智囊 / 詰奸・向敏中
向敏中在西京時,有僧暮過村求寄宿,主人不許,於是權寄宿主人外車廂。夜有盜自牆上扶一婦人囊衣而出,僧自念不為主人所納,今主人家亡其婦人及財,明日必執我。因亡去。誤墮眢井,則婦人已為盜所殺,先在井中矣。明日,主人蹤跡得之,執詣縣,僧自誣服,誘與俱亡,懼追者,因殺之投井中,暮夜不覺失足,亦墜;贓在井旁,不知何人取去。獄成言府,府皆平允,獨敏中以贓不獲致疑,乃引僧固問,得其實對。敏中密使吏出訪,吏食村店,店嫗聞自府中來,問曰:「僧之獄何如?」吏紿之曰:「昨已笞死矣。」嫗曰:「今獲賊何如?」曰:「已誤決此獄,雖獲賊亦不問也。」嫗曰:「言之無傷矣,婦人者,乃村中少年某甲所殺也。」指示其舍,吏就舍中掩捕獲之。案問具服,並得其贓,僧乃得出。〔馮述評〕前代明察之官,其成事往往得吏力。吏出自公舉,故多可用之才。今出錢納吏,以吏為市耳,令訪獄,便鬻獄矣;況官之心猶吏也,民安得不冤?
新字:向敏中在西京時,有僧暮過村求寄宿,主人不許,於是権寄宿主人外車廂。夜有盗自牆上扶一婦人嚢衣而出,僧自念不為主人所納,今主人家亡其婦人及財,明日必執我。因亡去。誤堕眢井,則婦人已為盗所殺,先在井中矣。明日,主人蹤跡得之,執詣県,僧自誣服,誘与倶亡,懼追者,因殺之投井中,暮夜不覚失足,亦墜;贓在井旁,不知何人取去。獄成言府,府皆平允,独敏中以贓不獲致疑,乃引僧固問,得其実対。敏中密使吏出訪,吏食村店,店嫗聞自府中来,問曰:「僧之獄何如?」吏紿之曰:「昨已笞死矣。」嫗曰:「今獲賊何如?」曰:「已誤決此獄,雖獲賊亦不問也。」嫗曰:「言之無傷矣,婦人者,乃村中少年某甲所殺也。」指示其舎,吏就舎中掩捕獲之。案問具服,並得其贓,僧乃得出。〔馮述評〕前代明察之官,其成事往往得吏力。吏出自公舉,故多可用之才。今出銭納吏,以吏為市耳,令訪獄,便鬻獄矣;況官之心猶吏也,民安得不冤?
書き下し
向敏中、西京に在りしとき、僧の暮れに村を過ぎて寄宿を求むる有り。主人許さず。是に於いて権に主人の外の車廂に寄宿す。夜、盗の牆上より一婦人の囊衣を扶けて出づる有り。僧自ら念う、主人に納れられず、今、主人の家、其の婦人及び財を亡えば、明日必ず我を執えんと。因りて亡げ去り、誤りて眢井に墮つ。則ち婦人は已に盗の殺す所と為り、先に井中に在り。明日、主人、蹤跡して之を得、執えて県に詣る。僧、自ら誣いて服す。「誘いて与に俱に亡げ、追う者を懼れて、因りて之を殺して井中に投じ、暮夜に覚えず足を失い、亦た墜つ。贓は井の旁らに在りしが、何人の取り去りしかを知らず」と。獄成りて府に言う。府は皆な平允とするも、独り敏中のみ贓の獲られざるを以て疑いを致し、乃ち僧を引きて固く問い、其の実を対うるを得たり。敏中、密かに吏をして出でて訪ねしむ。吏、村店に食す。店の嫗、府中より来たるを聞き、問いて曰く、「僧の獄は何如」と。吏、之を紿きて曰く、「昨に已に笞死せり」と。嫗曰く、「今、賊を獲ば何如」と。曰く、「已に誤りて此の獄を決せり。賊を獲ると雖も亦た問わず」と。嫗曰く、「之を言うも傷つくる無し。婦人は乃ち村中の少年某甲の殺す所なり」と。其の舎を指示す。吏、舎に就きて掩捕して之を獲たり。案問して具に服し、並びに其の贓を得て、僧乃ち出づるを得たり。〔馮述評〕前代の明察の官、其の事を成すこと往往にして吏の力を得たり。吏は公挙に出ず、故に用うべきの才多し。今、銭を出して吏を納む。吏を以て市と為すのみ。令、獄を訪ぬれば、便ち獄を鬻ぐ。況んや官の心、猶お吏のごとくなれば、民安んぞ冤せられざるを得んや。
現代語訳
