説苑 / 復恩
北郭騷踵見晏子曰:「竊悅先生之義,願乞所以養母者。」晏子使人分倉粟府金而遺之,辭金而受粟。有間,晏子見疑於景公,出奔,北郭子召其友而告之曰:「吾悅晏子之義而嘗乞所以養母者。吾聞之曰:養其親者,身更其難;今晏子見疑,吾將以身白之。」遂造公庭求復者曰:「晏子天下之賢者也,今去齊國,齊國必侵矣,方必見國之侵也,不若先死請絕頸以白晏子。」逡巡而退,因自殺也。公聞之大駭,乘馳而自追晏子,及之國郊,請而反之,晏子不得已而反之,聞北郭子之以死白己也,太息而歎曰:「嬰不肖,罪過固其所也,而士以身明之,哀哉!」
新字:北郭騷踵見晏子曰:「窃悦先生之義,願乞所以養母者。」晏子使人分倉粟府金而遺之,辞金而受粟。有間,晏子見疑於景公,出奔,北郭子召其友而告之曰:「吾悦晏子之義而嘗乞所以養母者。吾聞之曰:養其親者,身更其難;今晏子見疑,吾将以身白之。」遂造公庭求復者曰:「晏子天下之賢者也,今去斉国,斉国必侵矣,方必見国之侵也,不若先死請絶頸以白晏子。」逡巡而退,因自殺也。公聞之大駭,乗馳而自追晏子,及之国郊,請而反之,晏子不得已而反之,聞北郭子之以死白己也,太息而嘆曰:「嬰不肖,罪過固其所也,而士以身明之,哀哉!」
書き下し
北郭騒踵いで晏子に見えて曰く、「窃かに先生の義を悦び、願はくは母を養ふ所以を乞はん」と。晏子人をして倉粟府金を分ちて之を遺らしむ、金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑はれ、出奔す、北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を悦びて嘗て母を養ふ所以を乞ひし者なり。吾之を聞く、其の親を養ふ者は、身其の難に更る、と。今晏子疑はる、吾将に身を以て之を白さんとす」と。遂に公庭に造りて復する者を求めて曰く、「晏子は天下の賢者なり、今斉国を去らば、斉国必ず侵されん、方に必ず国の侵さるるを見んとせば、若かず先に死して頸を絶ちて以て晏子を白すに」と。逡巡して退き、因りて自殺するなり。公之を聞きて大いに駭き、馳に乗じて自ら晏子を追ひ、之に国郊に及び、請ひて之を反す、晏子已むを得ずして之に反る、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰不肖にして、罪過固に其の所なり、而れども士身を以て之を明らかにす、哀しいかな」と。
現代語訳
北郭騒がわざわざ晏子のもとを訪ねて言った、「密かに先生の義を慕っておりました。どうか母を養うための手立てを分けていただきたいのです」と。晏子は人をやって倉の穀物と役所の金を分けて彼に贈らせた。北郭騒は金は辞退し、穀物だけを受け取った。しばらくして、晏子は景公に疑われて国外に出奔することになった。北郭騒は友人を呼んで告げた、「私は晏子殿の義を慕い、かつて母を養うための手立てを頂戴した者だ。私はこう聞いている、親を養ってもらった者は、その身をもって恩人の危難を分かち合うものだ、と。今、晏子殿が疑われている。私はこの身をもってその潔白を明らかにしよう」と。そこで宮廷に赴き、取り次ぎを求めて言った、「晏子殿は天下の賢者です。今もし斉の国を去られたなら、斉国は必ず他国に侵されるでしょう。もし国が侵されるのをこの目で見るはめになるくらいなら、いっそ先に死んで自らの首をはねてでも晏子殿の潔白を明らかにする方がましです」と。そう言って一礼して退くと、そのまま自害した。景公はこれを聞いて大いに驚き、馬車を急がせて自ら晏子を追いかけ、国境近くで追いついて、戻ってくれるよう請うた。晏子はやむを得ず引き返した。北郭騒が死をもって自分の潔白を明らかにしたと聞いた晏子は、ため息をついて嘆いた、「私は至らぬ身で、罪や過ちがあったとしても当然のことだ。それなのに、あの士はその身をもってそれを明らかにしてくれた。何と痛ましいことか」と。
解説

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