智囊 / 詰奸・汪旦・黃紱
凌許三僧從顯往,而自與八輩隨之,既至寺,則窖中黃白燦然,恣其所取,僧陽束臥具,而陰收寺中刀斧之屬,期三更斬門而出。汪方秉燭,構申詳稿,忽心動,念百僧一獄,卒有變莫支,乃密召快手持械入宿。甫集,而僧亂起,僧所用皆短兵,眾以長槍御之,僧不能敵,多死。顯知事不諧,揚言曰:「吾儕好醜區別,相公不一一細鞫,以此激變,然反者不過數人,今已誅死,吾儕當面訴相公。」汪令刑房吏諭曰:「相公亦知汝曹非盡反者,然反者已死,可盡納器械,明當庭鞫分別之。」器械既出,於是召僧每十人一鞫,以次誅絕。至明,百僧殲焉。究器械入獄之故,始知凌志等弊竇,而志等則已死於兵矣。〔馮注〕萬曆乙未歲,西吳許孚遠巡撫八閩,斷某寺絳衣真人從大殿蒲團下出,事略同。
新字:凌許三僧従顕往,而自与八輩随之,既至寺,則窖中黄白燦然,恣其所取,僧陽束臥具,而陰収寺中刀斧之属,期三更斬門而出。汪方秉燭,構申詳稿,忽心動,念百僧一獄,卒有変莫支,乃密召快手持械入宿。甫集,而僧乱起,僧所用皆短兵,衆以長槍御之,僧不能敵,多死。顕知事不諧,揚言曰:「吾儕好醜区別,相公不一一細鞫,以此激変,然反者不過数人,今已誅死,吾儕当面訴相公。」汪令刑房吏諭曰:「相公亦知汝曹非尽反者,然反者已死,可尽納器械,明当庭鞫分別之。」器械既出,於是召僧毎十人一鞫,以次誅絶。至明,百僧殲焉。究器械入獄之故,始知凌志等弊竇,而志等則已死於兵矣。〔馮注〕万暦乙未歳,西呉許孚遠巡撫八閩,断某寺絳衣真人従大殿蒲団下出,事略同。
書き下し
凌は三僧の顕に従いて往くを許し、自ら八輩と与に之に随う。既に寺に至れば、則ち窖中は黄白燦然として、其の取る所を恣にす。僧は陽に臥具を束ね、而して陰かに寺中の刀斧の属を収め、三更を期して門を斬りて出でんとす。汪は方に燭を秉りて、申詳の稿を構う。忽ち心動き、念うに、百僧一獄にして、卒に変有らば支うる莫からん、と。乃ち密かに快手の械を持つを召して入宿せしむ。甫めて集まれば、而ち僧の乱起こる。僧の用うる所は皆な短兵なり。衆は長槍を以て之を御ぎ、僧は敵する能わず、多く死す。顕は事の諧わざるを知り、揚言して曰く、「吾が儕の好醜は区別あり。相公は一一細かに鞫せず、此を以て変を激す。然れども反せし者は数人に過ぎず、今已に誅死せり。吾が儕は当に面して相公に訴うべし」と。汪は刑房の吏をして諭さしめて曰く、「相公も亦た汝曹の尽くは反する者に非ざるを知る。然れども反せし者は已に死せり。尽く器械を納む可し。明日庭鞫して之を分別せん」と。器械既に出ずれば、是に於て僧を召し、十人毎に一鞫し、次を以て誅絶す。明に至り、百僧殲ぶ。器械の獄に入りし故を究むれば、始めて凌志らの弊竇なるを知る。而して志らは則ち已に兵に死せり。〔馮注〕万暦乙未の歳、西呉の許孚遠、八閩を巡撫し、某寺の絳衣真人の大殿の蒲団の下より出ずるを断ず。事は略ぼ同じ。
現代語訳
凌志は、三人の僧が仏顕について行くのを許し、自分も八人の手下を連れてそれに同行しました。寺に着くと、地下蔵には金銀が輝き、思いのままに取れるほどでした。僧たちは見せかけに寝具を束ねながら、ひそかに寺の刀や斧の類を集め、三更(真夜中)に門を破って出る計画を立てました。そのころ汪旦はちょうど灯火を手に、上申書の文案を練っていました。突然、胸騒ぎがして、百人もの僧が一つの牢にいるのだから、万一変事が起これば支えきれないと思いました。そこで密かに武器を持つ捕り手を呼び寄せて泊まり込ませました。集まったばかりのところで、僧たちが反乱を起こしました。僧が使うのはみな短い武器でした。捕り手は長い槍で防ぎ、僧は敵わず、多くが死にました。仏顕は事が成らないと知って、大声で言いました。「われわれの善し悪しには区別があります。お上は一人ひとり細かく取り調べず、こうして変事を引き起こしました。しかし反した者は数人にすぎず、今すでに誅殺されました。われわれは、お上に面と向かって訴えたい」。汪旦は刑房の役人に諭させました。「お上も、お前たちがすべて反乱に加わったわけではないと分かっておられる。しかし反した者はもう死んだ。すべての武器を差し出せ。明日、庭で取り調べ、善悪を分けよう」。武器がすべて出されると、僧を呼び、十人ずつ一組として取り調べ、順番に全員を誅殺しました。夜が明けるころ、百人の僧は全滅しました。武器が牢に入った理由を調べると、はじめて凌志らの不正だと分かりました。しかし凌志らはすでに兵に殺されていました。〔馮夢龍の注〕万暦乙未の年、西呉の許孚遠が福建を巡撫したとき、ある寺の赤い衣の真人が本堂の座布団の下から出てくる事件を裁いた。事は似ている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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