説苑 / 復恩
吳起為魏將,攻中山,軍人有病疽者,吳子自吮其膿,其母泣之,旁人曰:「將軍於而子如是,尚何為泣?」對曰:「吳子吮此子父之創而殺之於注水之戰,戰不旋踵而死;今又吮之,安知是子何戰而死,是以哭之矣!」
新字:吳起為魏将,攻中山,軍人有病疽者,吳子自吮其膿,其母泣之,旁人曰:「将軍於而子如是,尚何為泣?」対曰:「吳子吮此子父之創而殺之於注水之戦,戦不旋踵而死;今又吮之,安知是子何戦而死,是以哭之矣!」
書き下し
呉起魏の将と為り、中山を攻む、軍人に疽を病む者有り、呉子自ら其の膿を吮ふ、其の母之を泣く、旁人曰く、「将軍而の子に於て是くの如し、尚ほ何為れぞ泣くや」と。対へて曰く、「呉子此の子の父の創を吮ひて之を注水の戦に殺せり、戦ひて踵を旋らさずして死せり、今又之を吮ふ、安んぞ是の子の何くにか戦ひて死せんかを知らんや、是を以て之を哭するなり」と。
現代語訳
呉起が魏の将軍となり、中山国を攻めた。軍中に悪性の腫れ物を患う兵士がいた。呉起は自らその膿を口で吸い出してやった。その兵士の母がこれを聞いて泣いた。周りの者が「将軍があなたの息子にそこまでしてくださったのに、どうして泣くのですか」と尋ねた。母は答えた、「呉起殿はかつてこの子の父の傷の膿も同じように吸い出してやったことがありました。その父はその後、水攻めの戦で退くことなく戦い抜いて死にました。今また息子の膿を吸い出してくださったのです。私にはこの子がどこで戦って死ぬことになるか分かりません。それでこうして泣いているのです」と。
解説
将軍自らが一兵士の膿を口で吸い出すという、破格の慈しみの行為を通して忠誠を引き出す呉起の統率術が描かれる。しかし物語の核心は、その母親の反応にある。彼女は将軍の温情を単純に喜ぶのではなく、同じ恩恵が夫にも施された結果、夫が恩に報いようと死力を尽くして戦死した過去を思い出し、息子も同じ運命をたどることを予見して泣く。過剰な個人的恩恵は、受け手に「命をかけてでも報いなければならない」という強い負債感を生み、結果として自己犠牲へと駆り立てる装置にもなり得るという、恩義の持つ両義的な恐ろしさを鋭く描き出している。
この章句が説くこと
恩義の両義性自己犠牲母の予見
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