智囊 / 委蛇・周忱・唐順之
周文襄巡撫江南日,巨璫王振當權,慮其撓己也。時振初作居第,公預令人度其齋閣,使松江作剪絨毯,遺之,不失尺寸。振益喜。凡公上利便事,振悉從中贊之,江南至今賴焉。〔評〕秦檜構格天閣。有某官任江南,思出奇媚之,乃重賂工人,得其尺寸,作絨毯以進,鋪之恰合。檜謂其詗己內事,大怒,因尋事斥之。所獻同而喜怒相反,何也?謂忠佞意殊,彼蒼者陰使各食其報,此恐未然。大抵振暴而驕,其機淺,檜險而狡,其機深;振樂於招君子以沽名,檜嚴於防小人以慮禍,此所以異與?世之訾文襄者,不過以媚王振,及出粟千石旌其門,又為子納馬得官二事,皆非高明之舉,愚謂此二事亦有深意。時四方災傷薦告,司農患貧,而公復奏免江南苛稅若千萬,唯是勸輸援納為便宜之二策,公故以身先之。明示旌門之為榮,而納官之不為辱,欲以風勵百姓。此亦卜式助邊之遺意,未可輕議也。
新字:周文襄巡撫江南日,巨璫王振当権,慮其撓己也。時振初作居第,公預令人度其斎閣,使松江作剪絨毯,遺之,不失尺寸。振益喜。凡公上利便事,振悉従中賛之,江南至今頼焉。〔評〕秦檜構格天閣。有某官任江南,思出奇媚之,乃重賂工人,得其尺寸,作絨毯以進,鋪之恰合。檜謂其詗己内事,大怒,因尋事斥之。所献同而喜怒相反,何也?謂忠佞意殊,彼蒼者陰使各食其報,此恐未然。大抵振暴而驕,其機浅,檜険而狡,其機深;振楽於招君子以沽名,檜厳於防小人以慮禍,此所以異与?世之訾文襄者,不過以媚王振,及出粟千石旌其門,又為子納馬得官二事,皆非高明之舉,愚謂此二事亦有深意。時四方災傷薦告,司農患貧,而公復奏免江南苛税若千万,唯是勧輸援納為便宜之二策,公故以身先之。明示旌門之為栄,而納官之不為辱,欲以風励百姓。此亦卜式助辺之遺意,未可軽議也。
書き下し
周文襄、江南を巡撫せし日、巨璫の王振、権に当たる。其の己を撓すを慮る。時に振、初めて居第を作る。公、預め人をして其の斎閣を度らしめ、松江をして剪絨毯を作らしめて之に遺る。尺寸を失わず。振、益ます喜ぶ。凡そ公の利便を上る事は、振みな中より之を賛け、江南は今に至るまで頼る。〔評〕秦檜、格天閣を構う。某官、江南に任じ、奇を出して之に媚びんと思い、乃ち重く工人に賂いて、其の尺寸を得、絨毯を作りて以て進む。鋪くに恰も合う。檜は其の己が内事を詗うと謂い、大いに怒り、因りて事を尋ねて之を斥く。献ずる所は同じなるに、喜怒は相い反するは、何ぞや。忠佞の意殊なれば、彼の蒼き者、陰かに各おの其の報を食ましむと謂うは、此れ恐らくは未だ然らず。大抵、振は暴にして驕、其の機は浅し。檜は険にして狡、其の機は深し。振は君子を招きて以て名を沽ることを楽しむ。檜は小人を防ぐことに厳にして以て禍を慮る。此れ異なる所以か。世の文襄を訾る者は、王振に媚びたること、及び粟千石を出して其の門を旌され、又た子の為に馬を納めて官を得たる二事を以てするに過ぎず。皆な高明の挙に非ず。愚謂えらく、此の二事も亦た深意有り。時に四方の災傷、薦ねて告げ、司農は貧しきを患う。而るに公は復た江南の苛税若干万を奏免す。唯だ是れ勧輸・援納を便宜の二策と為す。公、故に身を以て之に先んず。明らかに旌門の栄と為し、納官の辱と為らざることを示し、以て百姓を風励せんと欲す。此れ亦た卜式助辺の遺意なり。未だ軽々しく議すべからざるなり。
現代語訳
