智囊 / 威克・黃蓋・況鍾
「司衡者,要識拔真才而用之,甲未必優於科,科未必皆優於貢,而甲與科、貢之外,又未必無奇才異能之士。必試之以事,而後可見。如黃福以歲貢,楊士奇以儒士,胡儼以舉人,此皆表表名臣也。國初,馮堅以典史而推都御史,王興宗以直廳而歷布政使,唯為官擇人,不為人擇官,所以能盡一世人才之用耳!」況守時,府治被火焚,文卷悉燼,遺火者,一吏也。火熄,況守出坐礫場上,呼吏痛杖一百,喝使歸舍,亟自草奏,一力歸罪己躬,更不以累吏也。初吏自知當死,況守歎曰:「此固太守事也,小吏何足當哉!」奏上,罪止罰俸。公之周旋小吏如此,所以威行而無怨。使以今人處此,即自己之罪尚欲推之下人,況肯代人受過乎?公之品,於是不可及矣!
新字:「司衡者,要識抜真才而用之,甲未必優於科,科未必皆優於貢,而甲与科、貢之外,又未必無奇才異能之士。必試之以事,而後可見。如黄福以歳貢,楊士奇以儒士,胡儼以舉人,此皆表表名臣也。国初,馮堅以典史而推都御史,王興宗以直庁而歴布政使,唯為官択人,不為人択官,所以能尽一世人才之用耳!」況守時,府治被火焚,文巻悉燼,遺火者,一吏也。火熄,況守出坐礫場上,呼吏痛杖一百,喝使帰舎,亟自草奏,一力帰罪己躬,更不以累吏也。初吏自知当死,況守嘆曰:「此固太守事也,小吏何足当哉!」奏上,罪止罰俸。公之周旋小吏如此,所以威行而無怨。使以今人処此,即自己之罪尚欲推之下人,況肯代人受過乎?公之品,於是不可及矣!
書き下し
「司衡の者は、要は真才を識抜して之を用うるにあり。甲は未だ必ずしも科に優らず、科は未だ必ずしも皆な貢に優らず。而して甲と科、貢の外にも、又た未だ必ずしも奇才異能の士無からず。必ず之を試すに事を以てして、而る後に見るべし。黄福の歳貢を以て、楊士奇の儒士を以て、胡儼の挙人を以てするが如きは、此れ皆な表表たる名臣なり。国初、馮堅は典史を以て都御史に推され、王興宗は直庁を以て布政使を歴す。唯だ官の為に人を択び、人の為に官を択ばず。所以に能く一世の人才の用を尽くすのみ」と。況守の時、府治火に焚かれ、文卷悉く燼す。遺火する者は、一吏なり。火熄むや、況守は出でて礫場の上に坐し、吏を呼びて痛く杖すること百、喝して舎に帰らしむ。亟かに自ら奏を草し、一に力めて罪を己が躬に帰し、更に吏に累せしめず。初め吏は自ら当に死すべきを知る。況守は歎じて曰く、「此れ固より太守の事なり。小吏何ぞ当たるに足らんや」と。奏上り、罪は罰俸に止まる。公の小吏を周旋すること此の如し。所以に威行われて怨み無し。今人をして此に処らしめば、即ち自己の罪すら尚お之を下人に推さんと欲す。況んや肯えて人の為に過ちを受けんや。公の品は、是に於いて及ぶべからず。
現代語訳
「人材の選考を司る者は、真の人材を見抜いて用いることが肝心である。進士が必ずしも科挙出身者に勝るわけではなく、科挙出身者が必ずしも貢生に勝るわけでもない。そして進士、科挙、貢生の外にも、特別な才能を持つ人物がいないとは限らない。必ず仕事の上で試してこそ、見えてくるものだ。黄福が歳貢の出身で、楊士奇が儒士の出身で、胡儼が挙人の出身であるのは、皆、ひときわ優れた名臣である。建国の初め、馮堅は典史から都御史に推挙され、王興宗は直庁から布政使を歴任した。ただ官職のために人を選び、人のために官職を選ばなかった。だから一世の人材の力を尽くして用いることができたのだ」。況鍾が知府のとき、役所が火事で焼け、文書がすべて灰になった。火を出したのは一人の役人だった。火が消えると、況鍾は出てきて瓦礫の場に座り、その役人を呼んで杖で百回強く打ち、叱って宿舎に帰らせた。そしてすぐに自ら上奏文を書き、ひたすら罪を自分の身に引き受け、役人に累が及ばないようにした。はじめ、その役人は自分が死罪に当たると分かっていた。況鍾は嘆いて言った。「これはもともと知府の責任だ。小役人がどうして負えようか」。上奏文が出されると、罪は俸給の減額にとどまった。公が小役人を取り計らうのはこのようであった。だから威が行われても怨みが生じなかった。今の人にこの立場に置かせれば、自分の罪さえ下の者に押しつけようとするだろう。まして人の過ちを肯んじて引き受けるはずがない。公の人品は、ここでは及ぶべくもない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
-
史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
-
史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
-
史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
-
説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
-
『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る