫能得秦柄。故感怒君,使臣陰奉給君資,今君已用,請帰報。」張儀曰:「嗟乎!此吾在術中而不悟,吾不及蘇君明矣;吾又新用,安能謀趙乎?為我謝蘇君,蘇君之時,儀何敢言?且蘇君在,儀寧渠能乎?」自是終蘇秦之世,不敢謀趙。
書き下し
蘇秦・張儀は嘗て同学にして、俱に鬼谷先生に事う。蘇秦既に合従を以て諸侯に顕るるも、秦の諸侯を攻めて其の約を敗らんことを恐れ、秦に使用すべき者無きを念い、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめ、之に勧めて蘇秦に謁して以て通ずるを求めしむ。儀、是に於いて趙に之き、秦に見えんことを求む。秦は門下の人に誡めて通ぜしめず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見ゆ。坐を堂下に与え、僕妾の食を賜い、因りて数々之を譲めて曰く、「子の才能を以て、乃ち自ら困辱を此の如くせしむ。吾寧ぞ言いて子を富貴ならしむる能わざらんや。子は収むるに足らず」と。謝して去らしむ。儀は大いに失望し、怒ること甚だし。諸侯に事うべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しむと念い、乃ち遂に秦に入る。蘇秦は趙王に言い、其の舎人をして微かに張儀に随わしめ、与に舎に同宿し、稍々近づき就き、奉ずるに車馬金銭を以てす。張儀は遂に以て秦の恵王に見ゆるを得たり。王は以て客卿と為し、与に諸侯を伐つを謀る。舎人乃ち辞して去る。儀曰く、「子に頼りて顕るるを得たり。方に且に徳に報いんとす。何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣は君を知るに非ず。君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君は秦の趙を伐ち、従約を敗らんことを憂い、君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと以為う。故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ。今君已に用いらる。請う、帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎。此れ吾術中に在りて悟らず。吾の蘇君に及ばざること明らかなり。吾又新たに用いらる。安んぞ能く趙を謀らんや。我の為に蘇君に謝せよ。蘇君の時、儀何ぞ敢えて言わん。且つ蘇君在さば、儀寧ぞ能くせんや」と。是れより蘇秦の世を終うるまで、敢えて趙を謀らず。
現代語訳
蘇秦と張儀はかつて同門で、ともに鬼谷先生に師事した。蘇秦は合従策で諸侯のあいだで名を上げたが、秦が諸侯を攻めて合従の約束を破ることを恐れ、秦で使える人物がいないと思案し、人にひそかに張儀を刺激させ、蘇秦に面会して縁故を求めるよう勧めさせた。張儀はそこで趙に行き、蘇秦に会おうとした。蘇秦は門番に命じて取り次がせず、また数日のあいだ立ち去らせないようにした。やがて面会し、堂の下に座らせ、召使いの食事を与え、何度も責めて言った。「君の才能で、自ら困窮と恥辱をこれほど招くとは。私がひと言いえば君を富貴にできないだろうか。君は取り立てるに値しない」。そして謝って去らせた。張儀は大いに失望し、ひどく怒った。諸侯のなかで仕えるべき相手はなく、ただ秦だけが趙を苦しめられると考え、とうとう秦に入った。蘇秦は趙王に話し、その家臣にひそかに張儀に従わせ、同じ宿に泊まり、しだいに親しくなって、車馬や金銭を差し出させた。張儀はこうして秦の恵王に会うことができた。王は客卿に任じ、共に諸侯を討つ計略を立てた。家臣は辞去しようとした。張儀は「あなたのおかげで世に出られた。ちょうど恩に報いようとしていたのに、なぜ去るのですか」と言った。家臣は「私はあなたを知っているのではありません。あなたを知っているのは蘇君です。蘇君は秦が趙を攻めて合従の約束を破ることを心配し、あなたでなければ秦の政権を握れないと考えました。それでわざとあなたを怒らせ、私にひそかにあなたに資金を差し出させたのです。いまあなたはすでに用いられました。帰って報告させてください」と言った。張儀は言った。「ああ、私は術の中にいて気づかなかった。私が蘇君に及ばないのは明らかだ。私は新たに用いられたばかりだ。どうして趙を攻めることができようか。私のために蘇君に礼を言ってほしい。蘇君の世のうちは、私はあえて言い出さない。