智囊 / 見大・藺相如・寇恂
賈復部將殺人於潁川,太守寇恂捕戮之。復以為恥,過潁川,謂左右曰:「見恂必手刃之。」恂知其謀,不與相見。姊子谷崇請帶劍侍側,以備非常。恂曰:「不然,昔聞藺相如不畏秦王而屈於廉頗者,為國也。」乃敕屬縣盛供具,一人皆兼兩人之饌。恂出迎於道,稱疾而還。復勒兵欲追之,而將士皆醉,遂過去。恂遣人以狀聞,帝徵恂,使與復結友而去。〔馮述評〕汾陽上堂之拜,相如之心事也;萊公蒸羊之逆,寇恂之微術也。安思順帥朔方,郭子儀與李光弼俱為牙門都將,而不相能,雖同盤飲食,常睇目相視,不交一語。及子儀代思順,光弼意欲亡去,猶未決,旬日詔子儀率兵東出趙、魏,光弼入見子儀曰:「一死固甘,乞免妻子。」子儀趨子,持抱上堂而泣曰:「今國亂主遷,非公不能東伐,豈懷私忿時耶?」執其手,相持而拜,相與合謀破賊。丁謂竄崖州,道出雷州,先是謂貶准為雷州司戶。准遣人以一蒸羊迎之境上。謂欲見准,准拒之。聞家僮謀欲報仇,亟杜門縱博,俟謂行遠,乃罷。
新字:賈復部将殺人於潁川,太守寇恂捕戮之。復以為恥,過潁川,謂左右曰:「見恂必手刃之。」恂知其謀,不与相見。姊子谷崇請帯剣侍側,以備非常。恂曰:「不然,昔聞藺相如不畏秦王而屈於廉頗者,為国也。」乃勅属県盛供具,一人皆兼両人之饌。恂出迎於道,称疾而還。復勒兵欲追之,而将士皆酔,遂過去。恂遣人以状聞,帝徴恂,使与復結友而去。〔馮述評〕汾陽上堂之拝,相如之心事也;萊公蒸羊之逆,寇恂之微術也。安思順帥朔方,郭子儀与李光弼倶為牙門都将,而不相能,雖同盤飲食,常睇目相視,不交一語。及子儀代思順,光弼意欲亡去,猶未決,旬日詔子儀率兵東出趙、魏,光弼入見子儀曰:「一死固甘,乞免妻子。」子儀趨子,持抱上堂而泣曰:「今国乱主遷,非公不能東伐,豈懐私忿時耶?」執其手,相持而拝,相与合謀破賊。丁謂竄崖州,道出雷州,先是謂貶准為雷州司戸。准遣人以一蒸羊迎之境上。謂欲見准,准拒之。聞家僮謀欲報仇,亟杜門縦博,俟謂行遠,乃罷。
書き下し
賈復の部将、潁川に人を殺し、太守の寇恂これを捕えて戮す。復は以て恥と為し、潁川を過ぐるに、左右に謂いて曰く、「恂を見れば必ず手ずからこれを刃せん」と。恂その謀を知り、与に相い見えず。姉の子の谷崇、剣を帯びて側に侍し、以て非常に備えんことを請う。恂曰く、「然らず。昔聞く、藺相如の秦王を畏れずして廉頗に屈せしは、国の為なりと」と。乃ち属県に敕して供具を盛んにせしめ、一人に皆な両人の饌を兼ねしむ。恂は出でて道に迎え、疾と称して還る。復は兵を勒してこれを追わんと欲するも、将士は皆な酔い、遂に過ぎ去る。恂、人を遣わして状を以て聞せしめ、帝は恂を徴し、復と友を結ばしめて去らしむ。〔馮述評〕汾陽の上堂の拝は、相如の心事なり。莱公の蒸羊の逆は、寇恂の微術なり。安思順、朔方に帥たり、郭子儀と李光弼とは俱に牙門都将たりて、相い能からず、盤を同じくして飲食すと雖も、常に睇目して相い視、一語を交えず。子儀の思順に代わるに及び、光弼の意は亡げ去らんと欲し、猶お未だ決せず。旬日にして詔ありて子儀に兵を率いて東のかた趙・魏に出でしむ。光弼入りて子儀に見えて曰く、「一死は固より甘んず。乞う、妻子を免ぜられんことを」と。子儀は趨りて、持抱して堂に上り、泣きて曰く、「今、国乱れ主遷る。公に非ずんば東伐する能わず。豈に私忿を懐く時ならんや」と。その手を執り、相い持して拝し、相い与に謀りて賊を破る。丁謂、崖州に竄せられ、道は雷州に出ず。先に謂は准を貶して雷州司戸たらしむ。准は人を遣わして一蒸羊を以て境上に迎えしむ。謂は准に見えんと欲するも、准は拒む。家僮の仇に報いんと謀るを聞き、亟かに門を杜じて縦博し、謂の行くこと遠きを俟ちて、乃ち罷む。
現代語訳
賈復の部将が潁川で人を殺し、太守の寇恂がこれを捕らえて処刑しました。賈復はそれを恥辱とし、潁川を通るとき側近に言いました。「寇恂に会ったら、必ず自分の手で斬ってやる。」寇恂はその企てを知り、会わないようにしました。姉の子の谷崇が剣を帯びて側に控え、不測の事態に備えたいと願い出ました。寇恂は言いました。「いや、昔聞いたことがある。藺相如が秦王を恐れず廉頗に屈したのは、国のためだったと。」そこで属県に命じて接待の用意を十分にさせ、一人につき二人分の食事を出すようにしました。寇恂自身は道に出て迎え、病気と称して引き返しました。賈復は兵を整えて追おうとしましたが、将兵がみな酔っていたため、結局そのまま通り過ぎました。寇恂が人を遣ってこの経緯を上奏すると、光武帝は寇恂を召し、賈復と友誼を結ばせて帰らせました。〔馮夢龍の評〕郭子儀(汾陽王)が堂に上がって李光弼を拝したのは、藺相如の心事と同じです。寇準(莱公)が蒸し羊で丁謂を迎えたのは、寇恂の巧みな術に通じます。安思順が朔方の節度使だったとき、郭子儀と李光弼はともに牙門都将でしたが、反りが合わず、同じ席で飲食しても互いに目を見合うばかりで、一言も交わしませんでした。子儀が思順に代わると、光弼は逃げ出したいと思いながら決めかねていました。十日ほどして詔が下り、子儀が兵を率いて東の趙・魏に出ることになりました。光弼は入って子儀に会い、言いました。「死ぬのは覚悟していますが、どうか妻子だけはお許しください。」子儀は小走りに近寄り、抱きかかえて堂に上がり、泣いて言いました。「今、国は乱れ主君は遷っている。あなたでなければ東征はできない。私的な恨みを抱いているときではない。」その手を取り、互いに拝し合い、ともに計略を立てて賊を破りました。丁謂が崖州に流されるとき、道が雷州を通りました。もともと丁謂は寇準を雷州の司戸に左遷していました。寇準は人を遣り、蒸した羊一頭を持って国境で迎えさせました。丁謂は寇準に会いたいと望みましたが、寇準は断りました。家僮が仇を討とうと企てているのを聞くと、すぐに門を閉ざして博打に興じさせ、丁謂が遠くに去るのを待って、やめさせました。
解説
この章句が説くこと
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