向敏中が西京にいたとき、ある僧が日暮れに村を通り、宿を求めた。主人は許さなかった。そこで仮に主人の家の外の車置き場に泊まった。夜、盗賊が塀の上から一人の婦人を抱え、衣類の袋を持って出て行った。僧は心の中で、主人に受け入れられず、いま主人の家で婦人と財物がなくなれば、明日必ず自分が捕まるだろうと思った。そこで逃げ去り、誤って涸れ井戸に落ちた。すると婦人はすでに盗賊に殺され、先に井戸の中にいた。翌日、主人は足跡をたどってこれを見つけ、捕らえて県に連れて行った。僧は自ら偽って罪に服した。「婦人を誘って一緒に逃げ、追っ手を恐れて殺して井戸に投げ込み、夜に足を踏み外して自分も落ちました。盗品は井戸の傍らにありましたが、誰が持ち去ったのかわかりません」と。調書が成って府に報告された。府はみな妥当だとしたが、ただ敏中だけが、盗品が見つからないことを疑い、僧を呼び出して固く問いただし、その実情を得た。敏中は密かに役人を遣わして探らせた。役人は村の店で食事をした。店の老婆は役人が府から来たと聞いて、たずねた。「僧の事件はどうなりましたか」。役人は偽って言った。「昨日すでに笞打ちで死んだ」。老婆は言った。「今、賊を捕らえたらどうなりますか」。答えた。「すでに誤ってこの事件を裁いた。賊を捕らえても追及しない」。老婆は言った。「話しても害はないでしょう。婦人を殺したのは、村の若者の某です」。その家を指し示した。役人は家に行って不意に襲い、捕らえた。取り調べで全て白状し、盗品も得られて、僧はようやく釈放された。〔馮夢龍の評〕前代の明察な官吏は、事をなすのに、しばしば下役の力を得た。下役は公の推挙から出たので、用いるに足る人材が多かった。今は銭を出して下役の席を買う。下役を商売の種にしているだけである。県令が獄を調べれば、すぐ獄を売ることになる。まして官の心が下役と同じであれば、民がどうして冤罪を被らずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三年 祁奚、讎を挙ぐ祁奚、老を請ふ。晉侯、嗣を問ふ。解狐を稱す。其の讎なり。將に之を立てんとして卒す。又焉に問ふ。對へて曰く、「午や可なり」と。是に於て羊舌職死せり。晉侯曰く、「孰か以て之に代はるべき」と。對へて曰く、「赤や可なり」と。是に於て祁午をして中軍尉と爲し、羊舌赤之を佐けしむ。君子謂ふ、祁奚是に於て能く善を舉ぐ、と。其の讎を稱するも、諂ふと爲さず。其の子を立つるも、比(したし)むと爲さず。其の偏を舉ぐるも、黨すと爲さず。商書に曰く、「偏無く黨無く、王道蕩蕩たり」と。其れ祁奚の謂ひなり。解狐は舉げらるるを得、祁午は位を得、伯華は官を得たり。一官を建てて三物成る。能く善を舉ぐればなり。夫れ唯だ善なり、故に能く其の類を舉ぐ。詩に云ふ、「惟れ其の之を有す、是を以て之に似たり」と。祁奚焉有り。六月、公、單の頃公及び諸侯に會す。己未、雞澤に同盟す。晉侯、荀會をして吳子を淮上に逆へしむ。吳子至らず。楚の子辛、令尹と爲り、小國に侵欲す。陳の成公、袁僑をして會に如きて成を求めしむ。晉侯、和組父をして諸侯に告げしむ。秋、叔孫豹及び諸侯の大夫、陳の袁僑に及びて盟ふ。陳、服せんことを請ふなり。
