説苑 / 君道
邾文公卜徙於繹,史曰:「利於民不利於君。」君曰:「苟利於民,寡人之利也,天生烝民而樹之君,以利之也,民既利矣,孤必與焉!」侍者曰:「命可長也,君胡不為?」君曰:「命在牧民,死之短長,時也;民苟利矣,吉孰大焉。」遂徙於繹。
新字:邾文公卜徙於繹,史曰:「利於民不利於君。」君曰:「苟利於民,寡人之利也,天生烝民而樹之君,以利之也,民既利矣,孤必与焉!」侍者曰:「命可長也,君胡不為?」君曰:「命在牧民,死之短長,時也;民苟利矣,吉孰大焉。」遂徙於繹。
書き下し
邾の文公繹に徙らんことを卜す。史曰く、「民に利あるも君に利あらず」と。君曰く、「苟くも民に利あらば、寡人の利なり。天烝民を生じて之に君を樹つるは、以て之を利するなり。民既に利あらば、孤必ず与らん」と。侍者曰く、「命長かるべきなり、君胡ぞ為さざる」と。君曰く、「命は民を牧するに在り、死の短長は時なり。民苟くも利あらば、吉孰か大ならん」と。遂に繹に徙る。
現代語訳
邾の文公が繹の地に遷都することを占わせた。史官は「民には利益があるが君には利益がない」と言った。君主は言った。「もし民に利益があるならば、それは私の利益である。天が多くの民を生み、その上に君主を立てたのは、民を利するためである。民に既に利益があるなら、私も必ずその中に与っているはずだ。」侍者が「寿命を長らえることができるのに、なぜそうなさらないのですか」と言った。君主は言った。「天命は民を治めることにある。死の遅い早いは時の運である。民に利益さえあれば、これ以上大きな吉事があろうか。」そしてついに繹の地に遷都した。
解説
自らの寿命が縮むと知りながらも、民の利益を優先して遷都を決断した文公の姿は、統治者の存在意義を根本から問い直す。君主は民を利するために立てられたという言葉は、地位や権力が自己保身のためではなく人々に奉仕するためにあるという原理を明確に示す。自分の安全や利益と組織・部下の利益が相反する場面で、どちらを優先するかというリーダーの決断は、現代の経営者や管理職の器量を測る指標としても色褪せない。
この章句が説くこと
民本主義自己犠牲君主の存在意義
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