周忱が江南を巡撫していたころ、大宦官の王振が権力を握っていました。周忱は、王振が自分の仕事を妨げることを心配しました。そのとき王振は新しく邸宅を建てていました。周忱はあらかじめ人を遣わしてその書斎や部屋の寸法を測らせ、松江で刈り込んだ絨毯を作らせて贈りました。寸法はぴったりでした。王振はますます喜びました。周忱が民の利益になることを上奏すると、王振はみな宮中から後押しし、江南は今日までその恩恵を受けています。〔評〕秦檜は格天閣を建てました。ある官僚が江南に赴任し、珍しいもので取り入ろうと思い、多額の賄賂を職人に贈って寸法を得て、絨毯を作って献上しました。敷いてみると、ちょうど合いました。秦檜は、自分の内輪の事を探られたと考えて、大いに怒り、口実を探してこの官僚を追放しました。献上したものは同じなのに、喜びと怒りが正反対になったのはなぜでしょうか。忠と佞の意図が違うので、天がひそかにそれぞれの報いを受けさせたのだと言う者がいますが、それはおそらく違います。大体、王振は乱暴で驕慢、その心の働きは浅い。秦檜は険悪で狡猾、その心の働きは深い。王振は君子を招いて名声を得ることを楽しみ、秦檜は小人を厳しく警戒して禍を恐れた。これが違いの理由でしょうか。世の中で周忱を非難する者は、王振にこびたこと、粟千石を出して門を表彰されたこと、また息子のために馬を納めて官職を得たこと、この二事を理由にするだけです。どちらも立派な行いではないと言います。私が思うに、この二事にも深い意図があります。当時、各地の災害が重なって報告され、財務の役所は不足に悩んでいました。そのとき周忱はさらに江南の重税数万を免除してもらいました。ただ、寄付と納入による任官を便宜上の二つの策としたのです。周忱はそれで自ら先頭に立ちました。表彰される門の栄誉を明らかにし、納官が恥でないことを示し、民を励まそうとしたのです。これも卜式が辺境の援助をした古人の意図に通じます。軽々しく論じるべきではありません。
解説
この章句が説くこと
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史記 孝武本紀間者(このごろ)河皋陸に溢れ、隄繇息まず。朕天下に臨むこと二十有八年、天若し朕に士を遺りて大いに通ぜしむ。乾に『蜚龍』と称し、『鴻般に漸む』と、意ふに庶幾くは焉に与らん。其れ二千戸を以て地士将軍大を封じて楽通侯と為せ。」と。列侯の甲第、僮千人を賜ふ。乗輿の斥けし車馬帷帳器物を以て其の家に充つ。又衛長公主を以て之に妻はせ、金万斤を齎し、更めて其の邑を名づけて当利公主と曰ふ。天子親ら五利の第に如く。使者の存問して給する所、道に連属す。大主将相より以下、皆其の家に置酒し、之に献遺す。是に於て天子又玉印を刻して「天道将軍」と曰ひ、使をして羽衣を衣て、夜白茅の上に立たしめ、五利将軍も亦羽衣を衣て、白茅の上に立ちて印を受く、以て臣とせざるを示すなり。而して「天道」を佩ぶる者は、且に天子の為に天神を道(みちび)かんとするなり。是に於て五利常に夜其の家に祠り、以て神を下さんと欲す。神未だ至らずして百鬼集まる、然れども頗る能く之を使ふ。其の後装を治めて行き、東して海に入り、其の師を求むと云ふ。大見えて数月、六印を佩び、貴きこと天下を振るはす、而して海上燕斉の間、搤捥(やくわん)して自ら禁方有り、能く神僊すと言はざる莫し。其の夏六月中、汾陰の巫錦民の為に魏脽の后土の営の旁に祠る、地の鉤の状の如きを見、掊(ほ)りて視るに鼎を得たり。鼎大いに衆鼎に異なり、文鏤ありて款識毋し、之を怪しみ、吏に言ふ。吏河東の太守勝に告ぐ、勝以て聞す。天子使をして巫錦の鼎を得るに姦詐無きを験問せしめ、乃ち礼を以て祠り、鼎を迎へて甘泉に至らしめ、行に従ひて、上之を薦めんとす。中山に至る、晏温にして、黄雲有りて蓋ふ。麃過ぐる有り、上自ら之を射、因りて以て祭る云。長安に至る、公卿大夫皆議して宝鼎を尊ばんことを請ふ。天子曰く、「間者河溢れ、歳数(しばしば)登らず、故に巡りて后土を祭り、百姓の為に穀を育まんことを祈る。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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