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 魏献子、県大夫を挙ぐ秋、晉の韓宣子卒す。魏獻子政を為す。祁氏の田を分かちて、以って七縣と為し、羊舌氏の田を分かちて、以って三縣と為す。司馬彌牟を鄔の大夫と為し、賈辛を祁の大夫と為し、司馬烏を平陵の大夫と為し、魏戊を梗陽の大夫と為し、知徐吾を塗水の大夫と為し、韓固を馬首の大夫と為し、孟丙を盂の大夫と為し、樂霄を銅鞮の大夫と為し、趙朝を平陽の大夫と為し、僚安を楊氏の大夫と為す。賈辛・司馬烏を謂ひて、王室に力有りと為す、故に之を舉ぐ。知徐吾・趙朝・韓固・魏戊を謂ひて、餘子の職を失はず、能く業を守る者なりと。其の四人の者は、皆縣を受けて後に魏子に見ゆ。賢を以って舉げらるるなり。魏子、成鱄(せいせん)に謂ひて曰く、「吾戊に縣を與ふ。人其れ我を以って黨すと為さんか」と。對へて曰く、「何ぞや。戊の人と為りや、遠くして君を忘れず、近くして同じきを偪(せま)らず、利に居りて義を思ひ、約に在りて純を思ひ、守心有りて淫行無し。
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史記 晋世家閏月乙卯、厲公匠驪氏に游ぶ。欒書・中行偃其の党を以て厲公を襲捕し、之を囚へ、胥童を殺し、而して人をして公子周を周に迎へしめて之を立てんとす。是を悼公と為す。悼公の元年正月庚申、欒書・中行偃厲公を弑し、之を葬るに一乗の車を以てす。厲公囚はれて六日にして死す。死して十日の庚午、智罃公子周を迎へて来たり、絳に至り、鶏を刑して大夫と盟ひて之を立つ。是を悼公と為す。辛巳、武宮に朝す。二月乙酉、即位す。悼公周は、其の大父捷、晋の襄公の少子なり。立つを得ず。号して桓叔と為す。桓叔最も愛せらる。桓叔恵伯談を生み、談悼公周を生む。周の立つや、年十四なり。悼公曰く、「大父・父皆立つを得ずして難を周に辟け、焉に客死す。寡人自ら疎遠なるを以て、君と為るを幾(ねが)ふこと毋し。今大夫文・襄の意を忘れずして恵みて桓叔の後を立つ。宗廟大夫の霊に頼り、晋の祀を奉ずるを得たり。豈に敢て戦戦たらざらんや。大夫其れ亦た寡人を佐けよ」と。是に於て臣たらざる者七人を逐ひ、旧功を修め、徳恵を施し、文公の入りし時の功臣の後を収む。秋、鄭を伐つ。鄭の師敗る。遂に陳に至る。三年、晋諸侯を会す。悼公群臣の用ふべき者を問ふ。祁傒解狐を挙ぐ。解狐は、傒の仇なり。復た問ふ。其の子祁午を挙ぐ。君子曰く、「祁傒は党せずと謂ふべし。外に挙ぐるに仇を隠さず、内に挙ぐるに子を隠さず」と。方に諸侯を会せんとするに、悼公の弟楊干行を乱す。魏絳其の僕を戮す。悼公怒る。或ひと公を諫む。公卒に絳を賢とし、之に政を任じ、戎を和せしむ。戎大いに親附す。十一年、悼公曰く、「吾魏絳を用ひしより、九たび諸侯を合し、戎・翟を和す。魏子の力なり」と。之に楽を賜ふ。三たび譲りて乃ち之を受く。冬、秦我が櫟を取る。十四年、晋六卿をして諸侯を率ゐて秦を伐たしめ、涇を度り、大いに秦の軍を敗り、棫林に至りて去る。
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 唯だ善の在る所之に縣を與ふと雖も、亦た可ならずや。昔武王商に克ち、光(おほ)いに天下を有つ。其の兄弟の國なる者十有五人、姬姓の國なる者四十人、皆親を舉ぐるなり。夫れ舉ぐるに他無し、唯だ善の在る所なり、親疏一なり。詩に曰く、『唯れ此の文王、帝其の心を度(はか)り、其の德音を莫(さだ)む。其の德克く明らかに、克く明らかに克く類し、克く長じ克く君たり。此の大國に王として、克く順ひ克く比す。文王に比(およ)びて、其の德悔い靡し。既に帝の祉を受け、孫子に施す』と。心能く義を制するを度と曰ひ、德正しくして應和するを莫と曰ひ、四方に照臨するを明と曰ひ、勤施して私無きを類と曰ひ、教誨して倦まざるを長と曰ひ、賞慶刑威あるを君と曰ひ、慈和にして遍く服するを順と曰ひ、善を擇びて之に從ふを比と曰ひ、天地を經緯するを文と曰ふ。九德愆(あやま)たず、事を作して悔い無し。故に天祿を襲(う)け、子孫之に賴る。主の舉ぐるや、文德に近し。及ぶ所其れ遠からんかな」と。賈辛將に其の縣に適かんとし、魏子に見ゆ。魏子曰く、「辛來たれ。昔叔向鄭に適く。
