智囊 / 詰奸・子產・嚴遵
鄭子產晨出,過束匠之閭,聞婦人之哭也,撫其御之手而聽之。有間,遣吏執而問之,則手絞其夫者也。異日其御問曰:「夫子何以知之?」子產曰:「其聲懼。凡人於其親愛也,始病而憂,臨死而懼,已死而哀。今夫哭已死不哀而懼,是以知其有奸也!」嚴遵為揚州行部,聞道旁女子哭而不哀。問之,云夫遭火死。遵使輿屍到,令人守之,曰:「當有物往。」更日,有蠅聚頭所,遵令披視,鐵椎貫頂。考問,乃以淫殺夫者。〔馮注〕韓滉冑在潤州事同。
新字:鄭子産晨出,過束匠之閭,聞婦人之哭也,撫其御之手而聴之。有間,遣吏執而問之,則手絞其夫者也。異日其御問曰:「夫子何以知之?」子産曰:「其声懼。凡人於其親愛也,始病而憂,臨死而懼,已死而哀。今夫哭已死不哀而懼,是以知其有奸也!」厳遵為揚州行部,聞道旁女子哭而不哀。問之,云夫遭火死。遵使輿屍到,令人守之,曰:「当有物往。」更日,有蠅聚頭所,遵令披視,鉄椎貫頂。考問,乃以淫殺夫者。〔馮注〕韓滉冑在潤州事同。
書き下し
鄭の子産、晨に出で、束匠の閭を過ぎ、婦人の哭するを聞き、其の御の手を撫でて之を聴く。有間にして、吏を遣わして執えて問わしむれば、則ち手ずから其の夫を絞めし者なり。異日、其の御問いて曰く、「夫子は何を以て之を知れるか」と。子産曰く、「其の声は懼れたり。凡そ人は其の親愛に於けるや、始め病みては憂い、死に臨みては懼れ、已に死しては哀しむ。今夫の哭は已に死して哀しまずして懼る。是を以て其の奸有るを知る」と。厳遵は揚州の行部と為り、道旁の女子の哭して哀しまざるを聞く。之に問えば、云う、夫火に遭いて死せりと。遵は屍を輿し到らしめ、人をして之を守らしめて曰く、「当に物の往く有るべし」と。日を更えて、蠅の頭の所に聚まる有り。遵は披き視せしむれば、鉄椎頂を貫けり。考問すれば、乃ち淫を以て夫を殺せし者なり。〔馮注〕韓滉冑の潤州に在りしも事は同じ。
現代語訳
鄭の子産が朝、外出して束匠(桶屋)の町を通りかかったとき、女の泣き声が聞こえました。子産は御者の手に触れて静かにさせ、じっと耳を澄ましました。しばらくして、役人を遣わして女を捕らえて問いただしたところ、自分の手で夫を絞め殺した者でした。後日、御者が尋ねました。「先生はどうしてお分かりになったのですか」。子産は言いました。「その声には恐れがあった。人というものは、親しい人に対して、病み始めには心配し、死に臨んでは恐れ、すでに死んだあとは悲しむものだ。ところがあの女の泣き声は、すでに死んだのに悲しまず、恐れていた。それで悪事があると知ったのだ」。厳遵が揚州の巡察に出たとき、道ばたで哀しみのない泣き方をしている女の声を聞きました。わけを尋ねると、夫が火事で死んだと言います。厳遵は遺体を運ばせ、人に見張らせて「必ず何かが寄ってくる」と言いました。一日おいて、蠅が頭のあたりに群がっていました。厳遵が髪をかき分けて見させると、鉄の杭が頭頂を貫いていました。取り調べると、不倫のために夫を殺した女でした。〔馮夢龍の注〕韓滉が潤州にいたときの話も同じようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』難三第三十八鄭の子産、晨に出で、東匠の閭を過ぎ、婦人の哭するを聞き、其の御の手を撫して之を聴く。間有りて、吏を遣はして執へて之を問はしむれば、則ち手づから其の夫を絞る者なり。異日、其の御問ひて曰く、「夫子何を以て之を知る。」子産曰く、「其の声懼る。凡そ人の其の親愛に於けるや、始め病めば憂へ、死に臨めば懼れ、已に死すれば哀しむ。今已に死せるを哭して、哀しまずして懼る、是を以て其の姦有るを知るなり。」或ひと曰く、子産の治、亦多士ならずや。
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『智囊』詰奸・元絳江寧の推官元絳、上元の令を摂す。甲と乙と酒を被りて相い毆つ。甲は帰りて臥し、夜に盗に足を断たる。妻は乙と称し、乙を執えて県に詣れば、甲は已に死せり。絳は其の妻に敕して曰く、「帰りて夫の喪を治めよ。乙は已に服せり」と。陰かに謹信なる吏を遣わして其の後を跡けしむれば、一僧の迎え笑い、切切として私語するを望む。絳は命じて取りて廡下に係がしめ、妻に奸の状を詰ぬれば、即ち実を吐く。人其の故を問うに、絳曰く、「吾れ妻の哭して哀しまず、且つ傷つけられし者と席を共にして襦に血の污れ無きを見る。是を以て之を知る」と。
