智囊 / 詰奸・張小舍
相傳維亭張小舍善察盜。偶行市中,見一人衣冠甚整,遇荷草者,捋取數莖,因如廁,張俟其出,從後叱之,其人惶懼,鞫之,盜也。又嘗於暑月游一古廟之中,有三四輩席地鼾睡,傍有西瓜劈開未食,張亦指為盜而擒之。果然,或叩其術,張曰:「入廁用草,此無賴小人,其衣冠必盜來者;古廟群睡,夜勞而晝倦;劈西瓜以辟蠅也。」時為之語云:「天不怕,地不怕,只怕維亭張小舍。」後遇瞽丐於途,疑而跡之,見其跨溝而過,擒焉,果盜魁。其瞽則偽也,請以重賂免,期某日,過期不至,久之,張復遇於途,責以渝約,盜曰:「已輸於臥牀之左足,但夜至,不敢驚寢耳。」張猶未信,曰:「以何為徵?」盜即述是夜其夫婦私語,張始大駭,歸視牀足,有物係焉,如所許數,兼得一利刃,悚然曰:「危哉乎?」自是察盜頗疏。〔馮評〕小舍智,此盜亦智。小舍先察盜,智;後疏於察盜,更智。
新字:相伝維亭張小舎善察盗。偶行市中,見一人衣冠甚整,遇荷草者,捋取数茎,因如廁,張俟其出,従後叱之,其人惶懼,鞫之,盗也。又嘗於暑月游一古廟之中,有三四輩席地鼾睡,傍有西瓜劈開未食,張亦指為盗而擒之。果然,或叩其術,張曰:「入廁用草,此無頼小人,其衣冠必盗来者;古廟群睡,夜労而昼倦;劈西瓜以辟蠅也。」時為之語云:「天不怕,地不怕,只怕維亭張小舎。」後遇瞽丐於途,疑而跡之,見其跨溝而過,擒焉,果盗魁。其瞽則偽也,請以重賂免,期某日,過期不至,久之,張復遇於途,責以渝約,盗曰:「已輸於臥牀之左足,但夜至,不敢驚寝耳。」張猶未信,曰:「以何為徴?」盗即述是夜其夫婦私語,張始大駭,帰視牀足,有物係焉,如所許数,兼得一利刃,悚然曰:「危哉乎?」自是察盗頗疏。〔馮評〕小舎智,此盗亦智。小舎先察盗,智;後疏於察盗,更智。
書き下し
相伝う、維亭の張小舎は善く盗を察す。偶たま市中を行くとき、一人の衣冠甚だ整える者の、荷草する者に遇い、数茎を捋取するを見る。因りて廁に如く。張、其の出づるを俟ち、後ろより之を叱す。其の人惶懼す。之を鞫すれば、盗なり。又嘗て暑月に一古廟の中に遊ぶとき、三四輩の席地に鼾睡する有り。傍らに西瓜の劈きて未だ食せざる有り。張も亦た指して盗と為して之を擒う。果たして然り。或ひと其の術を叩く。張曰く、「廁に入りて草を用うるは、此れ無頼の小人なり。其の衣冠は必ず盗み来たれるなり。古廟に群れ睡るは、夜に労して昼に倦めばなり。西瓜を劈くは、以て蠅を辟くるなり」と。時の人之が語を為して曰く、「天も怕れず、地も怕れず、只だ維亭の張小舎を怕る」と。後に瞽丐に途に遇い、疑いて之を跡う。其の溝を跨ぎて過ぐるを見て、擒う。果たして盗魁なり。其の瞽は則ち偽りなり。重賂を請うて免れんとし、某日を期するも、期を過ぎて至らず。久しくして、張、復た途に遇い、責むるに約に渝ることを以てす。盗曰く、「已に臥牀の左足に輸せり。但だ夜に至り、敢えて寢を驚かさざるのみ」と。張猶お信ぜず、曰く、「何を以て徴と為すか」と。盗即ち是の夜の其の夫婦の私語を述ぶ。張始めて大いに駭く。帰りて牀足を視れば、物の係かる有り、許す所の数の如し。兼ねて一利刃を得たり。悚然として曰く、「危うきかな」と。自後、盗を察すること頗る疎なり。〔馮評〕小舎は智なり。此の盗も亦た智なり。小舎、先に盗を察するは、智なり。後に盗を察すること疎なるは、更に智なり。
現代語訳
言い伝えでは、維亭の張小舎は盗賊を見抜くのが上手だった。たまたま市場を歩いていると、衣冠のとても整った一人が、草を背負った人に出会って、数本の草を引き抜いた。そのまま厠に入った。張はその出てくるのを待って、後ろから叱りつけた。その人は恐れおののいた。取り調べると、盗賊であった。また、暑い月に古い廟で遊んでいると、三、四人が地面に座って、いびきをかいて眠っていた。傍らに割った西瓜があり、まだ食べていなかった。張はこれも指さして盗賊とし、捕らえた。はたしてそのとおりだった。ある人がその方法をたずねた。張は言った。「厠に入って草を使うのは、無頼の小人のすることだ。その衣冠は必ず盗んできたものだ。古い廟で群れて眠るのは、夜に働いて昼に疲れているからだ。