蘇君がおられる限り、私に何ができようか」。それから蘇秦が生きている間、張儀は趙を攻めようとしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 張儀列伝蘇秦已に趙王に説きて相約して従親するを得たり、然れども秦の諸侯を攻め、約を敗りて後に負かんことを恐れ、秦に使用すべき者莫きを念ひ、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめて曰く、「子始め蘇秦と善し、今秦已に路に当たる、子何ぞ往きて游び、以て子の願ひを通ぜんことを求めざる」と。張儀是に於いて趙に之き、謁を上りて蘇秦に見えんことを求む。蘇秦乃ち門下の人を誡めて為に通ぜず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見え、之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ふ。因りて数々之を譲めて曰く、「子の材能を以て、乃ち自ら困辱をして此に至らしむ。吾寧ろ言ひて子を富貴にする能はざらんや、子は収むるに足らざるなり」と。謝して之を去らしむ。張儀の来たるや、自ら以為へらく故人なりと、益を求めて、反つて辱めらる、怒り、諸侯の事ふべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しめんと念ひ、乃ち遂に秦に入る。蘇秦已にして其の舎人に告げて曰く、「張儀は、天下の賢士なり、吾殆ど如かざるなり。今吾幸ひに先に用ひらる、而して能く秦の柄を用ふる者は、独り張儀のみ可なり。然れども貧しく、因りて以て進む無し。吾其の小利を楽しみて遂げざらんことを恐る、故に召して之を辱め、以て其の意を激す。子我が為に陰かに之を奉ぜよ」と。乃ち趙王に言ひ、金幣車馬を発し、人をして微かに張儀に随はしめ、与に宿舎を同じくし、稍稍近づきて之に就き、奉ずるに車馬金銭を以てし、用ひんと欲する所は、為に取りて給し、而して告げず。張儀遂に以て秦の恵王に見ゆるを得。恵王以て客卿と為し、与に諸侯を伐たんことを謀る。蘇秦の舎人乃ち辞して去る。張儀曰く、「子に頼りて顕るるを得、方に且に徳に報いんとす、何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣君を知るに非ず、君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君秦の趙を伐ちて従約を敗らんことを憂へ、以為へらく君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと、故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ、尽く蘇君の計謀なり。今君已に用ひらる、請ふ帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎、此れ吾が術中に在りて悟らず、吾蘇君に及ばざること明らかなり。
-
『智囊』謬數・蘇秦〔按ずるに〕蘇の従と張の衡とは、原より定局無し。蘇、初め秦王に説くも用いられず、転じて趙に之く、計は従に出でざるを得ず。張、既に秦に事うれば、衡の功を為さずと言わず、其の勢い然るなり。独り謂う、蘇、既に張の才を識れり、何ぞ之を六国の間に貴顕せしめ、自己の一幇手と作さず、而して之を激して秦に入らしめ、授くるに翻局の資を以てするは、失算に非ずやと。知らず、張の狡譎なること蘇に十倍し、其の志は必ず蘇の下に居るを屑しとせず、則ち其の説は必ず肯えて蘇の套を襲わず、厚く之を秦に嫁すれば、猶お其の数年の報を食むべし。而れども六国に並峙すれば、且つ一日の安を享くる能わざるを。季子の之を料ること審らかなり。楊和王の故人を代北に還し、為に生を謀るが若きは、或いは之を豢いて以て万一の用を待つなり。英雄の事を作すや、豈に泛泛ならんや。楊和王、親愛する所の吏卒有り、平居の賜予は算無し。一旦、故無くして怒りて之を逐う。吏、其の罪を知る莫く、泣きて拝して去る。楊曰く、「事無くんば来たりて我に見ゆる莫かれ」と。吏、其の意を悟り、帰りて厚貲を以て其の子をして台中に入りて吏と為らしむ。居ること何も無く、御吏、楊の軍中の糞銭十余万を乾没せるを論ぜんと欲す。其の子之を聞き、其の父に告げ、父、奔りて楊に告ぐ。即ち県札して奏し、言う、「軍中に糞銭若干有り、某処に椿管す、惟だ朝廷の用うる所なり」と。数日ならず、御の失疏、上る。高宗、存中の札子を出して之に示し、妄言を以て坐して黜けらる。而して楊の眷は日に隆んなり。其の故人を代北に還すも、亦た或いは此の意ならん。
