説苑 / 君道
楚昭王之時,有雲如飛鳥,夾日而飛三日,昭王患之,使人乘驛東而問諸太史州黎,州黎曰:「將虐於王身,以令尹司馬說焉則可。」令尹司馬聞之,宿齋沐浴,將自以身禱之焉。王曰:「止,楚國之有不穀也,由身之有匈脅也;其有令尹司馬也,由身之有股肱也。匈脅有疾,轉之股肱,庸為去是人也?」
新字:楚昭王之時,有雲如飛鳥,夾日而飛三日,昭王患之,使人乗駅東而問諸太史州黎,州黎曰:「将虐於王身,以令尹司馬説焉則可。」令尹司馬聞之,宿斎沐浴,将自以身祷之焉。王曰:「止,楚国之有不穀也,由身之有匈脅也;其有令尹司馬也,由身之有股肱也。匈脅有疾,転之股肱,庸為去是人也?」
書き下し
楚の昭王の時、雲有りて飛鳥の如く、日を夾みて三日飛ぶ。昭王之を患いて、人をして駅に乗じて東し、諸を太史州黎に問わしむ。州黎曰く、「将に王身に虐せんとす、令尹司馬を以て之に説かば則ち可なり」と。令尹司馬之を聞き、宿斎沐浴し、将に自ら身を以て之に禱らんとす。王曰く、「止めよ、楚国の不穀有るは、身の匈脅有るに由るなり。其れ令尹司馬有るは、身の股肱有るに由るなり。匈脅疾有れば、之を股肱に転ず、庸ぞ是の人を去るを為さん」と。
現代語訳
楚の昭王の時代、飛ぶ鳥のような雲が現れ、太陽を挟んで三日間漂った。昭王はこれを憂い、駅馬に乗せた者を東方に送り、太史の州黎に尋ねさせた。州黎は「これは王のお体に災いをもたらそうとするものです。令尹や司馬(重臣)によってお祓いをすれば大丈夫でしょう」と言った。令尹と司馬はこれを聞き、前夜から斎戒沐浴し、自らの身をもってその災いを引き受けようとした。王は言った。「やめよ。楚国に私という存在があるのは、我が身に胸や脇があるようなものだ。令尹や司馬がいるのは、我が身に手足があるようなものだ。胸や脇に病があるとき、それを手足に転嫁してよいものか。どうして彼らを犠牲にすることができようか。」
解説

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