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廟堂忠告・用賢第二天子の職は相を択(えら)ぶより重きは莫(な)く、宰相の職は賢を用うるより重きは莫し。然らば則ち何を以て其の賢を知らんや。諸(これ)を人に詢(と)えば則ち之を知り、其の行いを察すれば則ち之を知り、挙ぐる所を観れば則ち之を知る。夫れ室を為(つく)るに衆工の資を用いざれば、梓人(ししん)巧みなりと雖も、室成る能わず。国家の為に衆賢を集めざれば、相臣(しょうしん)才ありと雖も、国治まらず。彼(か)の相為(た)る者、誠に能く開誠布公(かいせいふこう)にして、廓焉(かくえん)として我無く、己に能わざる所有れば能なる者を挙げて之を用い、己に知らざる所有れば知る者を挙げて之を用い、己に敢えて言わざる所有れば敢えて言う者を挙げて之を用う。是くの如くなれば則ち彼の能くする所、皆我に有り。必ず一身にして衆人の事を兼ねんと欲すれば、大聖大賢と雖も能わざる所有り。夫れ粋白(すいはく)の狐は、世を挙げて有る所無きなり。然れども粋白の裘(かわごろも)有る者は、善く衆に取るのみ。况(いわ)んや大臣は、初めより事の知らざる無きを貴ばず、第(た)だ其の心を公正にして媢疾(ぼうしつ)する所無ければ、則ち智者は謀(はかりごと)を効(いた)し、勇者は力を効す。呫呫(ちょうちょう)として才と為し、捷捷(しょうしょう)として弁と為し、自ら衒(てら)い自ら伐(ほこ)らば、則ち賢者必ず楽しんで之が用を為さず。大氐(たいてい)人君自ら伐らば則ち臣の職行われざる所有り、相臣自ら伐らば則ち百執事(ひゃくしつじ)の職行われざる所有り。人の上為(た)る者は、約を操りて以て繁を馭(ぎょ)し、静に居りて以て動を制し、無心を以て天下の心に応ずれば、則ち令する所の者従い、庸(もち)うる所の者勧(はげ)む。苟(いやしく)も其の賢を知りて之に任じ、既に任じて之を疑い、務めて之を□(欠字)せんとせば、知らず用いざるに顧与(かえりみ)て、自ら其の才を任ずるや、奚(なん)ぞ異ならん。若(も)し然らば則ち体統(たいとう)失われて、謟佞(とうねい)の小人至らん。小人と処(お)れば、則ち天下の事、論ぜずして知るべし。吁(ああ)。
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貞観政要・公平臣聞く、人君と為る者は、善を善しとして悪を悪み、君子に近づきて小人を遠ざくるに在り。善を善しとすること明らかなれば、則ち君子進む。悪を悪むこと著(あら)わなれば、則ち小人退く。君子に近づけば、則ち朝に粃政(ひせい)無し。小人を遠ざくれば、則ち聴きて邪に私せず。小人に小善無きに非ず。君子に小過無きに非ず。君子の小過は、蓋し白玉の微瑕なり。小人の小善は、乃ち鉛刀の一割なり。鉛刀の一割は、良工の重んぜざる所なり。小善は以て衆悪を掩うに足らざるなり。白玉の微瑕は、善賈の棄てざる所なり。小疵は以て大美を妨ぐるに足らざるなり。小人の小善を善しとするは、之を善を善しとすと謂う。君子の小過を悪むは、之を悪を悪むと謂う。此れ則ち蒿と蘭と臭を同じくし、玉と石と分かたず。屈原の江に沈む所以、卞和の血に泣く所以なり。既に玉石の分を識り、又た蒿蘭の臭を辨じ、善を善しとして進むる能わず、悪を悪みて去る能わずんば、此れ郭氏の墟と為る所以、史魚の恨みを遺す所以なり。
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