史記 / 劉敬叔孫通列伝
高帝罷平城歸,韓王信亡入胡。當是時,冒頓為單于,兵彊,控弦三十萬,數苦北邊。上患之,問劉敬。劉敬曰:「天下初定,士卒罷於兵,未可以武服也。冒頓殺父代立,妻群母,以力為威,未可以仁義說也。獨可以計久遠子孫為臣耳,然恐陛下不能為。」上曰:「誠可,何為不能!顧為柰何?」劉敬對曰:「陛下誠能以適長公主妻之,厚奉遺之,彼知漢適女送厚,蠻夷必慕以為閼氏,生子必為太子。代單于。何者?貪漢重幣。陛下以歲時漢所餘彼所鮮數問遺,因使辯士風諭以禮節。冒頓在,固為子婿;死,則外孫為單于。豈嘗聞外孫敢與大父抗禮者哉?兵可無戰以漸臣也。
新字:高帝罷平城帰,韓王信亡入胡。当是時,冒頓為単于,兵彊,控弦三十万,数苦北辺。上患之,問劉敬。劉敬曰:「天下初定,士卒罷於兵,未可以武服也。冒頓殺父代立,妻群母,以力為威,未可以仁義説也。独可以計久遠子孫為臣耳,然恐陛下不能為。」上曰:「誠可,何為不能!顧為柰何?」劉敬対曰:「陛下誠能以適長公主妻之,厚奉遺之,彼知漢適女送厚,蠻夷必慕以為閼氏,生子必為太子。代単于。何者?貪漢重幣。陛下以歳時漢所余彼所鮮数問遺,因使弁士風諭以礼節。冒頓在,固為子婿;死,則外孫為単于。豈嘗聞外孫敢与大父抗礼者哉?兵可無戦以漸臣也。
書き下し
高帝平城を罷めて歸り、韓王信亡げて胡に入る。是の時に當たりて、冒頓單于と為り、兵彊く、控弦三十萬、數々北邊を苦しむ。上之を患へ、劉敬に問ふ。劉敬曰く、「天下初めて定まり、士卒兵に罷れたれば、未だ武を以て服すべからざるなり。冒頓は父を殺して代はり立ち、群母を妻とし、力を以て威と為す。未だ仁義を以て說くべからざるなり。獨だ計を以て久遠にして子孫を臣と為すべきのみ。然れども恐らくは陛下為す能はざらん」と。上曰く、「誠に可ならば、何為れぞ能はざらん。顧(ただ)柰何(いかん)と為すか」と。劉敬對へて曰く、「陛下誠に能く適長公主を以て之に妻(めあ)はせ、厚く奉じて之に遺らば、彼漢の適女にして送ること厚きを知り、蠻夷必ず慕ひて以て閼氏(えんし)と為し、子を生まば必ず太子と為し、單于に代はらしめん。何となれば、漢の重幣を貪ればなり。陛下歲時に漢の餘る所彼の鮮き所を以て數々問遺し、因りて辯士をして禮節を風諭せしめよ。冒頓在らば、固より子婿為り。死せば、則ち外孫單于と為る。豈に嘗て外孫の敢へて大父と禮を抗する者を聞かんや。兵は戰ふこと無くして以て漸く臣とすべきなり。
現代語訳
高帝が平城から兵を引いて帰ると、韓王信は逃げて匈奴に入った。この当時、冒頓(ぼくとつ)が単于(匈奴の君主)となっており、兵は強く、弓を引く兵士は三十万を数え、たびたび北の辺境を苦しめた。高帝はこれを憂え、劉敬に意見を求めた。劉敬は言った。「天下は平定されたばかりで、兵士は戦いに疲れきっている。武力で屈服させることはまだできません。冒頓は父を殺して取って代わり、父の妻たちを自分の妻とし、力だけを威光としている者だ。仁義を説いて従わせることもできません。ただ計略によって、遠い将来にその子孫を臣下にすることができるだけだ。けれども陛下にはそれがおできにならないでしょう。」高帝は言った。「本当にうまくいくのなら、どうしてできないことがあろう。ただ、どうすればよいのだ。」劉敬は答えた。「陛下がもし正妻の生んだ長女である長公主を冒頓に嫁がせ、手厚い贈り物を添えて送られれば、冒頓は漢の皇帝の嫡出の娘で、しかも持参の品が多いと知り、蛮夷のこととて必ずありがたがって閼氏(単于の正妻)とし、子が生まれれば必ず太子として、単于の跡を継がせるでしょう。なぜなら漢の莫大な財物を欲しがるからだ。陛下は季節ごとに、漢には余っていて匈奴には乏しい品をたびたび贈り、あわせて弁舌の士を送って礼節をそれとなく教え諭させるのだ。冒頓が生きているうちは、もとより陛下の婿だ。死ねば外孫が単于となる。外孫が祖父と対等の礼を張り合ったなどという話を聞いたことがありましょうか。こうすれば戦わずして、次第に匈奴を臣下にできるのだ。」
解説
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