春秋左氏伝 / 昭公二十八年 魏献子、県大夫を挙ぐ
秋。晉韓宣子卒。魏獻子為政。分祁氏之田。以為七縣。分羊舌氏之田。以為三縣。司馬彌牟為鄔大夫。賈辛為祁大夫。司馬烏為平陵大夫。魏戊為梗陽大夫。知徐吾為塗水大夫。韓固為馬首大夫。孟丙為盂大夫。樂霄為銅鞮大夫。趙朝為平陽大夫。僚安為楊氏大夫。謂賈辛。司馬烏。為有力於王室。故舉之。謂知徐吾。趙朝。韓固。魏戊。餘子之不失職。能守業者也。其四人者。皆受縣而後見於魏子。以賢舉也。魏子謂成鱄。吾與戊也縣。人其以我為黨乎。對曰。何也。戊之為人也。遠不忘君。近不偪同。居利思義。在約思純。有守心而無淫行。
新字:秋。晋韓宣子卒。魏献子為政。分祁氏之田。以為七県。分羊舌氏之田。以為三県。司馬弥牟為鄔大夫。賈辛為祁大夫。司馬烏為平陵大夫。魏戊為梗陽大夫。知徐吾為塗水大夫。韓固為馬首大夫。孟丙為盂大夫。楽霄為銅鞮大夫。趙朝為平陽大夫。僚安為楊氏大夫。謂賈辛。司馬烏。為有力於王室。故舉之。謂知徐吾。趙朝。韓固。魏戊。余子之不失職。能守業者也。其四人者。皆受県而後見於魏子。以賢舉也。魏子謂成鱄。吾与戊也県。人其以我為党乎。対曰。何也。戊之為人也。遠不忘君。近不偪同。居利思義。在約思純。有守心而無淫行。
書き下し
秋、晉の韓宣子卒す。魏獻子政を為す。祁氏の田を分かちて、以って七縣と為し、羊舌氏の田を分かちて、以って三縣と為す。司馬彌牟を鄔の大夫と為し、賈辛を祁の大夫と為し、司馬烏を平陵の大夫と為し、魏戊を梗陽の大夫と為し、知徐吾を塗水の大夫と為し、韓固を馬首の大夫と為し、孟丙を盂の大夫と為し、樂霄を銅鞮の大夫と為し、趙朝を平陽の大夫と為し、僚安を楊氏の大夫と為す。賈辛・司馬烏を謂ひて、王室に力有りと為す、故に之を舉ぐ。知徐吾・趙朝・韓固・魏戊を謂ひて、餘子の職を失はず、能く業を守る者なりと。其の四人の者は、皆縣を受けて後に魏子に見ゆ。賢を以って舉げらるるなり。魏子、成鱄(せいせん)に謂ひて曰く、「吾戊に縣を與ふ。人其れ我を以って黨すと為さんか」と。對へて曰く、「何ぞや。戊の人と為りや、遠くして君を忘れず、近くして同じきを偪(せま)らず、利に居りて義を思ひ、約に在りて純を思ひ、守心有りて淫行無し。
現代語訳
秋、晋の韓宣子(韓起、晋の執政)が亡くなり、魏献子(魏舒)が政治を執った。魏献子は祁氏の田地を分けて七つの県とし、羊舌氏の田地を分けて三つの県とした。司馬弥牟を鄔の大夫に、賈辛を祁の大夫に、司馬烏を平陵の大夫に、魏戊を梗陽の大夫に、知徐吾を塗水の大夫に、韓固を馬首の大夫に、孟丙を盂の大夫に、楽霄を銅鞮の大夫に、趙朝を平陽の大夫に、僚安を楊氏の大夫に任じた。賈辛と司馬烏は、王室(周)のために功績があったので登用したのである。知徐吾・趙朝・韓固・魏戊は、卿の家の嫡子以外の子(余子)でありながら職分を失わず、家業をよく守る者たちであった。残りの四人(司馬弥牟・孟丙・楽霄・僚安)は、みな県を与えられてから初めて魏子(魏献子)に面会した。賢さによって登用されたのである。魏子は成鱄(せいせん、晋の大夫)に言った。「私は戊(魏戊、魏献子の庶子)に県を与えた。人々は私が身内びいきをしたと思うだろうか」。成鱄は答えた。「どうしてそう思われるのですか。戊の人柄は、遠くにいても君を忘れず、近くにいても同僚を圧迫せず、利益のある立場にいても義を考え、困窮しても純粋さを保とうとし、節操を守る心があって、みだらな行いがありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三年 祁奚、讎を挙ぐ祁奚、老を請ふ。晉侯、嗣を問ふ。解狐を稱す。其の讎なり。將に之を立てんとして卒す。又焉に問ふ。對へて曰く、「午や可なり」と。是に於て羊舌職死せり。晉侯曰く、「孰か以て之に代はるべき」と。對へて曰く、「赤や可なり」と。是に於て祁午をして中軍尉と爲し、羊舌赤之を佐けしむ。