-
史記 蘇秦列伝臣聞く、明主は疑ひを絶ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋党の門を塞ぐ、故に主を尊び地を広め兵を彊くするの計、臣前に忠を陳ぶるを得たり。故に竊かに大王の為に計るに、韓・魏・斉・楚・燕・趙を一にして以て従親し、以て秦に畔くに如くは莫し。天下の将相をして洹水の上に会せしめ、質を通じ、白馬を刳きて盟はしめん。要約して曰く、『秦楚を攻むれば、斉・魏各々鋭師を出だして以て之を佐け、韓は其の糧道を絶ち、趙は河漳を渉り、燕は常山の北を守る。秦韓魏を攻むれば、則ち楚は其の後を絶ち、斉は鋭師を出だして之を佐け、趙は河漳を渉り、燕は雲中を守る。秦斉を攻むれば、則ち楚は其の後を絶ち、韓は城皋を守り、魏は其の道を塞ぎ、趙は河漳・博関を渉り、燕は鋭師を出だして以て之を佐く。秦燕を攻むれば、則ち趙は常山を守り、楚は武関に軍し、斉は勃海を渉り、韓・魏皆鋭師を出だして以て之を佐く。秦趙を攻むれば、則ち韓は宜陽に軍し、楚は武関に軍し、魏は河外に軍し、斉は清河を渉り、燕は鋭師を出だして以て之を佐く。諸侯約の如くならざる者有らば、五国の兵を以て共に之を伐たん』と。六国従親して以て秦を賓けば、則ち秦の甲必ず敢へて函谷を出でて以て山東を害せざらん。此くの如くんば、則ち霸王の業成らん」と。趙王曰く、「寡人年少く、国に立つこと日浅く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ざるなり。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り。寡人敬んで国を以て従はん」と。乃ち車百乗、黄金千溢、白璧百双、錦繡千純を飾りて、以て諸侯に約す。是の時周の天子文武の胙を秦の恵王に致す。恵王犀首をして魏を攻めしめ、将竜賈を禽にし、魏の雕陰を取り、且に兵を東にせんと欲す。蘇秦秦の兵の趙に至らんことを恐れ、乃ち張儀を激怒せしめ、之を秦に入る。
-
史記 張儀列伝斉王曰く、「斉は僻陋にして、東海の上に隠居し、未だ嘗て社稷の長利を聞かざるなり」と。乃ち張儀を許す。張儀去り、西のかた趙王に説きて曰く、「敝邑の秦王使臣をして愚計を大王に効さしむ。大王天下を収率して以て秦を賓け、秦の兵敢へて函谷関を出でざること十五年。大王の威山東に行はれ、敝邑恐懼懾伏し、甲を繕ひ兵を厲まし、車騎を飾り、馳射を習ひ、田に力め粟を積み、四封の内を守り、愁居懾処して、敢へて動揺せず、唯だ大王の意有りて之を督過せんことを。今大王の力を以て、巴蜀を挙げ、漢中を并はせ、両周を包み、九鼎を遷し、白馬の津を守る。秦僻遠なりと雖も、然れども心忿り怒りを含むこと日久し。今秦に敝甲凋兵有り、澠池に軍す、願はくは河を渡り漳を踰え、番吾に拠り、邯鄲の下に会し、甲子を以て合戦し、以て殷紂の事を正さんことを、敬んで使臣をして先づ左右に聞せしむ。凡そ大王の信じて従を為す所の者は蘇秦を恃む。蘇秦諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国に反かんと欲して、自ら車裂を市にせしむ。夫れ天下の一にすべからざるも亦明らかなり。今楚秦と昆弟の国と為り、而して韓梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず、此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘ひ、其の党を失ひて孤居す、危ふきこと毋からんことを求欲すとも、豈に得べけんや。今秦三将軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興して清河を渡り、邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓梁を駆りて河外に軍せしむ。一軍は澠池に軍す。四国を約して一と為して以て趙を攻めん、趙破れば、必ず其の地を四分せん。是の故に敢へて意を匿し情を隠さず、先づ以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇ひ、面りに相見えて口もて相結び、兵を案じて攻むる無からんことを請ふに如くは莫し。
