智囊 / 謬數・賀儒珍
兩宮工完,所積銀猶足門工之費。戶、兵二部原題協濟銀各三十萬,通未用也。西河王疏開礦與採木,並奏部,久不覆。一日,文書房口傳,詰問工部不覆之故,立等回話。部查無此疏,久之,方知停閣於戶部也。戶部倉皇具咨稿,工堂猶恐見累。郎中賀儒珍曰:「易耳!」首敘「某月日准戶部咨」云云,咨到日即具覆日。復疏曰:「照得兩宮鼎建,事關宸居,即一榱一角,純用香楠、杉木,猶不足盡臣等崇奉之意,沿邊不過油鬆雜木。工無所用,相應停彩。」〔按〕此事關邊防西河,特借大工為名耳。爾時事在必行,公恐激而成之,故從容具覆,但言其無所用,而不與爭,事遂寢。
新字:両宮工完,所積銀猶足門工之費。戸、兵二部原題協済銀各三十万,通未用也。西河王疏開礦与採木,並奏部,久不覆。一日,文書房口伝,詰問工部不覆之故,立等回話。部查無此疏,久之,方知停閣於戸部也。戸部倉皇具咨稿,工堂猶恐見累。郎中賀儒珍曰:「易耳!」首敘「某月日准戸部咨」云云,咨到日即具覆日。復疏曰:「照得両宮鼎建,事関宸居,即一榱一角,純用香楠、杉木,猶不足尽臣等崇奉之意,沿辺不過油鬆雑木。工無所用,相応停彩。」〔按〕此事関辺防西河,特借大工為名耳。爾時事在必行,公恐激而成之,故従容具覆,但言其無所用,而不与争,事遂寝。
書き下し
両宮の工完り、積む所の銀は猶お門工の費に足る。戸・兵二部の原題の協済銀は各々三十万にして、通じて未だ用いず。西河王、疏して開礦と採木とを請い、並びに部に奏す。久しく覆せず。一日、文書房、口伝して、工部に不覆の故を詰問し、立ちどころに回話を待つ。部は査するに此の疏無く、久しくして方に戸部に停閣せるを知る。戸部は倉皇として咨稿を具す。工堂は猶お累を見んことを恐る。郎中賀儒珍曰く、「易きのみ」と。首に叙して「某月日、戸部の咨を准く」云云とし、咨の到る日を即ち覆する日と為す。復た疏して曰く、「照得するに、両宮の鼎建は事宸居に関す。即ち一榱一角も、純ら香楠・杉木を用うれども、猶お臣らの崇奉の意を尽くすに足らず。沿辺の不過の油松の雑木は、工に用うる所無し。相応に停めて採る勿かるべし」と。〔按〕此の事は辺防西河に関し、特に大工を借りて名と為すのみ。爾の時、事は必ず行うに在り、公は激して之を成さんことを恐れ、故に従容として覆を具し、但だ其の用うる所無きを言いて、与に争わず。事遂に寝む。
現代語訳
二つの宮殿の工事が終わり、積んだ銀はなお宮門の工事の費用に足りるほどあった。戸部と兵部が最初に申請した協力金は各三十万両で、いずれもまだ使われていなかった。西河王が上奏して鉱山の開発と木材の伐採を願い出て、あわせて各部にも通達された。工部は長いあいだ回答しなかった。ある日、文書房が口頭で工部に回答しない理由を詰問し、直ちに返答を待つとした。工部が調べると、この上奏はなく、しばらくして戸部で止まっていたと分かった。戸部はあわてて回答文書の案を作った。工部の長官はなお巻き込まれることを恐れた。郎中の賀儒珍は「簡単なことです」と言った。冒頭に「某月某日、戸部の通達を受けた」云々と書き、通達が届いた日をそのまま回答の日とした。さらに上奏して言った。「調べますと、二つの宮殿の建築は皇居に関わります。一本の垂木や一つの隅であっても、すべて香楠や杉を用いたとしても、臣らの尊崇の気持ちを尽くすには足りません。辺境沿いのせいぜい油松などの雑木は、工事に用いる所がありません。よって採伐は中止されるべきです」。〔按〕この件は辺境の防備に関わる西河で、たまたま大工事を口実にしたものにすぎない。当時、事は必ず行われる情勢にあり、公は反発して成立してしまうことを恐れ、ゆったりと回答を作り、ただ用途がないと述べるだけで争わなかった。こうして事は取りやめになった。
解説
この章句が説くこと
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