君子謂ふ、祁奚是に於て能く善を舉ぐ、と。其の讎を稱するも、諂ふと爲さず。其の子を立つるも、比(したし)むと爲さず。其の偏を舉ぐるも、黨すと爲さず。商書に曰く、「偏無く黨無く、王道蕩蕩たり」と。其れ祁奚の謂ひなり。解狐は舉げらるるを得、祁午は位を得、伯華は官を得たり。一官を建てて三物成る。能く善を舉ぐればなり。夫れ唯だ善なり、故に能く其の類を舉ぐ。詩に云ふ、「惟れ其の之を有す、是を以て之に似たり」と。祁奚焉有り。六月、公、單の頃公及び諸侯に會す。己未、雞澤に同盟す。晉侯、荀會をして吳子を淮上に逆へしむ。吳子至らず。楚の子辛、令尹と爲り、小國に侵欲す。陳の成公、袁僑をして會に如きて成を求めしむ。晉侯、和組父をして諸侯に告げしむ。秋、叔孫豹及び諸侯の大夫、陳の袁僑に及びて盟ふ。陳、服せんことを請ふなり。
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史記 晋世家閏月乙卯、厲公匠驪氏に游ぶ。欒書・中行偃其の党を以て厲公を襲捕し、之を囚へ、胥童を殺し、而して人をして公子周を周に迎へしめて之を立てんとす。是を悼公と為す。悼公の元年正月庚申、欒書・中行偃厲公を弑し、之を葬るに一乗の車を以てす。厲公囚はれて六日にして死す。死して十日の庚午、智罃公子周を迎へて来たり、絳に至り、鶏を刑して大夫と盟ひて之を立つ。是を悼公と為す。辛巳、武宮に朝す。二月乙酉、即位す。悼公周は、其の大父捷、晋の襄公の少子なり。立つを得ず。号して桓叔と為す。桓叔最も愛せらる。桓叔恵伯談を生み、談悼公周を生む。周の立つや、年十四なり。悼公曰く、「大父・父皆立つを得ずして難を周に辟け、焉に客死す。寡人自ら疎遠なるを以て、君と為るを幾(ねが)ふこと毋し。今大夫文・襄の意を忘れずして恵みて桓叔の後を立つ。宗廟大夫の霊に頼り、晋の祀を奉ずるを得たり。豈に敢て戦戦たらざらんや。大夫其れ亦た寡人を佐けよ」と。是に於て臣たらざる者七人を逐ひ、旧功を修め、徳恵を施し、文公の入りし時の功臣の後を収む。秋、鄭を伐つ。鄭の師敗る。遂に陳に至る。三年、晋諸侯を会す。悼公群臣の用ふべき者を問ふ。祁傒解狐を挙ぐ。解狐は、傒の仇なり。復た問ふ。其の子祁午を挙ぐ。君子曰く、「祁傒は党せずと謂ふべし。外に挙ぐるに仇を隠さず、内に挙ぐるに子を隠さず」と。方に諸侯を会せんとするに、悼公の弟楊干行を乱す。魏絳其の僕を戮す。悼公怒る。或ひと公を諫む。公卒に絳を賢とし、之に政を任じ、戎を和せしむ。戎大いに親附す。十一年、悼公曰く、「吾魏絳を用ひしより、九たび諸侯を合し、戎・翟を和す。魏子の力なり」と。之に楽を賜ふ。三たび譲りて乃ち之を受く。冬、秦我が櫟を取る。十四年、晋六卿をして諸侯を率ゐて秦を伐たしめ、涇を度り、大いに秦の軍を敗り、棫林に至りて去る。
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 唯だ善の在る所之に縣を與ふと雖も、亦た可ならずや。昔武王商に克ち、光(おほ)いに天下を有つ。其の兄弟の國なる者十有五人、姬姓の國なる者四十人、皆親を舉ぐるなり。夫れ舉ぐるに他無し、唯だ善の在る所なり、親疏一なり。詩に曰く、『唯れ此の文王、帝其の心を度(はか)り、其の德音を莫(さだ)む。其の德克く明らかに、克く明らかに克く類し、克く長じ克く君たり。此の大國に王として、克く順ひ克く比す。文王に比(およ)びて、其の德悔い靡し。既に帝の祉を受け、孫子に施す』と。心能く義を制するを度と曰ひ、德正しくして應和するを莫と曰ひ、四方に照臨するを明と曰ひ、勤施して私無きを類と曰ひ、教誨して倦まざるを長と曰ひ、賞慶刑威あるを君と曰ひ、慈和にして遍く服するを順と曰ひ、善を擇びて之に從ふを比と曰ひ、天地を經緯するを文と曰ふ。九德愆(あやま)たず、事を作して悔い無し。故に天祿を襲(う)け、子孫之に賴る。主の舉ぐるや、文德に近し。及ぶ所其れ遠からんかな」と。賈辛將に其の縣に適かんとし、魏子に見ゆ。魏子曰く、「辛來たれ。昔叔向鄭に適く。
