智囊 / 識斷・劉璽・唐侃
章聖梓宮葬承天,道山東德州。上官裒民間財甚巨以給行,猶恐不稱。武定知州唐侃奮然曰:「以半往足矣!」至則舁一空棺旁舍中,諸內臣牌卒奴叱諸大吏,鞭撻州縣官,宣言「供帳不辦者死」,欲以恐嚇錢。同事者至逃去,侃獨留。及事急,乃謂曰:「吾與若詣所受錢。」乃引之旁舍中,指棺示之,曰:「吾已辦死來矣,錢不可得也!」於是群小愕然相視,莫能難。及事辦,諸逃者皆被罷,而侃獨受旌。人到是非緊要處,輒依阿徇人,只為戀戀一官故。若劉、唐二公,死且不避,何有一官!毋論所持者正,即其氣已吞群小而有餘矣。藺之澠池,樊之鴻門,皆是以氣勝之。
新字:章聖梓宮葬承天,道山東徳州。上官裒民間財甚巨以給行,猶恐不称。武定知州唐侃奮然曰:「以半往足矣!」至則舁一空棺旁舎中,諸内臣牌卒奴叱諸大吏,鞭撻州県官,宣言「供帳不辦者死」,欲以恐嚇銭。同事者至逃去,侃独留。及事急,乃謂曰:「吾与若詣所受銭。」乃引之旁舎中,指棺示之,曰:「吾已辦死来矣,銭不可得也!」於是群小愕然相視,莫能難。及事辦,諸逃者皆被罷,而侃独受旌。人到是非緊要処,輒依阿徇人,只為恋恋一官故。若劉、唐二公,死且不避,何有一官!毋論所持者正,即其気已呑群小而有余矣。藺之澠池,樊之鴻門,皆是以気勝之。
書き下し
章聖の梓宮を承天に葬る。道は山東の徳州を経。上官、民間の財を裒むること甚だ巨にして以て行に給するも、猶お称わざるを恐る。武定知州の唐侃、奮然として曰く、「半ばを以て往かば足らん」と。至れば則ち一の空棺を旁らの舎中に舁がしむ。諸々の内臣・牌卒・奴は諸大吏を叱し、州県官を鞭撻し、宣言す、「供帳辦ぜざる者は死せん」と。銭を恐嚇して取らんと欲す。同事者、逃げ去るに至る。侃独り留まる。事急なるに及び、乃ち謂いて曰く、「吾、若と詣りて銭を受くる所に至らん」と。乃ち引きて旁舎中に入れ、棺を指して示して曰く、「吾已に死を辦じて来れり。銭は得べからず」と。是に於いて群小愕然として相視、能く難ずる莫し。事辦ずるに及び、諸逃げし者はみな罷められ、侃のみ独り旌さる。人、是非の緊要の処に到りて、輒ち阿りて人に徇うは、只だ戀戀として一官に係るが故のみ。劉・唐二公の若きは、死すら且つ避けず、何ぞ一官を有せんや。論ずる毋かれ、持つ所の者の正しきかを。即ち其の気、已に群小を呑みて余り有り。藺の澠池、樊の鴻門、みな是れ気を以てこれに勝つなり。
現代語訳
世宗の生母である章聖皇太后の棺を承天に葬ることになり、道は山東の徳州を通りました。上官は民間から非常に多くの財を集めて行列の費用にあてましたが、それでも足りないのではないかと恐れていました。武定知州の唐侃は奮い立って言いました。「半分もあれば足ります。」やって来ると、空の棺を一つ脇の家に運ばせました。宮中の宦官や下役の兵、従者たちは、諸々の役人を叱りつけ、州県官を鞭で打ち、「設営の準備が整わない者は死刑だ」と宣言しました。金を脅し取ろうとしたのです。同僚たちは逃げ去りましたが、唐侃だけは残りました。事が差し迫ると、唐侃は言いました。「私もあなたがたと一緒に、金を受け取る所へ行こう。」そこで脇の家に案内して入れ、棺を指して見せて言いました。「私はすでに死ぬ覚悟をして来た。金は出せない。」こうして小者たちは唖然として顔を見合わせ、何も言えませんでした。行事が無事に済むと、逃げた者はみな罷免され、唐侃だけが表彰されました。人は是非の肝心な所に来ると、すぐに迎合して人に従うのは、ひたすら官職に未練があるからです。劉璽や唐侃の二公のように、死すら避けないのであれば、官職など何ほどのものでしょう。主張の正しさを問うまでもなく、その気迫がすでに小者たちを呑んで余りあります。藺相如の澠池の会、樊噲の鴻門の宴も、みな気迫で相手に勝った例です。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第二今時(いまどき)の若き者、女風(おんなふう)になりたがるなり。結構者(けっこうもの)、人愛(じんあい)の有る人、物を破らぬ人柔(やわ)らかなる人と云う様なるを、よき人と取りはやす時代になりたる故(ゆえ)、矛手(ほこて)延びず、突つ切(き)れたる事成らぬなり。第一は身上(しんしょう)を抱留(かかえと)むる合黙(あいもく)が強き故、大事と計り思い、心縮(ちぢ)まると見えたり。其方(そなた)も我が知行にてなく、親の苦労して取立てられたる物を、養子に来て崩し候てはならぬことと、大事に思わるべきが、それは世上(せじょう)の風(ふう)なり。我等(われら)が所存は格別なり。奉公する時分、身上の事などは何とも思わざりしなり。素(もと)より主人のものなれば、大事がり惜しむべき様(よう)無き事なり。我等生(い)くる世の中に、奉公方(ほうこうかた)にて浪人切腹して見すれば本望至極(ほんもうしごく)なり。奉公人の打留(うちど)めは此の二箇条に極(きわ)まりたるものなり。其の中きたな崩れは無念なり。おくれ・不甲斐(ふがい)・私慾(しよく)・人の害になる事などは有るまじき事なり。其の外にては崩すを本望と思うべし。斯くの如く落着くと、其の儘矛手延びて働かれ、勢(いきおい)格別なり。
