智囊 / 詰奸・張鷟・李復亨
張鷟為河陽縣尉日,有一客驢韁斷,並鞍失之,三日訪不獲,告縣。鷟推勘急,夜放驢出而藏其鞍,可直五千錢,鷟曰:「此可知也。」令將卻籠頭放之,驢向舊喂處,搜其家,得鞍於草積下。李復亨年八十登進士第,調臨晉主簿。護送官馬入府,宿逆旅,有盜殺馬。復亨曰:「不利而殺之,必有仇者。」盡索逆旅商人過客,同邑人橐中盛佩刀,謂之曰:「刀蔑馬血,火煅之則刃青。」其人款伏,果有仇。以提刑薦遷南和令,盜割民家牛耳。復亨盡召里人至,使牛家牽牛遍過之,至一人前,牛忽驚躍,詰之,乃引伏。〔馮述評〕煅刀而得盜,所以貴格物也。然庐州之獄,官不能決,而老吏能決之,故格物又全在問察。太常博士李處厚知庐州縣,有一人死者,處厚往驗,悉糟胾灰湯之法不得傷跡。老書吏獻計:以新赤油傘日中覆之,以水沃屍,其跡必見,如其言,傷痕宛然。
新字:張鷟為河陽県尉日,有一客驢韁断,並鞍失之,三日訪不獲,告県。鷟推勘急,夜放驢出而蔵其鞍,可直五千銭,鷟曰:「此可知也。」令将却籠頭放之,驢向旧喂処,捜其家,得鞍於草積下。李復亨年八十登進士第,調臨晋主簿。護送官馬入府,宿逆旅,有盗殺馬。復亨曰:「不利而殺之,必有仇者。」尽索逆旅商人過客,同邑人橐中盛佩刀,謂之曰:「刀蔑馬血,火煅之則刃青。」其人款伏,果有仇。以提刑薦遷南和令,盗割民家牛耳。復亨尽召里人至,使牛家牽牛遍過之,至一人前,牛忽驚躍,詰之,乃引伏。〔馮述評〕煅刀而得盗,所以貴格物也。然庐州之獄,官不能決,而老吏能決之,故格物又全在問察。太常博士李処厚知庐州県,有一人死者,処厚往験,悉糟胾灰湯之法不得傷跡。老書吏献計:以新赤油傘日中覆之,以水沃屍,其跡必見,如其言,傷痕宛然。
書き下し
張鷟、河陽県の尉たるの日、一客の驢の韁断ち、鞍並びに之を失い、三日訪ぬるも獲ず、県に告ぐ。鷟、推勘すること急なり。夜に驢を放ち出だして其の鞍を蔵す。直は五千銭ばかりなり。鷟曰く、「此れ知るべきなり」と。籠頭を卻りて之を放たしむ。驢は旧の喂いし処に向かう。其の家を捜せば、鞍を草積の下に得たり。李復亨は年八十にして進士第に登り、臨晋の主簿に調せらる。官馬を護送して府に入り、逆旅に宿するとき、盗の馬を殺す有り。復亨曰く、「利あらずして之を殺すは、必ず仇する者有り」と。尽く逆旅の商人・過客・同邑の人の橐中に佩刀を盛る者を索め、之に謂いて曰く、「刀は馬の血を蔑すれば、火に煅くに刃青し」と。其の人、款伏す。果たして仇有り。提刑の薦めを以て南和令に遷る。盗、民家の牛の耳を割く。復亨、尽く里人を召して至らしめ、牛家をして牛を牽きて遍く之を過ぎしむ。一人の前に至るや、牛忽ち驚き躍る。之を詰して、乃ち引伏す。〔馮述評〕刀を煅きて盗を得るは、貴ぶ所は格物なり。然れども廬州の獄、官の決する能わざるを、老吏能く之を決す。故に格物は又全く問察に在り。太常博士李処厚、廬州の県に知たり。一人の死する者有り。処厚往きて験するに、悉く糟胾・灰湯の法もて傷跡を得ず。老書吏、計を献ず。「新しき赤油傘を以て日中に之を覆い、水を以て屍に沃げば、其の跡必ず見る」と。其の言の如くすれば、傷痕宛然たり。
現代語訳
張鷟が河陽県の尉だったとき、ある旅人のロバの手綱が切れ、鞍と共に失われ、三日探したが見つからず、県に訴えた。張鷟は取り調べを急いだ。夜にロバを放ち出して、その鞍を隠した。値は五千銭ほどであった。張鷟は言った。「これはわかるはずだ」。頭の綱を外してロバを放たせた。ロバは以前に餌を与えられていた場所に向かった。その家を捜索すると、鞍が藁の山の下から見つかった。李復亨は八十歳で進士に及第し、臨晋の主簿に任じられた。官の馬を護送して府に入る途中、宿屋に泊まったとき、盗賊が馬を殺した。復亨は言った。「利益もないのに殺すのは、必ず恨みを持つ者の仕業だ」。宿屋の商人、旅人、同じ町の人の袋の中で佩刀を入れている者をすべて集め、彼らに言った。「刀が馬の血に汚れていれば、火で焼くと刃が青くなる」。その人は罪を認めた。はたして恨みがあった。提刑の推薦で南和の県令に昇進した。盗賊が民家の牛の耳を切り取った。復亨は里人を全員呼び集め、牛の持ち主に牛を引かせて皆の前を通らせた。一人の前に来ると、牛が突然驚いて跳ねた。その者を問いただすと、罪を認めた。〔馮夢龍の評〕刀を焼いて盗賊を得る方法は、物事の道理を究める格物を貴ぶものだ。しかし廬州の事件では、官が決められなかったことを、老いた書吏が決めた。だから格物はまた、問い察することにも全くかかっている。太常博士の李処厚が廬州の県の長官であったとき、死んだ者がいた。処厚が行って検分したが、酒糟や灰の湯を使う方法をすべて試しても、傷跡が見えなかった。老いた書記役が計を献じた。「新しい赤い油紙の傘で日中にそれを覆い、水を死体にかければ、その跡が必ず見えます」。その言うとおりにすると、傷痕ははっきり現れた。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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