西瓜を割るのは、蠅を避けるためだ」。当時の人々はこれを話にして言った。「天も恐れず、地も恐れず、ただ維亭の張小舎を恐れる」。後に、盲目の乞食に道で出会い、疑って跡をつけた。その人が溝をまたいで通り過ぎるのを見て、捕らえた。はたして盗賊の頭領で、その盲目は偽りであった。多額の賄賂を出して免れようとし、ある日を約束したが、期日を過ぎても来なかった。しばらくして、張は再び道で彼に会い、約束を破ったことを責めた。盗賊は言った。「すでに寝台の左足に納めました。ただ夜にそっと行き、あなたの眠りを驚かさなかっただけです」。張はなお信じず、言った。「何を証拠とするのか」。盗賊はその夜の夫婦のひそひそ話を述べた。張は初めて大いに驚いた。帰って寝台の足を見ると、物がくくり付けられており、約束した数のとおりだった。さらに一本の鋭い刃物も得た。ぞっとして言った。「危ないことだ」。以後、盗賊を調べることはあまり熱心でなくなった。〔馮夢龍の評〕張小舎は賢い。この盗賊もまた賢い。小舎が先に盗賊を見抜いたのは賢い。後に盗賊を調べるのを控えたのは、さらに賢い。
解説
この章句が説くこと
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢笑ひて謝して去り、その御者に謂ひて曰く、「吾粱を持し肥を刺歯し、馬を躍らせて疾く駆け、黄金の印を懐き、紫綬を要に結び、人主の前に揖譲し、肉を食らひ富貴なること、四十三年にして足れり」と。去りて趙に之き、逐はる。韓・魏に之き、釜鬲を涂に奪はるるに遇ふ。応侯の鄭安平・王稽を任じて皆重罪を秦に負ひ、応侯内に慚づるを聞き、蔡沢乃ち西して秦に入る。将に昭王に見えんとし、人をして宣言せしめて以て応侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡沢は、天下の雄俊弘弁の智士なり。彼一たび秦王に見えば、秦王必ず君を困しめて君の位を奪はん」と。応侯聞きて曰く、「五帝三代の事、百家の説、吾既にこれを知る。衆口の弁、吾皆これを摧く。是れ悪んぞ能く我を困しめて我が位を奪はんや」と。人をして蔡沢を召さしむ。蔡沢入り、則ち応に揖す。応侯固より快からず、これに見ゆるに及び、また倨る。応侯因りてこれを譲めて曰く、「子嘗て宣言して我に代はりて秦に相たらんと欲すと、寧ろこれ有るか」と。対へて曰く、「然り」と。応侯曰く、「請ふその説を聞かん」と。蔡沢曰く、「吁、君何ぞこれを見ることの晩きや。夫れ四時の序、功を成す者は去る。夫れ人生まれて百体堅彊、手足便利、耳目聡明にして心聖智なるは、豈に士の願ひに非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ徳を施し、志を天下に得、天下懐楽敬愛してこれを尊慕し、皆願ひて以て君王と為す、豈に弁智の期に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢また曰く、「富貴顕栄、万物を成理し、各々その所を得しむ。性命寿長、その天年を終へて夭傷せず。天下その統を継ぎ、その業を守り、これを無窮に伝ふ。名実純粋、沢千里に流れ、世世これを称して絶ゆる無く、天地と終始す。豈に道徳の符にして聖人の所謂吉祥善事なる者に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。
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史記 范雎蔡沢列伝身の服する所の者七十余城、功已に成れり、而して遂に剣を賜はりて杜郵に死す。呉起は楚の悼王の為に法を立て、大臣の威重を卑減し、無能を罷め、無用を廃し、不急の官を損じ、私門の請ひを塞ぎ、楚国の俗を一にし、游客の民を禁じ、耕戦の士を精にし、南のかた楊越を収め、北のかた陳・蔡を并せ、横を破り従を散じ、馳説の士をしてその口を開く所無からしめ、朋党を禁じて以て百姓を励まし、楚国の政を定め、兵は天下に震ひ、威は諸侯を服す。