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『講孟余話』盡心下 首章然るに頃日一友あり、余を諷して云く、「宜しく野山獄の周旋をば止むべし。然らずんば人将に云はんとす、寅二罪人に比周すと」。余此の言を聞き激怒に堪へず、直ちに頭髪上りて刺す。噫、誠に不仁の甚だしきなるかな。蓋し其の人の意に謂へらく、寅二幸ひにして獄を脱す、若し或いは謗議に係り、再び獄に陥らば無益の事なり、己が身さへ獄を脱すれば、豈に他人を恤ふるに遑あらんやと。是れ世俗身家を惜しみ妻子を顧みるの常態にして、何ぞ与に伊尹の志を論ずるに足らんや。若し野山獄の諸囚皆繋を脱すべきの理なくして、余枉げて罪人に比周し、此の妄挙をなさば、一友の言誠に当たれり。然れども諸囚繋を脱すべきの理は、願はくは余が著す所の諸稿を熟覧せよ、其の妄挙に非ざるを知るに足らん。夫れ衆生済度の為の草鞋掛けの苦労は親鸞猶能く憚らず、外道懾服の為の斬首遠流は日蓮猶能く畏れず。彼皆異端邪説、聖人の徒の歯せざる所なるに彼が如し。況んや聖人の道に志し伊尹の任を願ふ者、何ぞ区々として謗議と岸獄とを惧れんや。
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葉隠・聞書第一勘定者(かんじょうもの)はすくたるる者なり。仔細(しさい)は、勘定は損得の考(かんがえ)するものなれば、常に損得の心絶えざるなり。死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。又、学問者(がくもんしゃ)は才智弁口(さいちべんこう)にて、本体(ほんたい)の臆病(おくびょう)・欲心などを仕かくすものなり。人の見誤(みあやま)る所なり。
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史記 李斯列伝彼の賢人の天下を有つや、専ら天下を用ひて己に適するのみ。此れ天下を有つを貴ぶ所なり。夫れ所謂賢人なる者は、必ず能く天下を安んじて万民を治む。今身すら且つ利する能はず、将た悪くんぞ能く天下を治めんや。故に吾志を賜にし欲を広くし、長く天下を享けて害無からんと願ふ。之を為すこと奈何」と。李斯の子由は三川の守為り。群盗呉広等西のかた地を略し、過ぎ去るも禁ずる能はず。章邯以て広等の兵を破逐す。使者三川を覆案すること相属ぎ、斯の三公の位に居りて、如何ぞ盗をして此の如くならしむると誚譲す。李斯恐懼し、爵禄を重んじ、出だす所を知らず、乃ち二世の意に阿り、容れられんことを求めんと欲し、書を以て対へて曰く、夫れ賢主なる者は、必ず且に能く道を全うして督責の術を行ふ者なり。之を督責すれば、則ち臣敢て能を竭くして以て其の主に徇はずんばあらず。此れ臣主の分定まり、上下の義明らかなれば、則ち天下の賢不肖、敢て力を尽くし任を竭くして以て其の君に徇はざる莫し。是の故に主は独り天下を制して制せらるる所無きなり。能く楽しみの極みを窮む。賢明の主なり。察せざるべけんや。故に申子曰く「天下を有ちて恣睢せざる、之を命けて天下を以て桎梏と為すと曰ふ」とは、他無し、督責する能はずして、顧って其の身を以て天下の民に労すること、堯・禹の然るが若し。故に之を「桎梏」と謂ふなり。夫れ申・韓の明術を修め、督責の道を行ひ、専ら天下を以て自ら適する能はずして、徒らに形を苦しめ神を労するを務め、身を以て百姓に徇ふは、則ち是れ黔首の役にして、天下を畜ふ者に非ざるなり。何ぞ貴ぶに足らんや。夫れ人を以て己に徇はしむれば、則ち己は貴くして人は賤し。己を以て人に徇へば、則ち己は賤しくして人は貴し。故に人に徇ふ者は賤しく、而して人の徇ふ所の者は貴し。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。凡そ古の賢を尊ぶ所為の者は、其の貴きが為なり。而して不肖を悪む所為の者は、其の賤しきが為なり。
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、
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