智囊 / 威克・張詠・柳仲途
張詠未第時,嘗遊蕩陰,縣令餽與束帛萬錢,詠即負之而歸。或謂此去遇夜,坡澤深奧,人煙疏闊,可俟徒伴偕行。詠曰:「秋暮矣,親老未授衣。」但捽一短劍去。行三十餘里,止一孤店,唯一翁洎二子,夜始分,其子呼曰:「雞已鳴,秀才可去矣。」詠不答,即推戶,詠先以牀拒左扉,以手拒右扉,其子既呼不應,即排闥。詠忽退立,其子閃身入,詠其首斃之,少時,次子又至,如前,復殺之,詠持劍視翁,翁方燎火爬癢,復斷其首,老幼數人,並命於室,乃縱火,行二十餘里,始曉,後來者相告曰:「前店失火,舉家被焚也,)事亦奇,因附之。
新字:張詠未第時,嘗遊蕩陰,県令餽与束帛万銭,詠即負之而帰。或謂此去遇夜,坡沢深奥,人煙疏闊,可俟徒伴偕行。詠曰:「秋暮矣,親老未授衣。」但捽一短剣去。行三十余里,止一孤店,唯一翁洎二子,夜始分,其子呼曰:「鶏已鳴,秀才可去矣。」詠不答,即推戸,詠先以牀拒左扉,以手拒右扉,其子既呼不応,即排闥。詠忽退立,其子閃身入,詠其首斃之,少時,次子又至,如前,復殺之,詠持剣視翁,翁方燎火爬癢,復断其首,老幼数人,並命於室,乃縦火,行二十余里,始暁,後来者相告曰:「前店失火,舉家被焚也,)事亦奇,因附之。
書き下し
張詠、未だ第せざる時、嘗て蕩陰に遊ぶ。県令は餽るに束帛と万銭を以てす。詠は即ち之を負いて帰る。或るひと謂う、「此れより去らば夜に遇わん。坡沢は深奥にして、人煙は疏闊なり。徒伴の偕に行くを俟つべし」と。詠曰く、「秋暮れぬ。親は老いて未だ衣を授けず」と。但だ一短剣を捽みて去る。行くこと三十余里、止だ一孤店あり、唯だ一翁と二子のみ。夜始めて分かち、其の子は呼びて曰く、「雞已に鳴けり。秀才は去るべし」と。詠は答えず、即ち戸を推す。詠は先に牀を以て左扉を拒ぎ、手を以て右扉を拒ぐ。其の子は既に呼びて応ぜざれば、即ち闥を排す。詠は忽ち退き立つ。其の子は身を閃かして入る。詠は其の首を斬りて之を斃す。少時にして次子又た至り、前の如くし、復た之を殺す。詠は剣を持ちて翁を視るに、翁は方に火を燎きて痒を爬く。復た其の首を断つ。老幼数人、並びに室に命を終え、乃ち火を縦つ。行くこと二十余里にして始めて曉け、後より来る者相い告げて曰く、「前の店、失火し、挙家焚かれたり」と。事は亦た奇なり、因りて之を附す。
現代語訳
張詠がまだ科挙に及第していなかったころ、蕩陰を訪ねたことがあった。県令は束ねた絹と一万銭を贈ってくれた。張詠はそれを背負って帰ることにした。ある人が言った。「ここから出ると夜になります。丘や沢が深く、人家はまばらです。同行者が揃うまで待つべきです」。張詠は言った。「秋が暮れてきた。年老いた親にまだ衣を届けていない」。そして一本の短剣だけを握って出発した。三十里余り歩くと、ぽつんと一軒の宿があり、一人の老人と二人の息子だけがいた。夜が更けて、息子の一人が呼びかけて言った。「鶏がもう鳴きました。書生さん、お発ちください」。張詠は答えず、ただちに戸を押し開けた。張詠はあらかじめ寝台で左の扉を塞ぎ、手で右の扉を押さえていた。息子は呼んでも返事がないので、扉を押し開けて入ろうとした。張詠は突然後ろへ退いて立った。息子が身をかわして入ってきたところで、張詠はその首を斬って殺した。しばらくして次男もやって来たので、前と同じようにこれも殺した。張詠は剣を持って老人を見に行くと、老人は火を焚いて体をかいているところだった。老人も首を断った。老いも若きも数人がこうして部屋の中で命を終え、そこで火を放った。二十里余り行ったところで夜が明け、後から来た者たちが「前の宿は火事で、一家が全員焼け死んだ」と話しているのを聞いた。事は珍しいので、ここに付け加えておく。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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