智囊 / 識斷・姜綰
姜綰以御史謫判桂陽州,歷轉慶遠知府。府邊夷,前守率以夷治。綰至,一新庶政,民獠改觀。時四境之外皆賊窟,翦其渠魁,乃選健兒教之攻戰,無何自成銳兵,賊盜稍息。初,商販者舟由柳江抵慶遠。柳、慶二衛官兵在哨者,陽護之,陰實以為利。綰一日自省溯江歸,哨者假以情見迫,遽言賊伏隩,訹綰陸行便。綰曰:「吾守也,避賊,此江復何時行邪?」麾民兵左右翼,擁蓋樹幟,聯商舟,倘徉進焉。賊竟不敢出。自是舟行者無所用哨。〔馮評〕決意江行,為百姓先驅水道,固是。然亦須平日訓練,威名足以懾敵,故安流無梗。不然,嘗試必無幸矣。
新字:姜綰以御史謫判桂陽州,歴転慶遠知府。府辺夷,前守率以夷治。綰至,一新庶政,民獠改観。時四境之外皆賊窟,翦其渠魁,乃選健児教之攻戦,無何自成鋭兵,賊盗稍息。初,商販者舟由柳江抵慶遠。柳、慶二衛官兵在哨者,陽護之,陰実以為利。綰一日自省溯江帰,哨者仮以情見迫,遽言賊伏隩,訹綰陸行便。綰曰:「吾守也,避賊,此江復何時行邪?」麾民兵左右翼,擁蓋樹幟,聯商舟,倘徉進焉。賊竟不敢出。自是舟行者無所用哨。〔馮評〕決意江行,為百姓先駆水道,固是。然亦須平日訓練,威名足以懾敵,故安流無梗。不然,嘗試必無幸矣。
書き下し
姜綰、御史を以て桂陽州に謫判せられ、慶遠知府に歴転す。府は辺夷にして、前守は率ね夷を以て治む。綰至り、庶政を一新し、民獠、観を改む。時に四境の外はみな賊窟なり。其の渠魁を翦るに、乃ち健児を選びて之に攻戦を教う。何ぞ無く自ら鋭兵を成し、賊盗稍や息む。初め、商販する者の舟は柳江より慶遠に抵る。柳・慶二衛の官兵の哨に在る者は、陽に之を護るも、陰に実は以て利と為す。綰、一日、省より江を溯りて帰る。哨者、情を以て迫らるるに仮り、遽かに言う、賊、隩に伏す。綰を訹して陸行を便とす。綰曰く、「吾は守なり。賊を避けば、此の江は復た何れの時にか行かんや」と。民兵を麾いて左右の翼とし、蓋を擁し幟を樹て、商舟を聯ね、倘徉して進む。賊、竟に敢えて出でず。是より舟行する者は哨を用うる所無し。〔馮評〕江行を決意し、百姓の為に先ず水道を駆るは、固より是なり。然れども亦た須く平日の訓練、威名の以て敵を懾すに足るべくして、故に安流梗無かるべし。然らずんば、嘗試は必ず幸い無し。
現代語訳
姜綰は御史から桂陽州の判官に左遷され、さらに転じて慶遠知府になりました。この府は辺境の異民族の地で、前任の太守はたいてい異民族扱いで統治していました。姜綰が着任すると、諸々の政治を一新し、民も異民族も見違えるようになりました。そのころ四方の国境の外はみな賊の巣窟でした。その首領を討つため、強壮な若者を選んで戦い方を教えました。ほどなく自らの精鋭兵ができ、賊の盗みもやや収まりました。はじめ、商売をする者の舟は柳江から慶遠に来ていました。柳州・慶遠の二衛の官兵で見張りに当たる者は、表向きは商船を護衛しながら、実は裏で利益を得ていました。姜綰はある日、省から江をさかのぼって帰ってきました。見張りの兵は、事情に迫られたふりをして、慌てて言いました。賊が入り江に伏せている、と。姜綰をおどして陸路の方が便利だと言ったのです。姜綰は言いました。「私は太守である。賊を避けるなら、この江はいつ通れるようになるのか。」民兵を指揮して左右の翼とし、傘蓋を掲げ旗を立て、商船を連ねて、悠々と進みました。賊はとうとう出てきませんでした。これ以後、舟で行く者は見張りを必要としなくなりました。〔馮評〕江を行くと決断し、民のためにまず水路を開いたのは確かに正しいことです。しかしそれにはふだんからの訓練があり、威名が敵を震え上がらせるに足るものだったからこそ、穏やかに進めたのです。そうでなければ、試しにやってみても、幸運はなかったでしょう。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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