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廟堂忠告・用賢第二天子の職は相を択(えら)ぶより重きは莫(な)く、宰相の職は賢を用うるより重きは莫し。然らば則ち何を以て其の賢を知らんや。諸(これ)を人に詢(と)えば則ち之を知り、其の行いを察すれば則ち之を知り、挙ぐる所を観れば則ち之を知る。夫れ室を為(つく)るに衆工の資を用いざれば、梓人(ししん)巧みなりと雖も、室成る能わず。国家の為に衆賢を集めざれば、相臣(しょうしん)才ありと雖も、国治まらず。彼(か)の相為(た)る者、誠に能く開誠布公(かいせいふこう)にして、廓焉(かくえん)として我無く、己に能わざる所有れば能なる者を挙げて之を用い、己に知らざる所有れば知る者を挙げて之を用い、己に敢えて言わざる所有れば敢えて言う者を挙げて之を用う。是くの如くなれば則ち彼の能くする所、皆我に有り。必ず一身にして衆人の事を兼ねんと欲すれば、大聖大賢と雖も能わざる所有り。夫れ粋白(すいはく)の狐は、世を挙げて有る所無きなり。然れども粋白の裘(かわごろも)有る者は、善く衆に取るのみ。况(いわ)んや大臣は、初めより事の知らざる無きを貴ばず、第(た)だ其の心を公正にして媢疾(ぼうしつ)する所無ければ、則ち智者は謀(はかりごと)を効(いた)し、勇者は力を効す。呫呫(ちょうちょう)として才と為し、捷捷(しょうしょう)として弁と為し、自ら衒(てら)い自ら伐(ほこ)らば、則ち賢者必ず楽しんで之が用を為さず。大氐(たいてい)人君自ら伐らば則ち臣の職行われざる所有り、相臣自ら伐らば則ち百執事(ひゃくしつじ)の職行われざる所有り。人の上為(た)る者は、約を操りて以て繁を馭(ぎょ)し、静に居りて以て動を制し、無心を以て天下の心に応ずれば、則ち令する所の者従い、庸(もち)うる所の者勧(はげ)む。苟(いやしく)も其の賢を知りて之に任じ、既に任じて之を疑い、務めて之を□(欠字)せんとせば、知らず用いざるに顧与(かえりみ)て、自ら其の才を任ずるや、奚(なん)ぞ異ならん。若(も)し然らば則ち体統(たいとう)失われて、謟佞(とうねい)の小人至らん。小人と処(お)れば、則ち天下の事、論ぜずして知るべし。吁(ああ)。
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貞観政要・公平臣聞く、人君と為る者は、善を善しとして悪を悪み、君子に近づきて小人を遠ざくるに在り。善を善しとすること明らかなれば、則ち君子進む。悪を悪むこと著(あら)わなれば、則ち小人退く。君子に近づけば、則ち朝に粃政(ひせい)無し。小人を遠ざくれば、則ち聴きて邪に私せず。小人に小善無きに非ず。君子に小過無きに非ず。君子の小過は、蓋し白玉の微瑕なり。小人の小善は、乃ち鉛刀の一割なり。鉛刀の一割は、良工の重んぜざる所なり。小善は以て衆悪を掩うに足らざるなり。白玉の微瑕は、善賈の棄てざる所なり。小疵は以て大美を妨ぐるに足らざるなり。小人の小善を善しとするは、之を善を善しとすと謂う。君子の小過を悪むは、之を悪を悪むと謂う。此れ則ち蒿と蘭と臭を同じくし、玉と石と分かたず。屈原の江に沈む所以、卞和の血に泣く所以なり。既に玉石の分を識り、又た蒿蘭の臭を辨じ、善を善しとして進むる能わず、悪を悪みて去る能わずんば、此れ郭氏の墟と為る所以、史魚の恨みを遺す所以なり。
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貞観政要・択官貞観十四年、特進魏徴、疏を上りて曰く、
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