智囊 / 謬數・滿寵・郭元振
太尉楊彪與袁術婚,曹操惡之,欲誣以圖廢立,收彪下獄,使許令滿寵按之。將作大匠孔融與荀彧囑寵曰:「但受詞,勿加考掠。」寵不報,考訊如法。數日,見操言曰:「楊彪考訊無他詞。此人有名海內,若罪不明白,必大失民望。竊為明公惜之。」操於是即日赦出彪。初,彧與融聞寵考掠彪,皆大怒。及因是得出,乃反善寵。郭元振遷左驍衛將軍,安西大都護。西突厥酋烏質勒部落強盛,款塞欲和。元振即其牙帳與之計事。會天雨雪,元振立不動,至夕凍冽。烏質勒已老,數拜伏,不勝寒凍。會罷,即死。其子婆葛以元振計殺其父,謀勒兵來襲。副使解琬勸元振夜遁。元振不從,堅臥營中。明日,素服往弔,贈禮哭之甚哀,留數十日,為助喪事。婆葛感悅,更遣使獻馬五千、駝二百、牛羊十餘萬。〔評〕考掠也,而反以活之;立語也,而乃以殺之;其情隱矣。怒我者,轉而善我,知其情故也;欲襲我者,轉而感悅我,不知其情故也。雖然,多智如曹公,亦不知寵之情,況庸才如解琬,而能知元振乎?
新字:太尉楊彪与袁術婚,曹操悪之,欲誣以図廃立,収彪下獄,使許令満寵按之。将作大匠孔融与荀彧囑寵曰:「但受詞,勿加考掠。」寵不報,考訊如法。数日,見操言曰:「楊彪考訊無他詞。此人有名海内,若罪不明白,必大失民望。窃為明公惜之。」操於是即日赦出彪。初,彧与融聞寵考掠彪,皆大怒。及因是得出,乃反善寵。郭元振遷左驍衛将軍,安西大都護。西突厥酋烏質勒部落強盛,款塞欲和。元振即其牙帳与之計事。会天雨雪,元振立不動,至夕凍冽。烏質勒已老,数拝伏,不勝寒凍。会罷,即死。其子婆葛以元振計殺其父,謀勒兵来襲。副使解琬勧元振夜遁。元振不従,堅臥営中。明日,素服往弔,贈礼哭之甚哀,留数十日,為助喪事。婆葛感悦,更遣使献馬五千、駝二百、牛羊十余万。〔評〕考掠也,而反以活之;立語也,而乃以殺之;其情隠矣。怒我者,転而善我,知其情故也;欲襲我者,転而感悦我,不知其情故也。雖然,多智如曹公,亦不知寵之情,況庸才如解琬,而能知元振乎?
書き下し
太尉楊彪、袁術と婚す。曹操これを悪み、誣うるに廃立を図るを以てせんと欲し、彪を収めて獄に下し、許令の満寵をして之を按ぜしむ。将作大匠孔融と荀彧は寵に属して曰く、「但だ詞を受けよ。考掠を加うる勿かれ」と。寵は報いず、考訊すること法の如し。数日にして、操に見えて言う、「楊彪の考訊に他の詞無し。此の人は名を海内に有す。若し罪明白ならずんば、必ず大いに民望を失わん。竊かに明公の為に惜しむ」と。操是に於いて即日彪を赦して出だす。初め、彧と融は寵の彪を考掠するを聞き、皆大いに怒る。是れに因りて出づるを得るに及び、乃ち反って寵を善しとす。郭元振は左驍衛将軍・安西大都護に遷る。西突厥の酋烏質勒は部落強盛にして、塞を款きて和せんと欲す。元振即ち其の牙帳に就きて之と事を計る。会たま天雨雪し、元振立ちて動かず、夕に至りて凍冽す。烏質勒已に老いて、数拝伏し、寒凍に勝えず。会罷み、即ち死す。其の子婆葛は、元振の計を以て其の父を殺せりとし、兵を勒して来襲せんことを謀る。副使解琬は元振に夜遁を勧む。元振従わず、堅く営中に臥す。明日、素服して往きて弔い、贈礼して之を哭すること甚だ哀し。留まること数十日、為に喪事を助く。婆葛感悦し、更に使いを遣わして馬五千・駝二百・牛羊十余万を献ず。〔評〕考掠なり、而るに反って以て之を活かす。立語なり、而るに乃ち以て之を殺す。其の情は隠なり。我を怒る者、転じて我を善しとするは、其の情を知るが故なり。我を襲わんと欲する者、転じて我に感悦するは、其の情を知らざるが故なり。然りと雖も、多智なる曹公すら、亦寵の情を知らず。況んや庸才の解琬の如きが、能く元振を知らんや。
現代語訳
太尉の楊彪が袁術と姻戚関係を結んでいた。曹操はこれを憎み、皇帝廃立を企てたと誣告しようとして、楊彪を捕らえて獄に下し、許県の令の満寵に取り調べさせた。将作大匠の孔融と荀彧は満寵に頼んだ。「ただ供述を聞くだけにして、拷問を加えないでほしい」。満寵は返事をせず、法のとおり厳しく取り調べた。数日後、曹操に会って言った。「楊彪を取り調べましたが、ほかに申し立てはありません。この人は天下に名が知られています。罪状が明白でなければ、必ず民の期待を大きく失います。ひそかに明公のために惜しみます」。曹操はそこで即日、楊彪を釈放した。当初、荀彧と孔融は満寵が楊彪を拷問したと聞いて大いに怒ったが、これによって楊彪が出られたため、かえって満寵を良しとした。郭元振は左驍衛将軍・安西大都護に転じた。西突厥の首領の烏質勒は部族が強盛で、国境に来て和睦を望んだ。