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『智囊』詰奸・張升張升、潤州に知たりし日、婦人の夫出でて数日帰らざる有り。,忽ち人の報じて菜園の井中に死人有りと言う者有り。婦人驚き往きて之を視、号哭して曰く、「吾が夫なり」と。遂に以て官に聞こゆ。公は属官をして鄰里を集め、井に就きて其の夫なるや否やを験せしむ。皆以えらく、井深くして弁ずべからず、請う屍を出して験せんと。公曰く、「衆皆弁ずること能わず、婦人は独り何を以て是れ其の夫なるを知るか」と。所司に収付して鞫問すれば、果たして奸人の其の夫を殺し、婦人は謀に与る者なり。
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『智囊』得情・程戡程戡、処州に知たり。民に積仇ある者有り。一日、諸子其の母に謂いて曰く、「母は老いて且つ病む。恐らく更に議するを得ず。請う、母の死を以て仇に報いん」と。乃ち其の母を殺し、仇人の門に置き、而して官に訴う。仇者は自ら明らかにする能わず。戡之を疑うも、僚属は皆な疑うに足る無しと言う。戡曰く、「人を殺して自ら門に置くは、疑うべきに非ずや」と。乃ち親ら劾治し、具に本謀を得たり。
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『智囊』得情・鄭洛書・許進・姚公・張昺鄭洛書、上海県に知たり。嘗て履端に郡に謁し、帰りて海口に泊す。沈屍有り、圧すに石磨を以てするを、忽ち之を見て、歎じて曰く、「此れ必ず客死ならん。故に余の告ぐる莫きなり」と。人を遣わして之を偵わしむるに、近村の民家に石磨有り、其の牡を失えり。執え来たりて相吻合す。一訊して即ち伏す。果たして江西の売卜人にして、歳晏れて将に帰らんとするに、房主、其の財を利して殺せるなり。単県に田作する者有り、其の婦、之に餉す。食い畢わりて死す。翁、故に曰く、「婦の意なり」と。官に陳ぶ。箠楚に勝えず、遂に誣服す。是れより天久しく雨ふらず。許襄毅公、時に山東に官たり。曰く、「獄に其れ冤有らんか」と。乃ち親ら其の地を歴め、獄囚を出して遍く審す。餉婦に至り、乃ち曰く、「夫婦の相守るは、人の至願。鴆毒もて人を殺すは、計の至密なる者なり。焉んぞ自ら田に餉して之を鴆する者有らんや」と。遂に其の餽する所の飲食、経る所の道路を詢う。婦曰く、「魚湯と米飯にして、荊林より度り、他の異なる無きなり」と。公乃ち魚を買い飯を作り、荊花を其の中に投じて、之を狗彘に試むるに、死せざる無し。婦の冤乃ち白し、即日大雨注ぐが如し。蘇人、商に外に出づ。其の妻は雞数隻を蓄えて以て其の帰りを待つ。数年にして方に返り、雞を殺して之を食らえば、夫即ち死す。隣人は外奸有るかと疑い、之を太守姚公に首す。鞫するも他の故無し。意うに其の雞に毒有りと。人をして老雞を覓め、当に死すべき囚と遍く之を食わしむるに、果たして二人を殺す。獄遂に白し。蓋し雞は蜈蚣百虫を食えば、久しくして毒を蓄う。故に養生家は雞の老いたるを食わず、又た夏は雞を食わず。
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『智囊』詰奸・某郡從事人の他に適きて回るに因り、其の妻の家に殺され、但だ其の首を失うを見る有り。奔りて妻の族に告ぐ。妻の族は婿の女を殺せしを以て郡主に訟え、刑掠既に厳しく、遂に自ら誣いて服す。独り一従事のみ之を疑い、使君に謂いて曰く、「人命至って重し。須く緩くして之を窮むべし。且つ夫為る者、誰か妻を殺すに忍びん。縦い隙有りて之を害すとも、必ず禍を脱するの計を為し、或いは病殞に推し、或いは暴亡に托さん。今屍を存して首を棄つるは、其の理甚だ明らかなり。請う、為に更に讞せん」と。使君之を許す。従事は乃ち別室に遷し係ぎ、仍りて酒食を給す。然る後に遍く城に在る仵作行人を勘し、各おの近来人家の与に墳墓を安厝せし多少の文状を供せしむ。既にして一一面詰して曰く、「汝ら人家の与に事を挙ぐるに、還って疑う可き者有りや」と。中の一人曰く、「某は一豪家に於て事を挙ぐるに、共に言う、一奶子を殺却し、牆上より舁ぎ過ぐ。兇器の中は甚だ物無きに似たり。見在某坊にあり」と。之を発けば、果たして一婦人の首を得たり。訴者をして験認せしむれば、則ち「是に非ず」と云う。遂に豪家を収めて鞫すれば、豪家は款伏す。乃ち是れ婦と私に好し、一奶子を殺し、函して首を葬り、婦の衣を以て奶子の身屍に衣せしめ、婦に易えて以て帰り、私室に畜えしなり。其の獄遂に白らかなり。
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