智囊 / 謬數・寧越
齊攻廩丘,趙使孔青將死士而救之,與齊人戰。大敗之,齊將死,得車二千,得屍三萬,以為二京。寧越謂孔青曰:「惜矣!不如歸屍以內攻之,使車甲盡於戰,府庫盡於葬。」孔青曰:「齊不延屍,如何?」寧越曰:「戰而不勝,其罪一;與人出而不與人入,其罪二;與之屍而弗取,其罪三。民以此三者怨上,上無以使下,下無以事上,是之謂重攻之。」〔評〕寧越可謂知用文武矣,武以力勝,文以德勝。
新字:斉攻廩丘,趙使孔青将死士而救之,与斉人戦。大敗之,斉将死,得車二千,得屍三万,以為二京。寧越謂孔青曰:「惜矣!不如帰屍以内攻之,使車甲尽於戦,府庫尽於葬。」孔青曰:「斉不延屍,如何?」寧越曰:「戦而不勝,其罪一;与人出而不与人入,其罪二;与之屍而弗取,其罪三。民以此三者怨上,上無以使下,下無以事上,是之謂重攻之。」〔評〕寧越可謂知用文武矣,武以力勝,文以徳勝。
書き下し
斉、廩丘を攻む。趙は孔青をして死士を将いて之を救わしめ、斉人と戦う。大いに之を敗り、斉の将は死し、車二千を得、屍三万を得て、以て二京と為す。寧越、孔青に謂いて曰く、「惜しいかな。屍を帰して以て之を内攻するに如かず。車甲をして戦に尽きしめ、府庫をして葬に尽きしめん」と。孔青曰く、「斉、屍を延びざれば、如何」と。寧越曰く、「戦いて勝たざるは、其の罪の一。人と出でて人と入らざるは、其の罪の二。之に屍を与えて取らざるは、其の罪の三。民、此の三者を以て上を怨まば、上は以て下を使う無く、下は以て上に事うる無し。是れ之を重攻と謂う」と。〔評〕寧越は文武を用うるを知ると謂うべし。武は力を以て勝ち、文は徳を以て勝つ。
現代語訳
斉が廩丘を攻撃した。趙は孔青に決死の兵を率いさせて救援し、斉軍と戦った。大いに斉を破り、斉の将は戦死し、戦車二千両を得て、遺体三万を得て、それを積み上げて二つの塚にした。寧越が孔青に言った。「惜しいことをされた。遺体を返して、それで内側から攻める方がよい。そうすれば斉は戦車や鎧を戦で使い果たし、倉庫の財を葬儀で使い果たすでしょう」。孔青は「斉が遺体を引き取らなければどうするのか」と言った。寧越は答えた。「戦って勝てなかったのが、その罪の第一。人と出陣して人と一緒に帰らなかったのが、第二。遺体を与えられたのに引き取らなかったのが、第三。民がこの三つの理由で上を恨めば、上は下を使うことができず、下は上に仕えることができなくなる。これを重ねて攻めると言うのです」。〔評〕寧越は文と武の使い分けを知っていると言える。武は力で勝ち、文は徳で勝つ。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』難一第三十六夫れ舅犯の言は、一時の権なり。雍季の言は、万世の利なり」と。
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『長短経』懼戒呉王悦び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王、郊に迎え、自ら子貢の為に御して曰く「此れ蛮夷の国なり。大夫何ぞ儼然として辱く之に臨むに足らん」と。子貢曰く「今者、吾、呉王に説くに魯を救い斉を伐つを以てす。其の志は之を欲するも越を畏れて曰く『吾が越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、則ち越を破ること必せり。且つ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑わしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて人をして之を知らしむるは、殆うし。事未だ発せずして先に聞こゆるは、危うし。三者は事を挙ぐるの大患なり。呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪えず、国家は数々戦うに疲れ、士卒忍びず、百姓は上を怨み、大臣は内に変ず。子胥は諫むるを以て死し、太宰嚭事を用い、君の過ちに順いて、以て其の私を安んず。此れ王の呉に報ゆるの時なり。誠に能く卒を発して之を佐け、以て其の志を激し、而して宝を重くして以て其の心を悦ばせ、辞を卑くして以て其の礼を尊くせば、則ち斉を伐つこと必せり。此れ聖人の所謂節を屈して以て遠きを期す者なり。彼戦いて勝たざるは、王の福なり。若し勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん。臣還りて北のかた晋君に見えんことを請い、共に之を攻めしめば、其の呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しまん。而して王、其の弊に乗ずれば、呉を滅ぼすこと必せり」と。
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呂氏春秋・不廣④齊、廩丘を攻む。趙、孔青をして死士を将いて之を救わしむ。齊人と戰い、大いに之を敗る。齊の將死す。車を得ること二千、尸を得ること三萬、以て二京を為る。甯越、孔青に謂いて曰く、「惜しいかな、尸を歸して以て內之を攻むるに如かず。越之を聞く、古の善く戰う者は、莎隨して服を賁き、舎を卻きて尸に延ばしむと。車甲は戰いに盡き、府庫は葬りに盡く。此を之れ內之を攻むと謂う。」孔青曰く、「敵齊、尸せずんば則ち如何。」甯越曰く、「戰いて勝たざるは、其の罪一なり。人と與に出でて人と與に入らざるは、其の罪二なり。之に尸を與えて取らざるは、其の罪三なり。民は此の三つの者を以て上を怨まば、上は以て下を使うこと無く、下は以て上に事うること無し。是を之れ重ねて之を攻むと謂う。」甯越をば文武を用うることを知れりと謂う可し。武を用うれば則ち力を以て勝ち、文を用うれば則ち德を以て勝つ。文武盡く勝たば、何の敵か之れ服せざらん。
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