元振はその幕営に赴いて協議した。ちょうど雪が降り、元振は立ったまま動かず、夕方には凍えるほどだった。烏質勒はすでに老いており、何度も拝礼し、寒さに耐えられなかった。会談が終わると、まもなく死んだ。その子の婆葛は、元振の計略で父が殺されたと考え、兵を整えて襲撃を企てた。副使の解琬は元振に夜逃げを勧めたが、元振は聞かず、動じずに陣営で寝た。翌日、白い喪服を着て弔問に行き、贈り物を供えて深い悲しみを示して泣いた。数十日滞在して葬儀を助けた。婆葛は感激して喜び、あらためて使者を送って馬五千頭、駱駝二百頭、牛羊十万余りを献上した。〔評〕拷問をしたのに、かえってそれで人を救った。立ったまま話しただけなのに、それで人を死なせた。その実情は隠れて見えない。自分に怒る者がかえって自分を良しとするのは、実情を知っているからである。自分を襲おうとする者が感激して喜ぶのは、実情を知らないからである。とはいえ、知恵の多い曹操でさえ満寵の本意を知らなかった。まして凡庸な解琬が、郭元振を理解できるはずがない。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』見大・丙吉・郭進吉、相と為るや、馭吏に酒を嗜む者有り、吉に従いて出で、酔いて丞相の車上に嘔す。西曹の主吏は白して之を斥けんと欲す。吉曰く、醉飽の失を以て士を去らば、此の人をして復た何れに容れしめんや。西曹は第だ之を忍べ。此れ丞相の車茵を汚すに過ぎざるのみ、と。此の馭吏は辺郡の人にして、辺塞の奔命警備の事を習知す。嘗て出でて、適たま駅騎の赤白の囊を持ち、辺郡の奔命の書を発して馳せ至るを見る。馭吏は因りて駅騎に随いて公車に至り、刺取して、虜の雲中・代郡に入るを知り、遽に帰る。吉に見えて状を白し、因りて曰く、虜の入る所の辺郡は、二千石の長吏に老病にして兵馬に任えざる者有らん。宜しく豫め視るべし、と。吉は其の言を善とし、東曹を召して辺長吏を案じ、其の人を科条せしむ。未だ已まざるに、詔して丞相・御史を召し、入る所の郡吏を問う。吉は具に対う。御史大夫は卒遽にして詳らかに知る能わず、以て譴讓を得たり。而して吉は辺を憂い職を思うと謂われしは、馭吏の力なり。郭進は山西巡検に任ず。軍校の闕に詣りて進を訟うる者有り。上は召して訊い、其の誣なるを知り、即ち遣りて進に送り、之を殺さしむ。会たま并寇入る。進は其の人に謂いて曰く、汝は能く我を訟う、信に胆気有り。今、汝の罪を赦す。能く并寇を掩殺せば、即ち汝を朝に薦めん。如し敗れなば、即ち自ら河に役せよ。我が剣を汚す毋かれ、と。其の人は踴躍して赴き闘い、竟に大捷す。進は即ち薦めて之を擢く。〔馮述評〕小過を容るる者は、一長を以て酬いられ、大仇を釈す者は、死力を以て報いらる。唯だ酬報の情の中に迫れば、故に其の長は之に触れて必ず試み、其の力は之に激して必ず竭くす。彼の過ちを索め仇を尋ぬる者は、豈に大愚に非ずや。
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『智囊』見大・楚莊王・袁盎胡酋の蘇慕恩は部落最も強し。種世衡は嘗て夜に与に飲み、侍姫を出して酒を佐けしむ。既にして世衡は起ちて内に入り、慕恩は竊かに姫と戯る。世衡は遽に出でて之を掩い、慕恩は慚愧して罪を請う。世衡は笑いて曰く、君は之を欲するか、と。即ち以て之に遺る。是に由りて諸部に二心有る者あれば、慕恩をして之を討たしむるに、克たざる無し。張説に門下生の其の寵婢を盗む者有り、之を法に置かんと欲す。此の生は呼びて曰く、相公は豈に緩急に人を用うる時無からんや。何ぞ一婢を惜しまん、と。説は其の言を奇とし、遂に以て賜いて遣る。後、杳として聞こえず。姚崇の構うるに遭い、禍は且に測られざらんとするに及び、此の生は夜に至り、夜明簾を以て九公主に献ぜんことを請い、為に玄宗に言いて、解くを得たり。金兀術は一小卒の妻を愛し、卒を殺して之を奪い、寵して専房せしむ。一日、昼寝より覚め、忽ち此の婦の利刃を持ちて向かわんとするを見る。驚き起ちて之を問う。曰く、夫の為に仇を報いんと欲するのみ、と。術は黙然として、麾きて去らしむ。即日、大いに将士に享し、此の婦を召し出して謂いて曰く、汝を殺さば則ち罪無し。汝を留めば則ち不可なり。汝に諸将の中より自ら従う所を択ぶに任ず、と。婦は一人を指し、術は即ち之を賜う。
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