功已に成れり、而して卒に枝解せらる。大夫種は越王の為に深謀遠計し、会稽の危ふきを免れ、亡を以て存と為し、辱に因りて栄と為し、草を墾き邑に入れ、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を専らにし、句践の賢を輔け、夫差の讎に報い、卒に勁呉を擒にす。越をして霸を成さしむ。功已に彰れて信なり、句践終に負きてこれを殺す。此の四子の者は、功成りて去らず、禍此に至る。此れ所謂信びて詘する能はず、往きて返る能はざる者なり。范蠡これを知り、超然として世を辟け、長く陶朱公と為る。君独り夫の博する者を観ずや。或いは大いに投ぜんと欲し、或いは功を分かたんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今、君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐して諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を実たし、羊腸の険を決し、太行の道を塞ぎ、また范・中行の涂を斬り、六国をして合従するを得ざらしめ、桟道千里、蜀漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲得たり、君の功極まれり、此れまた秦の功を分かつの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・呉起・大夫種是れなり。吾これを聞く、『水に鑒みる者は面の容を見、人に鑒みる者は吉と凶とを知る』と。書に曰く『成功の下には、久しく処るべからず』と。四子の禍、君何ぞ居らんや。
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『春秋左氏伝』成公二年 背城借一諸侯何ぞ害せん。然らずんば、寡君の使臣に命ずるや、則ち辭有り。曰く、「子君の師を以て敝邑に辱くす。不腆の敝賦、以て從者を犒ふ。君の震を畏れ、師徒橈敗す。吾子惠みて齊國の福を徼め、其の社稷を泯ぼさず、舊好を繼がしめば、唯だ是れ先君の敝器土地は敢へて愛まず。子又許さずんば、請ふ餘燼を收合して、城を背にして一を借らん。敝邑の幸あらば、亦た云に從はん。況んや其れ不幸ならば、敢へて唯だ命を是れ聽かざらんや」と。魯・衛諫めて曰く、「齊我を疾めり。其の死亡する者は、皆親暱なり。子若し許さずんば、我を讎とすること必ず甚だしからん。唯だ子なれば則ち又何をか求めん。子其の國寶を得、我も亦た地を得て難に紓ぶ。其の榮多し。齊・晉も亦た唯だ天の授くる所なり、豈に必ずしも晉ならんや」と。晉人之を許す。對へて曰く、「群臣賦輿を帥ゐて、以て魯・衛の為に請ふ。若し苟くも以て口を藉る有りて、寡君に復せば、君の惠なり。敢へて唯だ命を是れ聽かざらんや」と。禽鄭師より公を逆ふ。
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史記 留侯世家矰繳有りと雖も、尚ほ安くにか施す所あらん」と。歌ふこと数闋、戚夫人噓唏して流涕す、上起ちて去り、酒を罷む。竟に太子を易へざりし者は、留侯の本此の四人を招きし力なり。留侯上に従ひて代を撃ち、奇計を馬邑の下に出だし、及び蕭何を相国に立つ、上と従容として天下の事を言ふ所甚だ衆きも、天下の存亡する所以に非ず、故に著さず。留侯乃ち称して曰く、「家世々韓に相たり、韓の滅ぶるに及び、万金の資を愛しまず、韓の為に讐を彊秦に報い、天下振動す。今三寸の舌を以て帝者の師と為り、万戸に封ぜられ、列侯に位す、此れ布衣の極みなり、良に於て足れり。願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて游ばんと欲するのみ」と。乃ち辟穀を学び、道引して身を軽くす。会々高帝崩じ、呂后留侯を徳とし、乃ち彊ひて之に食はしめて、曰く、「人生一世の間、白駒の隙を過ぐるが如し、何ぞ自ら苦しむこと此くの如きに至るや」と。