-
史記 蘇秦列伝初め、蘇秦の燕に之くや、人に百銭を貸りて資と為す、乃ち富貴を得て、百金を以て之を償ふ。遍く諸々の嘗て徳とせらるる所の者に報ゆ。其の従者に一人独り未だ報を得ざる者有り、乃ち前みて自ら言ふ。蘇秦曰く、「我子を忘るるに非ず。子の我と燕に至るや、再三我を易水の上に去らんと欲す、是の時に方りて、我困しむ、故に子を望むこと深し、是を以て子を後にす、子今亦之を得たり。蘇秦既に六国を約して従親せしめ、趙に帰る、趙の粛侯封じて武安君と為す、乃ち従約の書を秦に投ず。秦の兵敢へて函谷関を闚はざること十五年。其の後秦犀首をして斉・魏を欺かしめ、与に共に趙を伐ち、従約を敗らんと欲す。斉・魏趙を伐つ、趙王蘇秦を譲む。蘇秦恐れ、燕に使ひして、必ず斉に報いんことを請ふ。蘇秦趙を去りて従約皆解く。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。是の歳、文侯卒し、太子立つ、是れ燕の易王為り。易王初めて立つに、斉の宣王燕の喪に因りて燕を伐ち、十城を取る。易王蘇秦に謂ひて曰く、「往日先生燕に至り、而して先王先生に資して趙に見えしめ、遂に六国を約して従はしむ。今斉先づ趙を伐ち、次いで燕に至る、先生の故を以て天下の笑ひと為る、先生能く燕の為に侵地を得んか」と。蘇秦大いに慚ぢて、曰く、「請ふ王の為に之を取らん」と。蘇秦斉王に見え、再拝し、俯して慶し、仰ぎて弔す。斉王曰く、「是れ何ぞ慶弔の相随ふことの速やかなるや」と。蘇秦曰く、「臣聞く、飢人の飢うる所以にして烏喙を食らはざる者は、其の愈々腹を充たして餓死と患ひを同じくするが為なりと。今燕弱小なりと雖も、即ち秦王の少壻なり。大王其の十城を利として長く彊秦と仇を為す。今弱燕をして鴈行を為さしめ、彊秦其の後に敝ひ、以て天下の精兵を招く、是れ烏喙を食らふの類なり」と。斉王愀然として色を変じて曰く、「然らば則ち奈何せん」と。蘇秦曰く、「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為すと。
-
史記 張儀列伝夫れ易危の功を守りて彊秦の心に逆ふ、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ秦の兵を函谷より出だして以て斉・趙を攻めざること十五年なる所以の者は、陰かに天下を合するの心有るを謀ればなり。楚嘗て秦と難を構へ、漢中に戦ひ、楚人勝たず、列侯執珪の死する者七十余人、遂に漢中を亡ふ。楚王大いに怒り、兵を興して秦を襲ひ、藍田に戦ふ。此れ所謂両虎相搏つ者なり。夫れ秦楚相敝れて韓魏全きを以て其の後を制す、計此れより危ふき者無し。願はくは大王孰々之を計れ。秦甲を下して衛の陽晋を攻めば、必ず大いに天下の匈を関さん。大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし、宋を挙げて東に指さば、則ち泗上の十二諸侯尽く王の有なり。凡そ天下にして信約を以て従親し相堅むる者は蘇秦なり、武安君に封ぜられ、燕に相たり、即ち陰かに燕王と謀りて斉を伐破して其の地を分かたんとす。乃ち詳りて罪有りとして出で走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚る、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲す、其の成るべからざるも亦明らかなり。今秦と楚とは境を接し界を壌にし、固より形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請ふ秦の太子をして入りて楚に質たらしめ、楚の太子をして入りて秦に質たらしめ、請ふ秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相攻伐すること無からん。臣以為へらく計此れより便なる者無しと」と。是に於いて楚王已に張儀を得て、黔中の地を出だして秦に与ふるを重り、之を許さんと欲す。屈原曰く、「前に大王張儀に欺かる、張儀至らば、臣以為へらく大王之を烹んと。今縦ひ之を殺すに忍びずとも、又其の邪説を聴くは、不可なり」と。懐王曰く、「儀を許して黔中を得るは、美利なり。後にして之に倍くは、不可なり」と。故に卒に張儀を許し、秦と親しむ。張儀楚を去り、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る