留侯已むを得ず、彊ひて聴きて食ふ。後八年にして卒し、謚して文成侯と為す。子不疑代はりて侯たり。子房始め見る所の下邳の圯上の老父の太公の書を与へし者、後十三年高帝に従ひて済北を過ぎ、果たして穀城山下の黄石を見、取りて之を葆祠す。留侯死し、并せて黄石と葬る。冢に上る伏臘毎に、黄石を祠る。留侯不疑、孝文帝五年不敬に坐し、国除かる。太史公曰く、学者多く鬼神無しと言ふ、然れども物有りと言ふ。留侯の見る所の老父の書を予ふるが如きに至りては、亦た怪しむべし。高祖困しみに離ること数々なり、而して留侯常に功力有り、豈に天に非ずと謂ふべけんや。上曰く、「夫れ策を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、吾子房に如かず」と。余以為へらく其の人は計魁梧奇偉ならんと、其の図を見るに至りては、状貌婦人好女の如し。蓋し孔子曰く、「貌を以て人を取れば、之を子羽に失ふ」と。留侯も亦た云ふ。
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史記 越王句践世家越王曰く、「奈何」と。曰く、「楚の三大夫九軍を張り、北のかた曲沃・於中を囲み、以て無仮の関に至る者三千七百里。景翠の軍、北のかた魯・斉・南陽に聚まる。分つこと此より大なる者有らんや。且つ王の求むる所の者は、晋・楚を闘はしむるなり。晋・楚闘はずんば、越の兵起たず。是れ二五を知りて十を知らざるなり。此の時楚を攻めずんば、臣是を以て越の大は王たらず、小は伯たらざるを知る。復讎・龐・長沙は楚の粟なり。竟沢陵は楚の材なり。越、兵を窺はせて無仮の関を通ぜば、此の四邑の者は上りて郢に貢事せざらん。臣之を聞く、王を図りて王たらざるも、其の敝は以て伯たるべしと。然り而して伯たらざる者は、王道失へばなり。故に願はくは大王の転じて楚を攻めんことを」と。是に於て越遂に斉を釈きて楚を伐つ。楚の威王兵を興して之を伐ち、大いに越を敗り、王無彊を殺し、尽く故の呉の地を取りて浙江に至り、北のかた斉を徐州に破る。而して越此を以て散じ、諸族子立つを争ひ、或いは王と為り、或いは君と為り、江南の海上に浜し、楚に服朝す。後七世にして、閩君搖に至り、諸侯を佐けて秦を平ぐ。漢の高帝復た搖を以て越王と為し、以て越の後を奉ぜしむ。東越・閩君は、皆其の後なり。范蠡、越王句践に事へ、既に身を苦しめ力を戮せ、句践と深く謀ること二十余年、竟に呉を滅ぼし、会稽の恥に報い、北のかた兵を淮に渡して以て斉・晋に臨み、中国に号令し、以て周室を尊ぶ。句践以て霸たり、而して范蠡は上将軍と称せらる。還りて国に反り、范蠡以為へらく、大名の下には以て久しく居り難く、且つ句践の人と為りは与に患ひを同じくすべきも、与に安きに処り難しと。書を為りて句践に辞して曰く、「臣聞く、主憂ふれば臣労し、主辱めらるれば臣死すと。昔者君王会稽に辱めらる。死せざりし所以は、此の事の為なり。今既に以て恥を雪ぐ。臣請ふ会稽の誅に従はん」と。句践曰く、「孤将に子と国を分ちて之を有たんとす。然らずんば、将に誅を子に加へんとす」と。
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葉隠・聞書第一方々(ほうぼう)招請(しょうせい)に参られ心入(こころい)れになり、話など致され候由(そうろうよし)。この前(まえ)数年(すうねん)の内も、人の為になることばかりを楽(たの)しみ、極々(ごくごく)の奉公好(ほうこうず)きなり。それゆゑ一(ひと)かど御用(ごよう)には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄(ほうこうろうもう)、人の為になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重(おも)くして、しまりよきなり。
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